第2話 魔王様に拾われました
私が『幸福を呼ぶお姫様と森の魔王』の世界に迷い込んでしまったのは、今から数週間前のことだった。
きっかけはおそらく、大好きな両親を車の事故で同時に亡くしたことだと思う。
一人っ子で親戚もいなかった私は、ある日突然、天蓋孤独の身になってしまった。
両親の通夜や葬式は、近所のおばさん達が手伝ってくれた。
喪服に身を包んだ私は、喪主として参列者を出迎えていたけど、お悔やみの言葉がまったく耳に入ってこなかった。ただ、降り続く雨音だけが私の耳に届いていた。
葬式が一息ついたころ、おばさんが「セリカちゃん、何か食べたほうがいいわよ」と言ってくれたけど、食欲は少しもなかった。
それどころか、両親の死亡連絡を受けたときから今まで、まともに眠れていない。葬式中、不思議と涙は出なかった。
葬式が終わり灯りのついていない家に一人で帰ったときに初めてもう両親に会えないのだと実感した。
家の中のどこを見ても、両親の姿が浮かぶ。
――おかえり、セリカ
――今日はどうだった?
――セリカ、早くお風呂に入っちゃって
――まぁまぁいいじゃないか
それでも涙は出てこない。
私は真っ暗な部屋の中で、ソファーに身を沈めた。ふいに睡魔に襲われる。
そのまま眠ってしまったようで、気がつけば私は夢を見ていた。どうして夢だと分かったかというと、私の目の前に大好きな父さんと母さんがいたから。
二人は幸せそうに笑っている。
「セリカ」
名前を呼ばれた私は子どもの姿になっていた。胸には一冊の本を大事そうに抱えている。
本の題名は『幸福を呼ぶお姫様と森の魔王』で、優しい姫と孤独な魔王が出会い恋に落ちて幸せになるお話。
それは小説家だった父が私のために書いてくれた特別な本だった。この本だけは父が自分でイラストまで書いている。
表紙には鋭い目をした全身黒づくめの魔王が描かれていて、子どものころの私は、大好きなその本を何度も繰り返し読んでいた。
「セリカは、その本が大好きだなぁ」
そう言いながら父さんが私の頭を撫でる。
「うん、お姫様も魔王様も優しくて好きなの」
「そっか、それはよかった」
私はこれが夢だと分かっている。この幸せな夢から覚めたくなかったけど、そういうわけにはいかない。
目覚めた私はソファーで、しばらくぼんやりしていた。それほど長く眠っていたわけではないようで、まだ夜が明けていない。
私はふと、父が書いてくれた本を読みたくなった。
あんなに大切にしていたのに、成長するにつれて大切なものが変わっていき、今はもうあの本がどこにあるのかわからない。
長い間、あの本を見てなかったけど、父の書斎にならあるかもしれない。
書斎に入ると山のように本が積み上げられていた。この中から探すのは大変そうだ。
そう思ったのは一瞬だった。吸い寄せられるように本棚に近づくと、そこに探していた本があった。
「懐かしい……」
本を手に取ると、パァと光があふれ出す。
気がつけば私は、なぜか夜の森の中にいた。頭上には大きな満月が輝いている。
もう夢から覚めたと思っていたけど、まだ夢のつづきを見ていたみたい。
ぼんやりと突っ立っていると、大きな獣に襲われそうになった。
あ、死ぬ、と思った瞬間、死んでも誰も悲しんでくれないことに私は気がついてしまった。悲しんでくれるはずの両親はもういない。
だったら、いいか。
逃げもせず立ち尽くしていると、偶然にも私に飛びかかろうとしていた獣に雷が落ちた。
その衝撃でふらつき、私はその場に倒れてしまう。
「大丈夫か!?」
そんな声と共に誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
そこで、プツリと夢は終わった。
**
カーテンの隙間から光が漏れている。いつの間にか夜が明けて朝になったみたい。
ベッドで横になっている私は、見知らぬ天井に違和感を覚えた。
ここはどこ? 私はまだ夢のつづきを見ているのかもしれない。どうせ夢ならずっと父さんと母さんの夢だけ見せてくれたらいいのに。
そのとき部屋の中に誰かが入ってくる気配がした。私を起こさないように気を使っているのかそっと扉を開閉しているのが分かる。
これは母さんじゃないわね。母さんは、いつも思いっきり扉を開けて『早く起きなさい!』って遠慮がなかったから。
ベッドの側まで来たその人は、そっと私の額にふれた。大きな手で熱があるかどうか測っているようだった。
「……セリカ」
名前を呼ばれたのでうっすら目を開くと、側にいる人から「う、わっ!?」と小さな声が聞こえる。驚かせてしまったのか、その人はベッドから半歩飛びのくような仕草をした。
てっきり父かと思っていたのに、父よりずっと若い男性がベッドで眠る私を見下ろしている。
黒いマントをまとった全身黒ずくめの青年は、真っ黒な髪を無造作に伸ばしていた。長い前髪の隙間から見える鋭い目が私をにらみつけている。どうしたらいいのか分からず見つめ返すと視線はすぐにそらされた。
本当なら悲鳴でも上げないといけない状況なのに、私はなぜか懐かしい気持ちになった。
