第43話


「あの人、どうしたんでしょうね」

 朝の掃除をしながらフラウが背中に声をかけてくる。無視するのだが、

「どうだろねぇ?」

「私も気になる、お姐さん」

 便乗してくるのが二人。ざっくばらんな性格のキスカとぼうっとしているようで抜け目ないヤーネルだ。フラウを含めたこの三人は歳が近いこともあって仲がいい。そして、

「ライラ姐さん」

「ライ姐」

「お姐さぁん」

 三人揃うと鬱陶しく、姦しい。

「うるさい! 知ったこっちゃない! 手を止めずに仕事しなさい!」

「終わりました」

「終わった」

「終わったよー」

「……ッ!」

 本当に終わっている。部屋の隅の小さなシミと格闘していた私だけが残っている…。

「まったく……何を騒いでるの」

 部屋の入り口で機嫌悪そうに立っているのはまたカーチェだ。娼婦は客を帰した後、食事をし、風呂に入り、寝て、また夜に備える。今は寝ているはずの時間だ。

「目覚めが悪いアンタが、珍しいわね」

「うるさいって言いに来てんの、後輩にからかわれてるライラ姐さん」

「アンタ、何で最近突っかかってくるの? 私何かした?」

「いつも余計なことしてくれるけどね。女を連れ込むとか」

「……」

「それで? 久方ぶりの客はものにできそう?」

「バカじゃないの、アンタまで…」

「ああ、それとも―――もしかしてライラお姐さまの方が夢中?」

「なっ…んで、そんな、あるわけないでしょ…」

 どうしてしどろもどろになってるんだ、私は…。

 と、カーチェが柱にもたれかかっていた身体を起こし、こちらへ―――真っ直ぐ私を見つめながらこちらへ近づいてくる。

 真ん前に立たれると、線の細いこの女の圧力は物凄い。くそババア……グレイズ女将に通じるものがある。

 瞬き一つせず、髪の毛一本一本まで見透かすように凝視され、さすがにたじろいでしまう。

「な、なんなのよ…」

「あー……キスでもされた?」

「―――ッ!?」

「「「えー!!?」」」

 私が声を上げる代わりに三人娘がハモる。

「い、いきなり何バカな事言ってんのよ!」

「人はね、じっくり観察されると無意識に弱点を隠すのよ」

 口元に当てていた左手首を掴まれる。

「キスされて感じちゃったの? 女の唇は柔らかいものね」

「え!? カーチェ姐さん経験あるんですか?」

 周りの娘たちが騒ぐのに対し、カーチェは意味深に笑みを浮かべる。

「内緒」

 カーチェの指に唇をつつかれ、息ができなくなる…。

「い…いやいや、勝手なこと言わないでよ! そんなの、したともされたとも言ってないし…!」

「もう一人の当事者に聞けばわかるけどね」

「アイツに…?」

「女将から伝言。アンタはシロモリさんの専属だって」

「はあ!?」

 三秒間、思考停止――。三人娘は黄色い声を上げて騒ぎ出す。

「どういうことっ…だって、アイツ女なのよ!?」

「だから?」

「だから?って…私、そんなの―――」

「『シロモリさん』は、この店のオブザーバー件用心棒として来てくださるそうよ。アンタはそのお世話係。ククッ……『そんなの』? ナニ想像したの?」

「~~~~っ」

 この女はいつもこうだ。私をからかって弄ぶ。おまけに、

「よかったじゃない、アンタにしかできない仕事ができて。ようやく『客の取れない穀潰し』から卒業ね」

 毒まで吐いて去っていく…。そして、アケミが現れたのはすぐだった。




「一体どうなってるのよ!!」

 ドアを蹴破るように飛び込むが、グレイスは全く動じず、一秒ほどこちらに目を向けたあと、すぐに視線を手元の書類に戻した。

「あのアケミって娘また来てるじゃない! 裏口から剣持って堂々と! しかも世話を私にやれってどういうこと!? 具体的に何なのよ、アイツは!」

「用心棒で相談役だよ。カーチェに聞いたろうに」

「用心棒って軍人でしょ!? 軍を辞めたの!?」

「『シロモリ』は軍と大いに関係あるが、軍人じゃないよ。まあアンタにはどうでもいい話だ。用心棒ってのは表向きさ。実際にはアンタの客だよ」

「だからそれがわかんないって…!」

 書類を置いて老眼鏡を外し、グレイスはタバコを取り出す。

「向こうさんはアンタに相手してほしいんだと。でもこっちは女は客として受け付けないし、あっちは馬鹿長い剣は絶対に手放せないと言う。だから堂々と裏口から入ってくるかわりに、名目だけ用心棒になってもらったのさ。こちらとしても『長刀斬鬼』の異名を持つアケミに出入りしてもらえば頭の沸いた奴は寄り付かないだろうからね」

「そんなやりとりはどうでもいい! 私が相手するなんて嫌よ!」

「何も夜の相手をしろってんじゃないよ。世話ってのは飯やら寝床の世話だ。要するに、ここを秘密の場所にしたいのさ。お偉方にはよくあることだろ?」

「知らないわよ。なんて贅沢な…! 貴族の金って辿っていけば税金でしょ!? ふざけんじゃないっての!」

「フ……アンタはそんなだからダメなのさ」

「はあ!?」

 タバコをぐしぐしと灰皿に押し付けて揉み消すと、グレイスは二本目に手を伸ばす。

「あの子はあれで当主……稼げるだけの仕事をしてんのさ。あの長い刀は飾りじゃないんだよ」

「………」

 シロモリが武術のエキスパートというのは知っている。アケミも当主を名乗るからには、女でもそれなりの腕があるんだろう。しかし軍人ではないのなら、その実力はどこで発揮するというのだろうか?




