第36話 好きになってごめんなさい
私は今、モルテさんにお姫様抱っこされながら空を飛んでいる。
初めは怖くてモルテさんにしがみついてしまっていたけど、しばらくすると景色を楽しむ余裕が出て来た。
夜空には半分の月が浮かんでいる。
すごい速さで飛んでいるのに、少しも苦しくない。きっとモルテさんが何か魔法をかけてくれているんだと思う。
ふと私が顔を上げると、モルテさんと視線が合った。あまりの近さに今さらながらに恥ずかしくなってくる。
「セリカ」
私の名前を呼ぶモルテさんの声は真剣そのものだった。
「さっき言った、セリカに話したいことだが……」
至近距離で見るモルテさんの瞳は、濃い紫色だ。その瞳が私を真っすぐ見つめている。
「……俺は、10年前からずっと……」
このあとに続く言葉は、私が聞きたかった言葉のような気がする。なぜなら、モルテさんの瞳はどこか熱っぽく、私を抱きかかえている手が微かに震えているから。
「セリカのことを……」
私はその言葉をさえぎるように、指でモルテさんの唇にふれた。
「その言葉を言う前に、私の話を聞いてくれませんか?」
お姫様との運命の出会いがめちゃくちゃになってしまった今、私が知っている父さんの未来予知をモルテさんに伝えないことは不誠実だと思う。
私のせいで二人が予知とは違う結末をたどってしまったのに、何も知らない顔をしてこれからもモルテさんの側にいるわけにはいかない。
「どうしても、モルテさんに伝えないといけないことがあるんです」
驚きで目を見開いたまま、モルテさんはコクコクとうなずく。
「実は……。私の父が私の為に本を……預言書を残してくれていたんです」
「おじさんが?」
「そこには、魔王様とお姫様のお話が書かれていました。私がはじめモルテさんを人間ではなく魔王様だと勘違いしていたのは、父が書いた本の世界に入り込んでしまったと、私が思い込んでいたからなんです」
モルテさんは眉をひそめた。
「その本には、何が書かれていたんだ?」
「それは……。魔王様がお姫様と出会って、恋に落ちて、幸せになる、と。魔王様はモルテさんのことだと思います。出会ったときの見た目がそのままでしたから。だから私はずっと、モルテさんはお姫様と恋に落ちるんだと思っていました」
「それは、俺がエキドナ王女を好きになる、という予知が書かれていたということか?」
「私も今日までそうだと思っていたんですけど、よく考えたら、王女様の外見は本には書かれていなくて……。だから、予知が外れたのかなって思ったんですけど、もしかしたら、モルテさんは他の国のお姫様といつか出会って恋に落ちるのかも……」
「そんなこと、ありえない!」
きっぱりとモルテさんが言い切ってくれて、私は嬉しいと思ってしまった。でも、モルテさんの幸せな未来を書き換えてしまった罪は消えない。
それなのに、自分勝手な私はモルテさんと幸せになりたいと願ってしまっている。自分の身勝手さが情けなくて涙が滲んだ。
「……ずっとダメだと思っていたのに……。どんどん惹かれて……もう、どうしたらいいのか、自分でも分からないんです……ご、ごめんなさい。あなたを好きになってしまって……ごめんなさい」
一度涙があふれてしまうと、止めることができない。私が両手で顔を覆っているうちに、古城についてしまった。
古城のバルコニーに降り立ったモルテさんは、私を丁寧に下ろしてくれた。そして、そのままその場に崩れ落ちる。
「モルテさん⁉」
慌ててモルテさんに駆け寄ると、ブツブツと何か言っていた。
「は? え? セリカが俺のことを、なんだって? 幻聴か? なぜか今、ものすごく都合のいい幻聴が聞こえたぞ。ああ、そうか、無理やり竜と戦わされたから、気がつかないうちに疲れていたんだな」
フゥとため息をついたモルテさんは、私に向き直りビクッと体を震わせた。
「セリカ⁉ どうして泣いているんだ?」
「えっと、その、ダメなのに、私がモルテさんを好きになってしまったから……申し訳なくて……」
私がうつむくと、モルテさんが私の手に触れた。
「ダメ、じゃない」
どこか呆然としているモルテさんは「ほ、本当に?」と私に確認した。私がうなずくと、モルテさんの顔が今にも泣きそうに歪む。
「ウ、ウソだろ? そんな都合の良いことが……違う! こういうことを言いたいんじゃない!」
モルテさんは首をふった。
「泣かなくていい! そんな予知は関係ない! 俺が恋に落ちるのも、愛するのもセリカだけだ! 10年前からずっと、セリカだけを愛している!」
気がつけば私はモルテさんに抱きしめられていた。モルテさんの腕の中は、とても温かい。
決して望んではいけなかったのに、モルテさんがそう言ってくれて、私は幸せを感じてしまっている。
「嬉しい、です……」
そうつぶやくと、私はさらに強く抱きしめられた。
私が泣き止み落ち着いたころ、モルテさんは「セリカが嫌じゃなければ、そのおじさんの本を俺に見せてくれないか?」と遠慮がちにいった。
「嫌じゃないです。モルテさんのことが書かれていたから、本人には見せないほうがいいかと思って隠していただけで……」
「確かに、俺と王女が恋に落ちると書かれた本を見せられたら、燃やしてしまっていたかもしれないな」と頬を引きつらせている。
「その前に」と言ってモルテさんは私の膝のケガに薬を塗って治療してくれた。
「これは魔法じゃないんですね」と尋ねると、モルテさんは「治癒魔法を使えるのは魔法使いじゃなくて神官だ」と教えてくれる。
私の部屋に移動するときもお姫様抱っこしようとしてくれたけど、歩けるので丁重にお断りした。
部屋につくとカギのついた引き出しを開けて、中から父さんの本を取り出す。
本を受け取ったモルテさんは、パラパラと目を通した。
真剣な表情が困ったような笑みに変わっていく。
「おじさん……」
そうつぶやいたモルテさんの声はどこかあきれていた。
「セリカ、この本に書かれているお姫様は、エキドナ王女ではない」
「え?」
「俺がセリカを魔物から助けたのは、満月の日、湖のほとりだ」
それは本の中のお姫様が魔王様に助けられたときと同じだった。
「本によれば、お姫様はとても優しく出会ったすべての人が心惹かれてしまうような人なんだろ?」
「はい、そう書かれていますね」
「そんなの、まんまセリカじゃないか」
「はい?」
モルテさんは、あきれたように笑っている。
「まさか、そんな! そもそも、私はお姫様じゃないですから……」
「おじさんの口癖を覚えていないのか?」
「父さんの口癖?」
「おじさんは、いつもセリカのことをお姫様と呼んでいた」
とたんに私の脳裏に父の笑顔が浮かんだ。
――どうしたんだい? 僕の可愛いお姫様
私が落ちこんでいると、いつもそう話しかけてくれた。私はそんな父さんを「もう、恥ずかしいからやめてよ!」と嫌がった。だから、大きくなってからは、父さんからその言葉を聞くことは、ほとんどなかったけど……。
「おじさんにとってのお姫様は、この世でたった一人、セリカだけだ」
「父さん……」
父さんは、私がモルテさんと幸せになることを知っていてこの本を書いてくれたのね。
この世界にいたころの記憶を失ってしまった私が、モルテさんを見て怖がらないように。
モルテさんが優しい人だとすぐに気がつけるように。
そう思うと、胸がいっぱいになって、また涙があふれた。
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