第45話




 グレイズとアケミの勝手な契約に巻き込まれて二週間。「シロモリさんのお世話係」となったライラは、いい加減ストレスが溜まっていた。アケミが店に来るのは今日で五回目……一週間に二回以上のペースで来ているのである。まるで大店の店主並のペースだ。さすがに小娘で払える金額じゃないだろうと帳簿を盗み見たら、自分の金額は新人の娼婦並…いや、ちょっと下だった。

 ……確かに、娼婦としての仕事はしていない。アケミの要求も「メシ」「フロ」「ネル」。あってもマッサージしてとか添い寝してとか……わがままというか甘えというか、その程度だ。さらにそれも「知るか!」と蹴ってしまうことが多いから、実際には宿屋の従業員程度のサービスしかしていない。だから妥当な料金設定ではあるのだが……腐っても元売れっ子娼婦のプライドはある。しかも部屋は好き勝手占領される上、娼婦が得る個別の手当は出ない。つまり、働き損なのだ。ただでさえ面倒な上に報酬もないとなれば、さすがにやる気も下がる。今の自分を動かしているのはアケミを拾ってしまった責任感と、わずかに見せる暗い表情を放っておけない損な気質だ。

 そして今日もアケミ……シロモリ様のお相手をする。今日はデートだそうだ。もはや文句のボキャブラリーも尽き、買出しついでという条件で付き合う。

「せっかくだしさ、この辺り案内してよ」

「………」

 隣を歩くアケミが馴れ馴れしく絡んでくるが無視する。

「あれ…機嫌悪い?」

「機嫌っていうか………アンタ、いい加減こんなこと止めなさい。金をドブに捨ててるようなもんよ。私は何もできないし、してあげる気もないんだから」

「またその話? いいよ、話し相手してくれれば」

「親とか家族がいるでしょ、家に」

「親父殿は寡黙で口下手だし、妹とは決闘してから距離あるし、母さまはあたしが女と付き合ってた事実に耐えられなくて実家に帰っちゃったし、まあ………なんというか、ちょっと」

 父と母のことはともかく、妹と決闘ってなんだ……妹いくつなんだ?

「………じゃあ、友達とか…」

「それが一番会いにくいとこにいるんだよねぇ…」

「…だとしても。とにかく気晴らしにしても、こんな金の使い方してたら駄目になるから―――」

「ちょっと待って」

 長刀を持つ左腕で行く手を遮るアケミ。その瞳は見たことがないほど鋭い、剣士の眼差しだった。



 女は角を曲がると足を止めた―――と同時に、

「――動くな」

 背後から黒い漆塗りの鞘……アケミの長刀が女の首元に当てられる。

「フードを脱いで、両手を挙げろ。おかしなマネはするなよ」

「………」

 女がフードを下ろし、振り返る―――

「あれ!? え…??」

 見覚えのある顔。不機嫌満面のウラノだった。





 


 全く事態についていけていない……ライラは買い出しすら放棄して帰りたかった。

 いきなり私を乾物屋に押し込んだアケミは一瞬の隙に姿を消し、二分後に女を連れて戻ってきた。そして今は女を含めた三人でオープンカフェのテラスに座っているのである。

 ちなみに周りに他の客はいない。夜が華の歓楽街では一番金を持っている娼婦は昼間は篭って休んでいるのがほとんどだ。この店の収入源はもっぱら夜中のバーである。

「久しぶり、ウラノ。でもどうしてこんなところにいるんだ?」

 右隣に座るアケミが向かいの「ウラノ」に話しかける。ウラノはアケミと同じくらいの年頃だろうか。地味な装いで化粧もしていないが身なりは綺麗で、容貌もなかなかよい。なにより所作に気品がある。

 ただし、

「本日もご機嫌麗しく、シロモリ様。ご質問に簡潔にお答えしますと、不甲斐ないあなた様のとばっちりです」

 言葉が刺々しい…。この子はカーチェと同じタイプだ。態度こそ大人しいが、嫌味ったらしく毒を吐く。そしてカーチェの行動パターンに照らし合わせると、おそらくめちゃくちゃ機嫌が悪い。

「あー…ライラさん、彼女はウラノ。ウラノ……なんだっけ?」

「ただのウラノで結構です」

「えと…ウラノ。王女付きの侍女」

「王女様の…! すごい…!」

 と、ウラノの眉がぴくりと跳ねたのがわかった。アケミに「余計なことを言うな」と目で訴えているのがわかる。

「大勢のメイドの内の一人です。私個人は平民の出ですので」

「でも確かお城で働けるのは貴族の縁者か、推薦を受けるか。コネがないと無理だって聞いたことがあるけど」

 そう言うとウラノの目が鋭くなる。その対象はアケミではなく、私…!?

