第3話 魔王様のお名前は?

 部屋の扉がノックされたので、私はソファーから立ち上がった。扉を開けると、魔王様が驚いたように後ずさる。


 あれ? 魔王様、さっきもこんな反応をしていたような?


 魔王様が私の手元を見て「その本……」とつぶやいた。


 そのとたんに、私はこの世界の未来が書かれている本を持っている危なさに気がついた。


 この本を魔王様が読んだら、お姫様と恋に落ちて幸せになる未来が変わってしまうかもしれない。それに、異世界から来た人なんて怪しすぎる。


 あせる私とは裏腹に、魔王様はかすかに微笑んだ。


「あんたが倒れていた場所に落ちていたから……。拾っておいたんだが、やっぱりあんたの本だったんだな」

「な、中を見ました?」

「いいや」


 しばらくの沈黙のあと「見ないほうがいいのか?」と聞かれたので私はうなずく。


「……なら見ない」

「ありがとうございます!」


 魔王様は視線をそらしながら「これ」とつぶやいた。


 差し出されたものは靴だった。


「え?」

「サイズ、あんたに合うか分からないが……」

「私が履いてもいいんですか?」

「ああ」


 魔王様、私が靴を履いていないことに気がついていたんだ。さっき廊下でチラチラと見られていたのはこのせいだったのね。


 魔王様が貸してくれた靴は、シンプルな作りで小さな花の刺繍が入っていた。


 女性ものだよね? でも、お姫様が履くような靴には見えない。ここにはお姫様以外の人も住んでいるのかな?


 靴はぴったりとは行かないまでも、歩くには問題なかった。


「履けます。ありがとうございます」


 改めて私がお礼を言うと、魔王様は顔をそらす。


「……何か食べるか?」

「あっ、はい」


 どれくらい寝ていたのか分からないけど、とてもお腹がすいている。


「こっちだ」


 そう言った魔王様のあとを私は大人しくついて行った。


 城の中を歩いていると、汚れているどころかまるで廃墟のようだった。


 私が寝ていた部屋は片付いていたけど、他の部屋は誰も使っていなさそう。まっすぐ歩いた結果、たどり着いた場所で魔王様は「ここが食糧庫だ」と教えてくれた。


 食糧庫内には、箱や袋が雑に置かれている。箱の中にリンゴのような果物が見えた。大きな袋の中身は小麦粉なのかもしれない。


 他には天井に届きそうなほど高い棚があり、その棚の上によく分からない物が並んでいた。


「食料はここにある。好きに食べていい」

「はい」


 魔王様は木箱から果物をひとつ取ると私に手渡した。どうしたらいいのか分からなくて私は魔王様を見つめる。


「えっと?」


 珍しく目が合っている魔王様が、不思議そうな顔をしている。


「食べないのか?」と聞かれてから、私はこれがご飯なのだとようやく気がついた。


 あ、あー! 魔法でバーンと料理が出てくるわけじゃないのね!?


 これから異世界の料理が食べられると勘違いしていた。


「えっと、じゃあいただきますね」


 食べようとした手を私は止めた。よく見ると、もらった果物にはうっすらと土がついている。


「食べる前に洗いたいんですけど、どこで洗えますか?」

「調理場は水が使える。外にも井戸がある」


 食糧庫の隣にある調理場は、とても広かった。

 壁には様々な料理器具がかけられているけど、どれもホコリをかぶっている。

 じゃぐちをひねると水が出た。


 水道がある世界なのね。ドロドロの汚い水が出てきたらどうしようかと思っていたけど……綺麗な水でよかった。


 果物を丁寧に洗って、おそるおそるかぶりつくとリンゴの味がする。


 うん、リンゴだ。


 なんとなく視線を感じて魔王様を見ると、勢いよく顔を背けられた。


 魔王様のこの、人に慣れていない感じ……。それに、汚すぎるお城の中……。もしかして、まだお姫様と出会っていないのかも?


