第41話


 腕の中でもぞりと動く感触がして、気がついた。

 いつの間にか眠っていたらしい。身体を伸ばそうとすると、女シロモリが絡みつくように抱きついてくる。私の胸に顔を擦りつけるように……

 ……そういえばコイツ、女が趣味って話だった……!

「ちょっとっ…! 寝ぼけないでよ!!」

 頭をぐいぐい押しのけると、寝ぼけ眼でこっちを向いた。

「……誰…?」

 まるでこっちが不審者と言わんばかりの顔にカチンときた。

「ここは私の部屋で私のベッド! いい!? アンタが―――」

「あたまいたい……」

「………!」

 女シロモリの頭をベシンと叩いてベッドから脱出する。本当に腹の立つ奴だ!

「ったく……アンタ、覚えてる!? 朝っぱらからウチで下らないこと言うから追い返したら、土砂降りの雨の中で丸まって拗ねてたのよ。その姿があんまりアレだったから……仕方なくここに―――」

 ぐううぅ……。

「…お腹空いた……」

「子供か!!」

 とはいえ、自分も空腹気味だ……はっ!?

「今何時!!?」

 ベッドの脇の目覚まし時計は、夕方の六時を過ぎている…!

「まずい…!」

 慌てて部屋を飛び出そうとすると、すらりと伸びた腕がシャツの裾を引っ張る。

「刀は…?」

「え?」

「あたしの刀……どこ?」

 シャツを引っ張る力と眼差しの強さにゾクリと背筋が震えた。

「……ホラ、そこ」

 机の脇に立てかけているのを指差すと、ふらつきながらもベッドから起き上がり、カタナの方へ向かおうとする―――その肩を引いた。

「何する気なの!? 今、必要ないでしょ!?」

「………」

 女シロモリは黙って立ち尽くす。こっちもかける言葉が見つからない……。

「……調子悪いんでしょ、寝てなさいよ」

 それだけ言って、部屋を出た。



 厨房に入ると、調理作業はもうピークに入るところだった。

「あ!」

 誰が出した声かわからないが、一斉にみんながこっちを向く。

「あっ……と、皆、ごめん……すぐ手伝うから…!」

 頭を下げ、すぐにエプロンを探す。まずは作業に入るのが先だ!

「姐さぁん……!」

 フラウが恨みがましい声でじとっと迫ってくる。

「ごめん、ほんとにごめん! 埋め合わせはするから…!」

「どこかで休み代わってもらいますからね…!」

「うんうん、わかったから―――」

 一番迷惑を被ったであろうフラウをなだめる。が、

「まったく…とんだ失態ねぇ、『姐さん』?」

 背後から尖った声が聞こえてくる。カーチェだ。着物の袖を、帯をたすきがけにして留めていた。握っていた包丁を置き、エプロンを外すと、私に叩きつけるように押し付けてきた。

「お使いに出たら野良猫を拾ってきて、甲斐甲斐しく世話してたら一緒におねんね? 呆れるのを通り越して笑えるわぁ。裏方の仕事も満足にこなせないようじゃこの店にアンタの居場所はないわよ。とっとと出ていけば?」

 男に媚びるような声音で冷たく囁くカーチェにライラは口答えすることもできない。カーチェは一度だけキロリと睨み、美しくも冷たい表情のまま厨房を後にした。

「……何も、あんな言い方しなくても…」

 さっきまで不満タラタラだったフラウがカーチェの消えた出入り口を睨む。

「…間違ってないわ。私だってカーチェの立場なら同じこと言う……あんなに嫌味ったらしくはないけど」

「真似できないわぁ」

 フラウがカーチェの口真似をし、周りで聞いていた若いコたちまでくっ、と笑う。

「でもカーチェが包丁握るの、久しぶりに見たねぇ」

 調理専門のアンジさんが煮物の味を見ながら感慨深く呟く。アンジさんは自分がここに来たときからおばあさんだった人だ。

「昔はアンタたち、厨房に並んで立ってたもんねぇ」

「え!? そうなんですか!?」

「十年以上前の話よ…」

 あの頃からカーチェとはぶつかっていた。ただ、今ほど溝はなかったはずだ……。




 忙しい時間帯が過ぎ、ある程度落ち着いたところで部屋に戻る。女シロモリはベッドの上にだらしなく座ってぼーっとしていた。

「ご飯食べた?」

 問うまでもなく、膳の上は空になっている。顔色も昼間よりはマシになってるか…。

「なんか…」

「ん?」

「なんか、変わった料理だった。どこの郷土料理?」

「は? アンタのとこでしょ? 『胡蝶館』は『ワフウ』……つまりアンタのご先祖様が元いた国の雰囲気が売りの娼館よ。どこまで再現できてるのか知らないけど……」

「ああ……だから建物が道場の形に似てるのか。『浴衣』も家にあったのと同じだ……最近着ないけど。そういえば、スープが親父殿がたまに作る味噌結びと同じような感じだったな…」

「ミソムスビ?」

「炊いたコメを握って、親父殿の自家製味噌を塗って焼く」

「へぇ…。アンタのとこ、普段はワショクじゃないの?」

「母様があまり好きじゃない。あたしらにはちゃんとした貴族らしいものを食べさせたいって言って……そっか、これが和食なのか…」

 味を思い出すように感慨にふける女シロモリ。シロモリは和風の本家のはずだが、こんなものなのか…?

「……とにかく、家に帰りなさいよ。帰る家があるんだから…」

「ありがとう、初めて会うのにこんなに優しくしてくれて」

「二回目よ…!」

「え? どこで会ったっけ?」

 しまった、覚えてなかったのか!?

「あ、……朝、殴ったでしょ。私が、アンタを…」

「……そうだっけ? ま、『姐さん』程度のパンチじゃ効かないけど」

 パンチで殴ったとは言ってない……本当は覚えているんじゃないか? 根に持つタイプには……いや、恋人を殺したことを夢に見るまで引きずっているんだった。でも普通ならそうか……。

 なんだろう……何か、しっくりこない―――……。

「あの~…」

 遠慮がちなノックをして、フラウがそろりと顔を出してくる。また何かトラブルでもあったのか。

「何?」

「オカミが、お呼びです…」

「ああ…」

 そっちか…。

「その………シロモリ様も、連れてくるようにと…」

「……何で?」

「い、いや、何でと言われても…」

 フラウはバツが悪そうに身を縮こまらせる。

「あたしは別に構わない。でもオカミって誰?」

 あっさり返事すると思ったらこれだ。何も考えてないなこの女シロモリは…。

「オーナーよ」

「オーナー? オカミ……ああ、女将ね!」

「言っとくけど、絶対に剣は持ち込めないわよ。女将はあらゆる情報に通じていて、いろんなところに影響力がある。相手が貴族でも容赦しない。機嫌を損ねたら社会的に死ぬ羽目になるわよ」

「社会的に、ね……あたしにとっちゃ、今更かな」

 自虐的に笑う女シロモリ。気に入らない……。




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