なんだか、この人、あの本に出てくる魔王様みたい。
私がベッドから上半身を起こすと、枕元に父の本が置かれていた。ぼんやりする頭のままで、手に取り目の前の青年と見比べる。
魔王様みたいというより、完全に魔王様……。
ベッドの側に立ち尽くしている青年に「もしかして、魔王様ですか?」と尋ねると「どうしてそれを?」と戸惑うような声が返ってきた。
本当に魔王様だった。変な夢だけど、悲しい夢よりはいいか。
「魔王様。ここはどこで、どうして私はここにいるんでしょうか?」
その質問を聞いた魔王様の目がさらに鋭くなる。
「……ここはシュヴァリア国のアルミリエ公爵領だ」
「シュバ? え?」
「見たほうが早いかもな。……立てるか?」
「あっ、はい」
私がベッドから降りると、魔王様は『ついて来い』とでも言いたそうに歩き出した。
室内はヨーロッパ風の作りになっている。扉から外に出ると、まるで中世のお城のようだった。ただし、全体的に薄汚れていて、とてもじゃないけど綺麗だとは言えない。
石造りの廊下はひんやりとしていた。
あっ私、靴を履いていない。でも、さすがに魔王様に靴を貸してくださいなんて言えないわ。
ひび割れた大きな鏡の前を通ったとき、私は自分が喪服姿なことに気がついた。嫌でも両親の葬式を思い出してしまい暗い気持ちが湧き上がる。
「こっちだ」
「あっ、はい」
魔王様は背が高いので足が長い。だから、魔王様の一歩と私の一歩には差があった。急がないと距離がどんどん離れてしまう。私が小走りで魔王様を追いかけるとバルコニーにたどり着いた。穏やかな風が吹き抜けていく。
そこから見た景色は、一言でいえばどこまでも広がる森だった。
「ここは魔物の森の中心部にある古城だ」
「魔物の森?」
「魔物が多く巣くってるからそう呼ばれている。あんたが森で魔物に襲われていたところを俺が見つけてここまで連れて来た」
あの大きな獣は魔物だったらしい。
魔王様がいるんだから魔物がいてもおかしくないか。
「あの時、急に雷が落ちてきて、誰かが大丈夫かって……」
「ああ……あんたが危ないと思って、咄嗟に雷魔法を放った」
「魔法!」
私は手に持っていた父の本を握りしめた。
そっか、この本でも魔王様は魔法を使っていたっけ。
これは『幸福を呼ぶお姫様と森の魔王』の夢だもんね。
私が納得していると、魔王様は「部屋に戻ろう」と淡々と伝える。来たときと同じように、私は魔王様のあとを追った。
その途中で魔王様は、チラチラとこちらを何度も振り返る。
「あの、何か?」
「い、いや……」
部屋に入ると私をおいて、魔王様はどこかに行ってしまった。
一人になった部屋の中で私はため息をつく。
「はぁ、えっと……」
ソファーに座り父の本をめくった。
「この国はシュバ、なんだったっけ?」
子どものころに何度も読んだけど、細かい内容までは覚えていない。パラパラとめくりながら国の名前を探す。
「シュヴァリア国のアルミリエ。あっ、たぶん一緒」
そして、本の中の魔王様は魔物の森の中にある古城に住んでいた。
「そうそう、それで森に迷い込んだお姫様が魔物に襲われているところを、魔王様に助けられるのよね」
この本には魔王様の絵はたくさん載っているのに、なぜかお姫様の絵は一枚もない。本によれば、お姫様はとても優しく出会ったすべての人が心惹かれてしまうような人らしい。
「きっとお姫様は、すごい美人で心も綺麗なんだろうなぁ。一度でいいから見てみたいわ」
本をめくっていると、お姫様が魔王様に助けられたあとに運ばれた部屋の挿絵が描かれていた。
「ん?」
部屋の絵と、私が今いる部屋の作りがそっくりだった。
「もしかして、これは夢じゃなくて、私が本の中に入っちゃった、とか?」
冷静になれば、夢にしては意識がはっきりしすぎている。
バカバカしいと思いながらも、それ以外考えられない。
「確かお葬式が終わったあとに、一人で家に帰って……」
喪服のポケットを探ると葬式のスケジュール表が出て来た。両親が亡くなったのは夢じゃない。それこそが夢だったらよかったのに。
「急にこの本が読みたくなって、父さんの書斎に行ったのよね。そこで……」
本を手に取ったとたんに、光ったような気がする。そして、気がつけば森の中にいた。
「あのとき、本の中に吸い込まれたってこと? そんな古い映画があったような……?」
私は一瞬だけ『どうしよう!?』と思ったものの、すぐに落ち着いた。
「どうせ向こうでは一人なんだから、どこにいてもいっか」
この古城には魔王様がいる。もしかしたら、お姫様も一緒に住んでいるかもしれない。子どものころに憧れていた二人に会えるかもしれないと思うとワクワクしてしまう。
不思議なことに巻き込まれているのに怖いとは思わなかった。なんとなく、父さんがここに私を連れてきてくれたような気がしたから。
「父さんが書いてくれたお話しだもん。大丈夫だよね?」
私はそっと本を閉じた。
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