 私が「あの、他の人は?」と尋ねると、「今は俺しかいない」と返ってきた。


 今はってことは、前は誰かと一緒に住んでいたのかな? これから運命の出会いがあって、物語のようにお姫様と恋に落ちるのね。


 父さんが書いた本によれば、二人の出会いは、森で魔物に襲われたお姫様を魔王様が助けることらしい。


 見たい! でもさすがに関係ない私は、ここから追い出されるよね。私がいたら本の内容も変わってしまうし……。


 いくら魔王様がお姫様に優しいからといって、他人の私をここに置いてくれるとは思えない。


 魔王様に助けられたお姫様は魔王様を怖がることなく接して、魔王様が本当は優しいのだと気がついた。そして、お姫様が身も心も美しかったから二人は恋に落ちた。


 私は改めて目の前にいる魔王様を見た。


 本の中では、魔王様が身なりを整えたら、実はものすごく美形だった、っていうシーンがあったのよね。


 その証拠に、長い前髪の隙間から見える目鼻立ちはとても整っている。スラリと背が高く、足が長いのでどんな服でも着こなせそうだ。


 こういうのをモデル体型っていうのかな?


 でも、今の魔王様は、身なりを整える前。髪は伸び放題だし、その眼光は鋭い。威圧感のある背丈に、黒づくめの服を着ている。ぶっきらぼうな物言いも相手を怖がらせるには十分だった。


 よく考えると、今の状態の魔王様を初対面で怖がらないって難しくない!? 私が平気なのは、父さんの本で魔王様が見かけと違って優しいと知っているからだもの。


 やっぱりお姫様ってすごいのね、としみじみしてしまう。


 でも、助けたあとにこんなに汚いお城にお姫様を連れて来るの!? お姫様、大丈夫かな?


 不安になりながら私が果物を食べていると、魔王様が口を開いた。


「この古城は、魔法で守られている。だから、城から出なければ魔物に襲われることはない」

「そうなんですね」


 ということは、ここから出るとまた魔物に襲われてしまうわけで……。この世界で他に頼れる人がいないし、魔王様に嫌がられても、やっぱりここに置いてもらうしかないような気がする。


「あの、魔王様。私、他に行く当てがなくてですね……。知り合いもいなくて」


 まさか他の世界から来ましたとも言えず、どういう風にお願いしたらいいのかと困っていると「ああ、だから、ここにいれば安全だ」と淡々とした言葉が返ってくる。


「えっ? それって、私がここにいていいってことですか!?


 長く伸びた前髪の隙間から見える魔王様の目は驚いていた。


「ここを出るつもりだった、のか?」

「出るつもりと言うか、いていい理由がないですし……」

「理由……外は、危ない。魔物が、その!」


 何故か必死な魔王様に少し押されてしまう。


「そ、そんなに危ないんですね」


 私が魔物に襲われているとき、魔王様が助けてくれなかったら、私はどうなっていたのか……。想像すると怖くなってきた。


「改めて、助けてくださりありがとうございました」

「い、いや」

「それに、追い出されても仕方ないのに、ここにいてもいいだなんて。本当にありがとうございます」

「……ああ」


 魔王様は顔をそらしたので、どんな表情をしているのか分からない。


 とりあえず、元の世界に帰る方法が分かるまで、ここにいさせてもらうしかないよね。


 帰る方法が見つからなくても、魔王様とお姫様が出会ったのを見届けたら、すぐにここから出て行こう。そうすれば、ストーリーの邪魔にはならないはず。


 そのためにも、この世界に慣れて一人で生活できるようにならないと……。


 考え込む私に、魔王様が声をかけた。


「……あの部屋は、セリカが好きに使ってくれ。部屋の中にあるものは、すべて自由にしていい」

「えっいいんですか? って、あれ? どうして私の名前を?」


 私達の間に沈黙が降りた。


 そういえば、ベッドで寝ているときも名前を呼ばれたような?


 魔王様が私のことを知っているはずないのに……。


「あっ魔法! 私の名前、魔法で分かったんですね? 魔王様とお呼びしてもいいですか?」


 眉間にシワがより、魔王様の瞳が鋭くなった。


 あれ、怒ってる? 馴れ馴れしすぎたかな?


 私があせっていると、視線をそらした魔王様は「……モルテ」とつぶやいた。


 なるほど、魔王様にも名前があるのね。


「では、モルテ様で」


 ハァと魔王様の深いため息が聞こえてくる。


「様はいらない」

「でも……」


 チラリとこちらを見た魔王様が、悲しそうに見えたので私は口を閉じた。


 もしかして、魔王様は一人で寂しいのかな?


 お姫様に出会うと人生ががらりと変わるけど、今はまだそのときじゃない。


「モルテだ。それ以外はダメだ」


 強い意志を感じて、私はうなずいた。


「分かりました。では、モルテさんで」

「それなら……まぁ」


 話がまとまったので、私は改めて料理場を見渡した。立派な料理場なのに、長い間使った形跡はない。テーブルを指でなぞると、うっすらホコリが積もっていた。

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