【修正版】第34話 神話時代の生き物たち

 私がこの場にいると、また未来予知と違った行動をとってしまうかもしれない。


 せっかく運命の出会いを果たした二人の邪魔をしてはいけないと思い、私は静かにその場をあとにした。


 モルテさんと並んで歩いた王宮内の道を、一人で戻っていく。


 これからのモルテさんは、お姫様をとても大切にするはず。お姫様の幸せを願って、彼女のことを最優先にして……。


 きっともう、私のことなんて思い出す暇もないよね。


 そう思うと小さな胸の痛みが、少しずつ大きくなっていく。それと共に、私の胸に黒いシミが湧き出た。


 あんなひどいことを言う人が、モルテさんに大切にされるなんて……。


 お姫様が本のように優しい人だったら良かったのに。私が大好きな本の中のお姫様と魔王様が恋に落ちたら、こんな嫌な気持ちにはならなかった。


「……どうして、私がお姫様じゃないの?」


 そうつぶやいたとたんに、涙があふれる。


 ああ、そうか。私はいつからか、優しいモルテさんのことが好きになっていたのね。でも、モルテさんはお姫様のことを好きになるはずだからと、今までずっとこの想いに気がつかない振りをしていた。


 でも、モルテさんは運命の人に出会ってしまった。


「今さら自分の気持ちに気がついても、もう遅いね」


 後悔と諦めが入り混じり、泣きながら笑ってしまう。


 ファルスはもう馬車に戻っているのかな? 私がこんなに泣きながら戻ったら驚くよね。


 中庭を見つけたので、心を落ち着かせるために、私はしばらく夜空を見上げていた。それでも涙は止まってくれない。


 誰かの足音が近づいてきたので、私は慌てて指で涙をぬぐった。


 見ると見知らぬ執事風の青年がこちらに向かって歩いてきていた。一瞬だけモルテさんが追いかけて来てくれたのかも?と期待してしまった自分が恥ずかしい。


「何かお困りですか?」


 そう声をかけてくれた青年の髪色は赤黒い。片眼鏡をかけていて、瞳は金色だった。左目付近に大きな傷跡がある。


「セリカさん」


 名前を呼ばれて驚いてしまう。よく分からない恐怖を感じて私は一歩あとずさった。


「私はゲーディエと申します。顔を合わせるのは二度目ですが、あのときは私の力が戻っていなかったので、こうして人の姿で会うのは初めてですね」


 ニコリと微笑みかけられたけど、その目は少しも笑っていない。


「王女はあなたの存在が気に入らないそうですよ」


 逃げたほうがいいような気がして、私は少し後ろに下がりゲーディエと名乗った人から距離を取った。


「私はあなたに対してなんの思いもありませんけどね。私の片割れがそう願うので仕方がないのです」


 ゲーディエが右腕を上げると私の体は動かなくなった。右手を握るような仕草と共に、私の首が見えない何かで圧迫されていく。


「……っ!」


 助けを呼ぶために叫びたいのに声すら出ない。


 ゲーディエはまるで劇でも演じているように、左手を自身の胸に当てた。


「それにしても、神はなんてひどいんでしょうか。我々から力を奪っただけでなく、こんな矮小わいしょうな生き物と対にしてしまうのだから」


 もう息ができないと思ったとき、モルテさんにもらったブレスレットが淡く光った。それと同時に私の首を絞めていた見えない何かから解放される。


 そのことに気がついていないのか、ゲーディエはまだ一人で話していた。


「しかも、力を使うためには片割れの願いを叶えることが条件だなんて……。本当にバカバカしい」


 私はゲーディエに背を向けて全力で逃げたけど「ね、あなたもそう思いませんか? セリカさん」という声と共に、足に何かが巻き付いてその場に転んでしまう。


 ゲーディエがゆっくりと近づいてきた。倒れている私に顔を近づける。


「そういうわけで、バカバカしいですが、あなたには消えてもらいましょう」


 ゾッとするような暗い笑みをゲーディエは浮かべた。


 ……誰か、助けて……。


 誰かと言いながら、私は無意識にモルテさんがくれたブレスレットを胸に抱えこんでいた。大声で助けてと必死に叫べばモルテさんは来てくれるかもしれない。


 でも、モルテさんにはお姫様がいるのに、私が頼っていいの? そんなことをすれば、ようやくモルテさんとお姫様が出会って父さんの未来予知に近づけたのに、また大きくれてしまう。


