第42話


 女将のいる部屋は店の裏、宿舎になっている棟からさらに離れた区画にある。胡蝶館の店そのものは民家より二回り大きい二階建てだが、裏側の敷地はそれ以上に広い。

 女将部屋のドアをノックし、返事を待たずに入る。純和風の店構えでありながら、女将は厚い化粧に極彩色のドレスを太い身体に纏った、自称マダムだ。部屋も和風の欠片もなく、真っ赤な絨毯、真っ赤なカーテン、真っ赤な壁紙と、その毒々しいほどのセンスが目に痛い。

 そしてその奥で重厚な机を前に腰掛け、タバコを吸う姿が良く馴染む。

 女将はじっと私を、そして女シロモリを睨むように見据える……やっぱり浴衣のまま連れてきたのはよくなかった。服が乾いてないから仕方ないとはいえ、サイズが多少合わなくても私のを貸せば良かったか。チラチラと何度も交互に見比べた女将は、案の定、

「……寝たのかい?」

「んなわけない」

 予想通りとはいえ苛立って、ドスの聞いた声で返す。

「まあいいさ…そんな些細なことは。アタシはこの店の女将、グレイズ=マードラー。アンタはシロモリ現当主の『長刀斬鬼』、アケミ=シロモリで間違いないね」

「そうだ」

 女シロモリは頷く。名前、アケミというのか……というか、当主!? コイツが!?

「女を買いたいって来て、ウチのそこのバカに追い出されたんだってね。バカが殴ったことは謝るけど、ウチは女相手の商売はやってないんでね。にも関わらずバカはアンタを部屋に連れ込んだわけだが………まあ、バカのやることだからね。もう今更聞くまいよ」

 何度バカバカ連呼するんだ、くそ…!

「わざわざ娼館までやってこなくても、アンタの器量なら女相手でも口説けるだろう。よりによって、どうしてウチなんだい」

「特には…。家の雰囲気に似てたからか、どこかで評判を聞いたからか…。それに全く縁のない人を誰それ構わず手を付けるほどグレてもいない。じゃあここに来るなって話になるけど」

 アケミは一瞬悲しそうな、何とも言えない笑みを浮かべる。グレイズはタバコの煙をため息交じりに吐いた。

「……まあ、まだ尻の青いガキだろう。恋に溺れても、色に狂うほどは経験もないだろうさ」

 ふと気になって―――アケミに尋ねる。

「…アンタ、歳いくつなの?」

「十八」

「十八!? うそ!? うそでしょ……てっきり、二十半ばくらいかと…」

 フラウも同い年と聞いたらびっくりだろう。娼婦ならデビューしている歳頃ではあるが、アケミは容姿では少女らしい甘さはほぼ抜け落ち、女として完成されつつある。それに女将を目の前に物怖じしない度胸もある。さすがシロモリの当主……なのか?

「ライラ姐さんはいくつ?」

 軽々しく名前を呼ばれて唇を噛む。誰かが呼んでいるのを聞いたのだろうが、私は名前を知らなかったのに……気に食わない。

「……二十五」

「ふぅん……意外と子供っぽい」

「なっ…!」

「それは間違いないよ。バカだから顔に傷なんか作るのさ」

 グレイズが同調するように鼻で笑うから余計に腹が立つ。しかしこの顔の傷だけは…。

「話を戻すがね、シロモリの。ウチは女相手の商売はしてない。だけどそれ以上に、店の者が指摘に男を連れ込むのは御法度なのさ。わかるかい? アンタは女だが、客としてここに来た……そして部屋で寝て、飯も食い、風呂にも入った。よくもまあ、満喫したね」

「…!」

 グレイズが何を言いたいのかピンときた。

「待って、それは私が勝手にやったことで――!」

「黙りな。こういうのは他の娘にも示しがつかないんだよ。アケミさん、理不尽だろうがね…金は払ってもらうよ」

 アケミが目を丸くする。当たり前だ、このコからすれば、藪から蛇の論法だろう。

「この子は私が連れてきただけ! それなら私が払う…!」

「駄目だ。それがまかり通っちゃケジメがつかないだろう。アンタはこの店ではもう古株なんだよ。自覚しな」

「……くそババア…!」

「ガキのわめき声なんて、ババアにゃ聞こえないね」

 火花を散らして睨み合っていると、

「……いくら?」

 気だるそうに首筋に手を当ててアケミが尋ねる。グレイズは机の上の伝票をトントンと指し示す。それにアケミが手を伸ばしたところを、横からひったくった。

「アンタが払う必要ない。これは私の問題…!」

「でも、そもそも客としてくるつもりだったんだし」

「定食屋で食事するのとはわけが違うのよ!? アンタは相場を知らないから呑気なこと言えるのよ!」

「だからいくらって…」

「いくらでもいい! とにかくアンタは店の客じゃないんだから!」

「はあ、もう…」

 ため息を吐いたアケミが不意に私の肩を掴んで引き寄せる。そして――

「んむっ…!?」

 私の唇を、吸って―――…!?

 数え切れないほどキスの経験はあるが、アケミの唇は未知の感触だった。

 呆然とする私を抱き寄せ、耳元で囁く―――

「ほら…気持ちよかったでしょ?」

 カッと熱くなったのは顔だけじゃない。まとわりつくアケミを突き飛ばし、今度は拳で顔を殴った。

「このっ……アンタなんなの、一体…!?」

「………フ」

 殴られた左頬をさするアケミはなぜか薄く笑う。

「何がおかしいのよ…!」

「いや……年上だけど、かわいいなと思って。つい手が出ちゃった」

 唇を指でなぞってニンマリと笑う。高級娼婦もかくやという色気に、全身を言い様のない震えが走る。

「…ウチの従業員に手を付けたね。間違いなく客だよ」

「あ…!」

 しまった、嵌められた!?

 こいつ、メチャクチャだ。アケミを睨むが、アケミはもういいと言わんばかりに小さく肩を竦める。このポーズに、私は余計にイラついた。

「…こんなことして、アンタに何の得があんの!?」

「損得の問題じゃない、単純に払おうと思ってるだけ。気持ちよかったよ、添い寝されてる時。ぐっすり寝たのは久しぶり……ライラさんが言ったとおり、癒された。金を払うに値する時間だった、それだけ」

「アンタ、弱ってる時に優しくされたから勘違いしてるだけよ! 私は―――」

「――もういい、やめな」

 ――太い声が一喝。

「これ以上、野暮をするもんじゃないよ。その子がわざとアンタに殴らせたの、わかってないのかい?」

「………そうだとしても、私はもう娼婦じゃない。金を取るのは筋が通らない…」

「そういうのは自分の店を持って言うんだね」

 拳を握りしめる右手が痛い…。

「じゃあ、払いも含めて少しツッこんだ話をしようかね。ライラ、アンタはもう下がっていいよ」

「………」

 アケミをちらりと一瞥すると、無邪気に小首を傾げてみせる。その仕草にまたイライラする……。


 結局アケミが金を支払うことになり、私は親切が親切で通らない自分の身の上を呪った。




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