「ああ―――メインは武器作ったりとかかな。作るっていってもプロデュースだけど」

 アケミ本人に聞くとあっさり答えてくれた。ちなみに今は私の部屋だ。客室は使わせてくれない。普段の仕事に加えてアケミの相手、その上部屋も占領されては気が休まる時がない。

「兵士の声なんかをリサーチして、最新の武器を提案する。場合によっては新しい戦法を編み出してそれにマッチする武器を開発するとか。でもエレステルの兵士は基本的に武器をカスタマイズしたり一点ものに拘ったりするから、あんまり役に立ってはいないかな…。どっちかっていうと兵士個人の使い勝手よりも軍が運用しやすいようにって視点で考える方に重きを置くっていうか。でもあたしはどんな武器も大体使えるようになっちゃったから実際どれくらい効果があるのか実感湧かないんだよねえ」

「あ、わかった…もういいから」

 こんなにもペラペラと喋るとは思わなかった。てっきり軍規に引っかかるものだと…。

 いや、でも―――だとしたら、どうして「長刀斬鬼」なんて異名がつく? 裏方なら敵と戦うなんてことはないはずだ。それにこの間あんなだったのに、こんなに気軽に話すものか? まだ何か隠している……

 ……だけど、それは私には関係ない。言いたくないことまで無理に聞くのは娼館においてタブーの一つである。ただし、前提としてコイツを客として認めたわけじゃないけど……。

「………」

「ん? 何?」

「…別に」

 目の前でご飯にありつくアケミにため息を吐く。

 コイツは女と付き合っていたという…。娼館に来るくらいだから、当然体の関係もあったんだろう。女を求めたのは自ら手にかけた恋人を忘れるため……それはわかる。じゃあ、コイツは私にベッドの上で相手をして欲しいのか? でもそれはできないと言ってはずだ。

「……言っとくけど」

「うん?」

「私はアンタと肌を重ねる気はないからね。仕事と言われても拒否する。アンタが剣を抜いたとしても」

 薮蛇かもしれないが、はっきり言っておく。どうせグレイスはこの子から金を巻き上げているのだ。期待させるくらいなら早々に宣告しておいたほうがこの子のためだ。

 アケミは口をもぐもぐさせてから頷いた。

「わかってるよ。今は娼婦じゃないって聞いた。あ、でも、口説き落とす分には構わないって女将さんが」

「あのクソババァめ……!」

 ホントにあの女将とは一度徹底的に戦わないと駄目だ!

「……ライラさんってさ、いい女だよね」

「は? なに、もう口説きにかかってんの?」

「フ、そんなんじゃなくて。さっき『剣を抜いても』って言ったけど、普通は剣持った奴に脅されたらどうしようもないよ。でもはっきり拒絶した。筋の通った、芯の強い人だと思う。だけど――」

 箸を持ったまま、右手の指の背で私の顔の傷をなぞった。至極、ナチュラルに。

「傷つくことはないよ。消えない傷だって、あるんだから…」

 額から左頬に流れる醜い傷跡を撫でられる…。胸の奥から熱い何かが噴き上がるように溢れ、私の体温を上げた。

「やめなさいよ…!」

 それだけこぼすのが精一杯だった。左の額から頬にかけて刻まれた傷は後悔と戒めの象徴だった。傷がつくまでに起こした行動の動機については何ら非難される筋合いはない。ただ、もっと上手くやれたとは思う…。

 アケミはこの傷がどうやってついたのか知っているのだろうか? それとも自分の傷と重ね合わせているのか……。

「ごちそうさま」

 満足気に箸を置くアケミはベッドに移動し、ドスンと腰を落とす……。

「…で? アンタこれからどうすんの」

「お腹いっぱいになったから寝る」

「子供か!!」

 叱咤もなんのその、ごろりと寝転がったアケミは、

「ライラさんも一緒に寝る?」

 無防備な寝姿でこちらに視線を当ててくる。声の調子から本人にその気はないのだろうが、起伏に富んだ身体のラインをくねらせる様は………男なら生唾ものだろう。

「私には私の仕事があるの。つーか、食べて寝るだけだったら来るの止めなさい……アンタみたいな若いのが悪ふざけでこんなところに来るなんて、気分のいいものじゃないわ」

「…あたしはライラさん目当てで来てるんだけど?」

「……知らん!」

 膳を持って立つと、アケミは人のベッドに潜り込む。踏みつけてやろうかと思ったが、それも面倒なので止めた。




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