 それに『禍を招く者』と呼ばれている私なんか、このままいなくなってしまったほうが、この世界にとって良いことなのかもしれない。


 諦めと共に死を覚悟したとき、私は誰かに抱き起された。


「大丈夫かー?」


 ファルスが私の顔をのぞき込んでいる。


「……ファルス?」


 気がつけばゲーディエが吹き飛んで地面に叩きつけられていた。


 ふらつきながら起き上がるゲーディエをファルスは指さす。


「あっ、オレが言ってた『危ないヤツの気配』とか『昔からオレのこと目のかたきにしてくるムカつくヤツがいる』とか、言ってたのコイツのことな」


 ゲーディエからは先ほどの余裕がなくなり、目が血走っている。


「ファルスか‼ 貴様、よくも!」


「あーもう! いつ会ってもおまえはうるせぇなぁ!」

「うるさいだと⁉ おまえのせいで、瀕死になった私は最近まで人の形すら取れなくなっていたんだぞ⁉」


 ファルスはポンッと手を打った。


「ああ、だから古城に招待状を持って来た女に憑りついていたのか。防御魔法がかかった門をあの女が通り抜けられたのは、やっぱ、おまえの影響だったんだなー。薄々、そうじゃないかなって思ってたんだよ。で、またオレにケンカ売るの?」


「当たり前だ! 力を取り戻すために、何度、片割れの願いを叶えたことか! 私がこんなにも苦労したのは全部ファルス、おまえのせいだ!」


「おまえ、そんなに弱ってたんか? そういや、古城のとき、おまえは片割れを見つけたあとなのに、オレに気がついてなかったっぽいもんなー! まぁ、そう言うオレもセリカが片割れだと気がつくまで、おまえの気配を感じ取れなかったけど」


 ゲーディエは怒りで震えながら、自分の左目付近のある傷を指でなぞった。


「余裕ぶりやがって……おまえにつけられたこの傷の恨み……今日こそ晴らしてやる!」


 ファルスはあきれた顔をしている。


「そんな傷、片割れ見つけたんならすぐに治せるだろ? もしかして、オレへの恨みを忘れないようにわざわざ残しておいたとか?」

「そうだ!」


「いや、そうだじゃねぇよ⁉ 粘着やめろ! 言っとくけど、その傷ができたときだって、おまえが先にケンカ売ってきたんだからな?」

「黙れ! どうしておまえが神竜なんだ⁉ この世で一番強いのは私だ!」


 ファルスが、神竜……?


 ゲーディエの姿がぐにゃりと歪んだかと思うと、赤黒い巨大な竜となって夜空へと羽ばたく。


「うわぁ⁉ こんなところでその姿になるとか王宮を破壊する気か⁉ そんなんだから、おまえは邪竜とか呼ばれて嫌われるんだよ! このバカ!」


 振りかえったファルスは私の手を取り、竜がいる方向とは逆に走り出した。


「セリカ、魔王様は今どこにいんの⁉」

「モルテさん? まだパーティー会場にいると思うけど?」

「じゃあ、そこまで走るぞ!」


 走りながら私はずっと気になっていたことをファルスに尋ねた。


「ファルスって……ドラゴンなんだよね? それで、私がファルスの片割れってこと?」

「あっ、さすがに気がついた? まぁ気がつくよな」 


 ファルスは「そうだよ」と笑う。


「あの竜が強いから逃げているの?」

「オレの方が強いって! でも、オレ、力加減できねぇから、ここで戦ったら王宮破壊しそうで怖いんだよな……。魔王様だったら、うまいこと対処できんだろ」


 武装したものものしい雰囲気の騎士達とすれ違う。竜退治に向かうのかもしれない。


 騎士達の中にモルテさんはいなかった。


 パーティー会場に入ると、中は混乱した貴族達で溢れていた。そんな中、騎士達が玉座に座る王様を守るように取り囲んでいる。


 モルテさんはどこ⁉


 会場の隅で、モルテさんを見つけた。お姫様と一緒にいる。胸が痛んだけど、そんなことに気を取られている場合じゃない。


 私達に気がついたモルテさんが、お姫様を置いて、こちらに駆けてきた。


「セリカ、ずっと捜していた! 無事だったんだな!」

「は、はい……?」


 予想外に向けられた必死な表情に、私は驚いてしまう。お姫様と一緒にいなくていいんですか?と聞きたいところだけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。


