第44話


 バレーナが執務室で書類作業に没頭する……もう九時間ぶっ通しで続けている。

 会議がないとなれば終わるまで止めない。それでは身体が持たないだろうが、最近はロナの助言すらまともに受けようとしない。邪魔にならないように遠目からサポートするロナだが、バレーナがいつ倒れるのか気が気でならない。

 ロナが壁の時計を見上げた時、ドアがノックされて執事のザルドーが入ってくる。

「バレーナ様、お食事の時間でございます」

「今はいい。後で食べる」

 朝食を口にして以降、その回答は四度目である。当然昼は食べていない。

「バレーナ様…」

「そこに置いておいてくれ。片付けは自分でする」

 手を止めず、顔を向けようとすらしない。と、ザルドーを押しのけるようにしてメイドが入ってくる。

「バレーナ様。お食事の時間でございます」

 両腕に器用に大皿小皿を四つ持ってバレーナの机の前までやってきたメイドは、先ほどのザルドーの口調を準えるように復唱したあと、ペンを走らせている書類の上にやや乱暴に皿を並べていく。バレーナが顔を上げると、ウラノだった。

 さすがのバレーナも眉間に皺が寄るが、ウラノも冷めた目で見下ろす。およそ主従の関係ではない。ロナは城に詰めるようになってこういう場面を二度ほど見たが、もうハラハラだ。

 ウラノというメイドはアケミ様のようにバレーナ様の幼馴染ではないのに、どうしてこんな態度がとれるのだろうか? 不思議でならない。ザルドーなど、大声こそ上げないが、怒りで顔が真っ赤になっている。

「恐れながら告げ口させていただきます。厨房内でのことです。近頃のバレーナ様はお食事が不規則すぎる。タイミングが掴めないが、我々はいつまでキッチンに張り付いていなければならないのだろう、と」

 冷たく言い放つウラノ。不機嫌だったバレーナは一転、旗色が悪い…。

「……すまん。ロナも休憩に……いや、今日はここまでにしよう。ウラノ、片付けを手伝ってくれ。ザルドー、八時過ぎに風呂に入る。そのように進めてくれ」

「かしこまりました…」

「ああ、あと…ウラノを叱りすぎるな。私に非があったことだ」

「…………」

 ザルドーは返事をせずに退出する…。バレーナは肩をぐるぐると回しながらため息を吐く。

「ウラノ……どうしてそうなんだ。意図を理解する私はともかく、他の者に印象が悪いだろう」

「別に私はバレーナ様にご忠言差し上げているわけではございません」

「全くこれだ……どうだロナ?」

 どうだと振られても困るロナだが……

「…物言える部下ほど手元に置くべし、とは言いますが……あまりよろしくないのではないでしょうか。一介のメイドの意見としては強すぎて、周囲に誤解を与えてしまいます」

「失礼ですが、現在バレーナ様に一番近く、立場もほどよくしがらみのないロナ様がきちんと陛下を誘導されれば、今回のことはありませんでした」

 そう言われてはぐうの音も出ない―――。

 そんな会話をしているうちにウラノがあっという間に書類の山を分類別にまとめてしまい、机の上は広々としたスペースを取り戻す。そこにナプキンが敷かれ、改めて皿が並べ直されると、待ちに待ったディナータイムが始まる。不覚にもロナのお腹はフォークとナイフを持つ前に鳴ってしまった。

「…失礼しました」

「おかわりはご用意できますので、いつでもお申し付けください」

 ウラノは平坦な口調で述べて、部屋に入れたカートを横に、壁際で直立不動で控える。

 しばらく黙々と料理を口に運び、少し落ち着いてきた頃、ロナは遠慮がちに切り出した。

「バレーナ様……お話があるのですが…」

「うん?」

「その……」

 チラリとウラノに目線を送る。

「個人的なことか? なら、ウラノを下がらせるが――」

「いえ、アケミ様のことで…」

「ああ……それなら大丈夫だ。アケミは今のウラノと顔見知りだ」

 さっきの仕返しだろうか、含みを持たせた言い方はわざとらしいが、ウラノは全く動じない。

「アケミの様子はどうだ? まだ立ち直れていないか…?」

「私も最近直接お会いしていないのですが、芳しくないようで……。しかしこのままでは親衛隊の計画は頓挫してしまう可能性が大きいでしょう。形にするところは認められたものの、バレーナ様が戴冠される時までに具体的な実績を出さなければ以後の存続は難しくなります。計画の中心であるアケミ様に早急に復帰していただく必要があります。そこで………バレーナ様からアケミ様にお声をかけていただけないでしょうか。私はアケミ様とクーラさ……クリスチーナとの関係を、事が起こるまで気づいていませんでしたが、普段の様子から相当な密愛だったのではないかと察します。やはり事件のショックは計り知れないでしょう………。そこで、バレーナ様にアケミ様を褒めていただきたいのです」