「…こちらの方は?」

「ライラさん。胡蝶館ってお店でまかないとか作ってる人」

「胡蝶館…!?」

 ウラノの顔色が変わった。今日一番の変化かもしれない。そしてついにアケミに対して不快感を全開にした。

「全く……今回ばかりは呆れました。あなたという人は、同じ轍を踏むつもりですか」

「? どういうことだ?」

 静かに息を吐き出し……ウラノはアケミを、そして私を、半ば軽蔑するような眼差しで見る。

「胡蝶館のオーナー、『女将』グレイズはこの界隈、いえ、ここを含めたグロニア中の歓楽街に影響を持つ人物です。彼女の手によって、現在娼館は一つの組織として成立しています。その力の源は情報―――。酒の席、あるいは寝所……理性が融け、本能が解放される場ではどんな機密も漏れ出てしまう。胡蝶館は規模こそ中堅ですが、凝った趣向がウリだとか。身分を隠して利用する貴族や政治家、将校も多いそうですね。本人が大したことないと思っている些細なゴシップでも、集めてつなげればエレステルの全貌を垣間見ることもできるでしょう。情報の集積体である娼館は、ある意味で国家に相対できるほどの力を持ちえるのです」

 何を言っているんだ、この女は…!? グレイズが歓楽街で顔が利くのは間違いないけど、国を相手にできる情報を持っている? そんなバカな…

 しかしウラノはチラリと私を見てから冷たくアケミを睨む。

「打ちひしがれているところでこの人に優しくされましたか? 相手も傷を持つからつい同情して、慰め合いますか? 付き合ってた人を自ら処断した貴女の元に優しくしてくれる女が現れるなんてそんな偶然、あるわけないでしょう。そんなに女の肌が忘れられませんか」

「なっ…」

 あまりの言い様にさすがに頭にきた…!

「…ちょっと、さっきから黙って聞いてれば…! 私はこいつを騙してないしっ―――身体だって許してない…! 変な言いがかりは…!」

「お見受けしたところ二十歳過ぎですね。アケミ様が年上好みだということも調査済みですか。さすが、手抜かりありませんね」

「はあ!? いくら王女様付きだからって、言っていいことと―――」

「――ウラノ、言い過ぎだ。謝れ」

 アケミは静かに、まるで何事もないようにサラリと述べた。かなり辛辣にこき下ろされたのに、他人事だと思って…!

 だが、そうではなかった。アケミは捨てられた猫の様な、寂しそうな顔で目線を落とす。平気なのではなく、抉る様な罵詈雑言を浴びせられて気力がないのだ。が、それでもウラノは口を閉じない。

「もう骨抜きにされましたか。手酷く裏切られて、よくも懲りないものですね」

「アンタっ…!」

 いい加減手が出そうになったところで―――

「裏切られてなんかいない。裏切ったのは、あたしのほうだ」

 初めてアケミの語気が強くなった。

「あたしがもっとクーラさんと向き合っていれば、自分と向き合っていれば、クーラさんだってあんなことを起こしはしなかった。ミリムを殺したりもしなかった! あたしが甘かったから……あたしのせいで、二人は死んだんだ……」

「…………」

 自分が原因で事件が起こり、恋人?仲間?が死んでしまった―――アケミはそう思っているらしい。真相を知らない私には何を言っているのかわからないが、事情を知っているらしいウラノも困惑しているのが目元でわかった。

「……バレーナ様に様子を見てくるように仰せつかりましたが、無駄足でした。もはやアケミ様は戦士ではないようです。反対を押し切って隊の設立認可まで漕ぎつけた殿下のご尽力も、どうやら徒労でしたね。お気に入りの娼婦と淫蕩に耽るなり、婿養子を迎えてさっさとお子を産むなり、お好きにどうぞ。二度とシロモリを名乗ってバレーナ様に近づかれませぬよう。では、失礼いたします」

 ウラノは席を立ち、姿勢よく静かに去っていく。残った私たちにしばらく言葉はなく、風の音だけが二人の横を流れていく……。

「………」 

 世間では噂が実しやかに囁かれているが、アケミ自身は相当苦しんでいる。それだけは間違いない。酒に溺れて店に現れた時のあの顔は、ヤケを起こしたというより救いを求めていたのかもしれない。愛していた人に自ら手をかけた衝撃は想像を絶する、が……

「……ごめん、ライラさん。くだらないことに巻き込んじゃって……」

「―――しっかりしろッ!!」

 この期に及んでヘラヘラしてるアケミにムカついて、頭を思いきり叩く。

「あんな言い方されて腹立たないの!? 一体アイツ何!? 何様のつもり!?」

「ウラノは素直というか、正論を並び立てないと気がすまないっていうか……」

「どこが正論よ! グレイズはともかく、胡蝶館のみんなは真面目に働くいい子たちよ!? 私が弱ってるアンタに付け入ったとか、ありえない!」

「それはそうだけど…」

「くやしくないの!!? アンタずっとうなされて、剣も抜けないほどトラウマになったんでしょう!? 今だってその人のこと好きで……信じてるんでしょ!?」

 ウラノに責められてから伏し目がちのアケミが目を見開く―――…

「どうして、剣が抜けないって…」

 あ……しまった、覗いて見てたんだった!