 ファルスが私達の間に割り込んだ。


「今は見つめ合っている場合じゃねーから! 魔王様、ちょっくら、あの竜どうにかしてくれねぇか⁉」


 パーティー会場の窓から竜がこちらに向かって飛んできている姿が見えた。会場内に複数の悲鳴が上がり、貴族達は我先にと逃げようとしている。


 そんな中、眉をひそめたモルテさんは「どうして俺が……王宮騎士が向かっただろ」と淡々と答えた。


「王宮騎士じゃ倒せねぇの知ってんだろ!」

「俺には関係ない」

「セリカが狙われてんの!」

「……は?」

「だから、あの竜の狙いはセリカだっつってんの!」

「……」


 モルテさんがすごく怖い顔をしたので、私は息をのんだ。


 こちらに駆けてきたお姫様がモルテさんの腕に触れようとしたけど、モルテさんはそれを避けた。


「え?」とつぶやいたお姫様は呆然としている。お姫様を見るモルテさんの瞳はとても冷たい。


「モ、モルテ様?」

「先ほどもお伝えしましたが、婚約の件はお断りさせていただきます」

「そんなっ、モルテ様にとって王家と繋がることはとても重要なことですわ! 母方の血筋が悪くとも、私と婚姻すればあなたを悪く言う人はいなくなります。アルミリエ公爵家が私につけばあなたが国王になることだって――」

「興味がない」


 お姫様の言葉をモルテさんは一掃した。


「王位に興味がない? で、でも、私の夫になれるのですよ? 高貴で美しく万能な力を持つ、この私の夫に!」

「だから?」

「え?」

「俺はあなたにも興味がないのだが?」


 お姫様は羞恥で顔を赤らめ、怒りで小さく震えている。


 私の隣でファルスが「オレが魔王様に出会ってすぐのころ『ガサツだと女にモテねぇぞ』っつって、最低限の敬語や貴族のマナーを教えたんだけどさ……。セリカ以外の女性に優しくすることも教えておくべきだったな……」とあきれていた。


 お姫様は怒りの形相で私を鋭く睨みつけた。


「まさかモルテ様は、私よりあの使用人のほうがいいとでもいうのですか⁉ あんなに気が利かないどこにでもいそうな女のいったいどこが――」

「おまえごときが、彼女を語るな」


 刺すような視線に、殺意がこもった声。お姫様は「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。そして、暗い瞳で「……あなたも私を選ばないのね……」とつぶやく。


「だったら……おまえももういらない。ランドルフのように殺してやる! ゲーディエ!」


 お姫様がそう叫ぶと同時に、パーティー会場の壁を竜が突き破った。轟音と共に悲鳴が上がる。


 騎士達に囲まれた王様がこちらに向かって「エキドナ!」と叫んだ。


 エキドナと呼ばれたお姫様はチラリと王様を見たけど、少しも興味がないようにすぐに視線をそらす。


「ゲーディエ! この会場にいる私以外のすべての者を殺しなさい! それが私の願いよ」


 邪竜は「その願い、承りました」と返事をする。


 ファルスに「あれ、なんとかできるか⁉」と聞かれたモルテさんは「ああ、セリカを守る」と返した。なんだか微妙に会話が噛み合っていない。


「いや、魔王様! 一応、ここにいる全員を守る気持ちで戦ってくれよ!」

「ファルスは、注文が多いな」

「オレ、間違ってないからな⁉」


 ハァとため息をついた魔王様が何かつぶやくと、私の全身を丸いガラスのようなものが包んだ。よく見ると、私だけではなく他の人も同じようになっている。


「この場にいる全員に防御魔法をかけた。これで死なないだろう」


 ファルスが「うわ、マジか! この数を一瞬で⁉ ヤバいわ、さっすが魔王様!」と拳を上げる。


「じゃあ、オレをやっつけたときみたいに、さっさとやっちゃってよ! 竜退治は得意だろ?」


 モルテさんはまじまじとファルスを見た。


「やっつけた時……? お前……まさか、だいぶ前に魔物の森に現れて、俺が追い払った竜か?」


「あーそんなこともあったなー。あのとき、魔王様にガツンとやられて、持ち物が全部吹き飛んじまってよ! 仕方がないから近くにあった廃墟っぽい古城に売れるもの探しに入ったら、オレを追い払ったヤツが住んでてマジで笑ったわ」