「褒める…?」

「褒めるというか、認めていただければ。バレーナ様のために働いたと納得できれば、いくらかでも気持ちが楽になると思うのです。お願いできないでしょうか……?」

 バレーナはナイフとフォークを置き、ワインを一口含み、机に肘をつき、組んだ手の上に額を乗せて………

「……それはできん」

 苦々しく返答した。

「大きく見れば、私のために行動を起こしたのは事実だろう。会議で私も言ったことだしな。しかしそれを一番の理由にするわけにはいかん。私の代執行ということにすればアケミは幾分救われるだろうが、しかし人を斬る理由がそれではだめだ……ましてシロモリなら尚更だ。シロモリは……アケミは、これからも人を斬り続けるだろう。それは義務であり、宿命だ。その理由を他人に依存していては命が軽くなる」

 重く息を吐き出し、顔を上げたバレーナは、手はそのままに顎を乗せる。

「シロモリの女当主が女にハニートラップに嵌められたというスキャンダラスな面が一人歩きしている今回の件だが、通常同じことが起こった場合、事後処理に当事者は関わらせない。当然だな、気持ちが残っていればスパイに有利になるように働きかけるかもしれないし、厳正に処罰を下すこともままならないだろう。そこは疑いだけでなく、同情をもって察するものだ。だからもしアケミが件の女スパイを逮捕することを拒んだとしても、それは折り込み済みだったはずだ。いくら当主とはいえまだ若い、反省の意思を示し、いくらかの処罰を受けて終いにするというのが妥当なところだろう……私も同じような立場だから若さを甘えにしたくはないがな。だが、アケミも頭のどこかでわかっていたはずだ。その上で自ら手を下したのは、覚悟を示すためだ。新設する部隊は女王直轄、裏切り者が出れば大問題だ。小娘の集まりと罵られる中で、自浄作用が存在すると証明する必要があったのだ。もちろん、他に個人的な理由もあっただろうが……」

「個人的な理由…?」

「……私なら、最愛の人のことを他人任せにはできん」

 その一瞬、バレーナの目が険しく歪んだのをロナは見た。

「…アケミはそれらを承知した上で相手を斬った……斬ろうとしたはずだ。決して義務感ではないだろう。だから現状が苦しくても向き合わねばならない。人を斬る理由を、己自身で見出さなければならないのだ。ゆえに、自ら私の前に現れるまでアケミには一切手出しをしないつもりだ。親友のくせに冷たく見えるだろうが……」

「いえ、そんな……私は商人ですので、そのようなお心遣いの機微はわかりませんでした。申し訳ありません…」

「いや、いい……私も口に出して少しすっきりした。私も悶々としていたし……本当は傍に寄り添ってやりたい。しかしそれで出来上がりかけた部隊を潰してしまっては元も子もないしな。私にできるのは、挽回できる場をつくってやることだけだ。ロナにも助けて欲しい」

「もったいないお言葉……全力を尽くします」

 顔を伏せるロナ。次いで、バレーナの視線は壁際のウラノに向く。

「ウラノも協力してくれるか?」

「私は一介のメイドでございますれば、常に全力で陛下のお世話をさせていただいております」

「フ、全くぶれんな、ウラノは。ロナも私と二人の時はもっと気楽にしてくれればいい」

「はあ…」

 鉄面を被ったように無表情のウラノが気を楽にしているようには、ロナには見えない……。








 夕刻を過ぎ、胡蝶館も客でいっぱいになる。夕餉を全て調理し終え、まな板を洗っていたライラはふと手を止める。

「アイツ、まだいるのかな…」

「シロモリ様ですか? まだいらっしゃるんじゃないですか?」

 フラウが独り言のようなつぶやきを拾って答えてくれる。

「まさか……泊まるつもりじゃないわよね…」

「え? え!? それって…♡」

「ない。絶対ないから」

 色めき立つ後輩たちから逃げるようにまかないを持って自室に戻る。手に持つ膳はもちろんアケミの分だ。

「どうして私が自分の部屋に他人のご飯を用意しなきゃなんないのよ…!」

 一人愚痴をこぼしながら廊下を踏み鳴らしていくと、自室のドアの向こうに不穏な気配を感じた。

「………」

 そっとドアを開けて中を伺うと……ベッドに座ったアケミが膝に置いた長い刀と向き合っていた。

(………?)

 空気が違ったので、しばし様子を伺う…。

 黒い漆で塗られた刀をいくらか見詰めたアケミは、抜こうと右手を上げる。しかし柄に近づくにつれて右手は震えだし……やがて指先から腕全体まで伝播していく。それでもどうにか握り締めたアケミだが―――抜けない。

 わざとやっているわけではないだろう。まるで地面に埋め込まれた巨岩を持ち上げるような苦しげな表情で、歯を食いしばるアケミは本気だ。それでも刀は……鞘から僅かな隙間も見せることはなかった。

「くそ……くそ…!」

 アケミが背を丸めて呻く。長い髪に隠れて、その表情は見えない……。

 ライラはドアノブから手を離し、厨房へ戻ることにした…。




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