「それはだってアンタっ……私の部屋にいるのに、何でバレないと思えるの!? 部屋占領して好き勝手してるくせに、見られたくないんだったら来るな!」

「でもお金払ってるし…」

「うるさい! 私を抱きたかったら、一人前になってから来い――!!」

 立ち上がって勢いで捲したてて―――三秒経ってから顔面が硬直した。いくら近くのテーブルに人がいないとはいえ、店は無人ではない。いくら昼間とはいえ、往来を歩く人はゼロではない。むしろ皆、知った顔の人間ばかりだ。なのに私は大声で、なんてことを……!!

 しばし呆気にとられていたアケミは、人の気も知らず、クスクスと笑う。

「やっぱりライラさんは他人を騙せる人じゃないな。私を嵌めようとしてるなら『来るな』なんて言えない」

「嵌めるとか騙すとかじゃなくて、私はただ…!」

 弁明する前に袖を引かれ―――アケミが私の胸元に顔を埋めるように抱きついてきた。

「やっ…何やって…!!」

「ちょっとの間でいいから、こうさせて…」

「………」

 ぎゅっとしがみついて、離れない。添い寝した時と同じだ……そう思えば押し返すこともできず、しばし棒立ちになる。周りから注目されているのを肌で感じるが、もうどうしていいかわからず、店の奥にいた店主とはたと目が合う。店主はすぐ顔を逸らし、奥へ引っ込む……ああ、今晩中には噂が広がるだろうなぁ……。

「あたしは……甘えさせてくれる人が欲しかったんだ…」

 胸に顔を押し付けたまま、アケミは独り言のように心の内を漏らし始める。

「剣の才能はある。でも、人を斬るのは苦手で……それでもあたしがバレーナの力になれるのは剣しかなくて、ずっと振り続けてきた。クーラさんはそんなあたしに気付いて優しくしてくれて、あたしの目的のために助けてくれて、あたしが剣を振る理由をくれて、あたしを愛してくれた……。母のように、姉のように甘えさせてくれる人に憧れていたのかもしれない。人目を忍んで、すごく愛し合ったよ……。でもクーラさんがあたしに求めていたのはもっと違う感情だったと思う。だからあんなことに……」

 私のシャツを掴む手に力が入る。私は無意識にアケミの背中を撫でていた。

「クーラさんが言うには、あたしはクーラさんじゃなくて別の人を愛してるらしい……でも、今でもそんなのは信じられない。あたしが愛していたのはクーラさん一人だけだ。だけどどんなに悩んでも苦しいだけで答えなんて出ない。だから……娼館に行った。誰と寝ても何も感じない、やっぱりクーラさんを愛してるんだと証明するために…。ごめんライラさん………相手は誰でもよかった。でも今は……ライラさんが相手をしてくれて嬉しい」

「………前にも言ったけど、私はアンタに何もできない」

「そう言ってくれるから、ライラさんがいい。もし誰かと肌を合わせたとしても……多分、何も答えは出なかった。そんな方法じゃ何もならないってはっきり言ってくれる人が、あたしには必要だったんだ」

「どこまで甘える気なのよ……」

 しばしアケミの頭を抱きながら考える。今あったことを胡蝶館の誰かに話したらグレイズの耳に届いて、それがアケミを縛る材料になってしまうのだろうか。よくよく考えれば、シロモリが剣を使えないなんてとてつもないニュースになるんじゃないか? もう何人かに聞かれたかもしれないが、私からは絶対に話さないでおこう。そしてそのためには……

「…何度も言うけど、もう金を払って胡蝶館に来るのは止めなさい。何もしてあげられないけど、愚痴くらいならタダで聞いてあげるから…」

「それは嫌だ。ライラさんのベッドはよく眠れるから」

「はあ? そんな上等なベッドじゃないわよ」

「……匂いが…」

「え?」

「ライラさんの匂いがいいんだと思う」

「なっ…なに言ってんのアンタ…って!」

 まさかコイツ、だから胸に顔を…!

「ちょっとっ…離れなさいよ気持ち悪い!」

「もう少し……お金払ってるし」

「ふざけんな!!!」

 散々小突いて引き剥がした時にはアケミの顔には少し明るさが戻っていて、ほんの少し見せた笑顔が子供っぽくて、私の目に焼き付いてしまった。





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