 チッとモルテさんから舌打ちが聞こえてくる。


「怪しい気配がなかったのはなぜだ?」

「そりゃ、魔王様にガツンとやられてオレが竜の姿に戻れないくらい弱っていたからだろ! アンタのせいだ、アンタの!」


 二人がそんな会話をしている間に、大きく開けた邪竜の口には赤黒い炎が集まっていっている。


 それに気がついたファルスが「うわーアイツ、ここら辺りを火の海にする気だー」とドン引きした。


「ほら、魔王様! 早く!」


 風魔法で宙に浮かび上がったモルテさんは、邪竜に向かって右手をかざした。すると、邪竜の顔周辺に、私を包んでいる防御魔法と同じものが現れた。


「防御魔法?」


 私のつぶやきにファルスが「まぁ、見ておきなよ」と笑う。


 モルテさんが右手をゆっくりと握ると、なぜか邪竜が苦しみだした。口内に貯めていた炎が消えて、防御魔法を振り切ろうと邪竜が左右に首を振り暴れる。


「ファルス、何が起こっているの?」

「あれなー。防御魔法で顔の周りを密封して中の空気を抜かれてんの。オレもやられたわ」

「そ、それは苦しいね」

「苦しかったー……」


 そのときのことを思いだしたのか、ファルスは遠い目をした。


 お姫様は邪竜を見上げながら「ゲーディエ! 何をしているの!」と叫んでいる。


「竜の力は万能なのでしょう⁉ 早く私の願いを叶えて!」


 答えられないゲーディエの代わりに、ファルスが答えた。


「確かに竜の力は万能で、望めばなんでもできる。でも、その場にその竜より強い者がいたら、ねじ伏せられてしまうんだよ」

「な、何が言いたいのよ⁉」

「だから、なんでもできるけど、絶対ではないってことだ。竜は神じゃねーからな」


 とうとう暴れていた邪竜がその場に倒れ込んだ。その衝撃で防御魔法が解けたようで、苦しそうに息をしている。


 側に降りて来たモルテさんは、私に向かって手を差し出した。


「セリカ、帰ろう」


 その手をファルスが叩き落とす。


「まだ、終わってねぇから! すぐにセリカを連れて帰ろうとするなっ!」

「あれだけ弱らせたんだ。あとはおまえがなんとかしろ」


 邪竜に駆け寄ったお姫様は「ゲーディエの回復を願うわ! 早く立ち上がって戦いなさい!」と叫んだ。


 願いの通り邪竜の傷が見る見るうちに癒えていく。


 それを見たファルスは「あーもう!」と言いながら腕を組んだ。


「でもまぁ、そうだな! 魔王様の防御魔法のおかげで、ここではオレがどれだけ暴れても人に害はないし、もうすでにパーティー会場はめちゃくちゃになってるから……いっか」


 あきらめ顔のファルスが、私を見た。


「セリカ、『ゲーディエを倒せ』とオレに願ってくれ」

「え?」

「セリカが願ってくれたら、オレは封じられているすべての力を一時的に使うことができる。そして、片割れの願いを叶えれば叶えるほどその力は強くなっていく」

「よく分からないけど、ゲーディエを倒して……? お願い」

「よし、任せろ! といっても、竜は同族殺しはできねぇんだよなー。まぁ、徹底的に痛めつけるか」


 ファルスの姿がぐにゃりと歪む。


 私が驚いているうちに、ファルスは巨大な金色の竜の姿に変わった。


 竜姿のファルスは、邪竜に炎を吹きかけ、暴れる邪竜の首に噛みつく。


 そのあまりの迫力に私が呆然と立ち尽くしていたら、いつの間にかモルテさんが私の側に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る