第40話


 いよいよアケミは街を彷徨い歩くようになっていた。

 現状、自分が城や軍から呼ばれるようなことはない。シロモリとしてやる仕事もない。家に居場所もない。酒に逃げようと浴びるように飲んだが、悪酔いしかしない。もはや果実酒以外を受け付けない身体になっていたのだ。それでも無理やり喉に流し込んで飲み明かし、泥酔して気を失うようにその辺りで眠り、また飲み歩く。それでもまだ、クーラさんの影が、声が、感触が消えない……。

 彷徨い歩いた末、アケミがたどり着いたのはある店の前だった。




「ん…?」

 玄関口の方で騒いでいる声が聞こえてきて、洗濯していた手を止める。何か揉めているのか。この界隈ではどこの店でもトラブルはつきものだ。今はちょうど客が帰り始める朝方だから、どうせ支払いか何かで揉めているんだろう。

 細い廊下を抜けて騒ぎ声の方へ向かうと、フラウが慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたの?何かあった?」

「ライラ姐さん、ちょっと困ったお客さんが…」

 店員と客の視線を一身に集めるのは……女!? 男装のようにジャケットを着た、すらりとした女。長い髪は乱れ、顔はやつれ、表情は暗く、おまけに酒臭い。誰の目にもワケありだとわかる。さらに目を引くのは手にした長い棒。恐らく綺麗に装飾されていたそれは擦り傷だらけで、今の女そのものといった具合によく馴染んでいた。

 細く長く反りのあるそれは見たことがない種類だが、おそらく剣なのだろうと直感でわかる。

「…女」

 女が独り言のように呟く。

「女を買いたい……誰でもいいから」

 野次馬がざわつく。女の言い分に少し苛立ちを覚えた。

「あのね! ここはそういう店じゃないの」

 女の目の前にどんと立って見下ろす……見下ろせたのは、敷居の分こちらが高かったからだ。自分は背が高い方だが、女の方はさらに少し高い。長髪のせいか線が細く見えるから遠目にはわからなかった。

「なんで…? ここ、娼館でしょ…」

「そうよ。でもアンタはウチの客じゃない」

「金はある……それとも、女はダメ?」

 突然女はククッと引きつるように笑い……私の肩を掴み、ぐっと引き寄せた。

「女同士も、気持ちいいよ…?」

 毒々しいほど甘く囁き、私の頬に、傷に触れられた瞬間―――殴り飛ばしていた。周りが騒然とし、フラウが焦って袖を引くがお構いなしだ。

「ここはねぇ、現世の憂さを忘れて夢と癒しに微睡む場所なんだよ! 女を買う!? 金払やいいってもんじゃない! 大体この通りに武器持ち込んでくるなんて野暮な奴はお呼びじゃないんだよ! 帰れ!!」

「………」

 女はのそりと立ち上がると、焦点も定まらないままフラフラと店を出て行った。怒り肩はまだ収まらないが、後ろでフラウは青ざめてぺたりと座り込んでいる。

「なっ……なんて怖いことするんですか、もー! 正気じゃないですよライラ姐さん!」

「相手が戦士だろうが関係ない、それがルールなんだから、オカミにだって文句言わせないって」

「それもあるけど、もしかしてあの人……」

「あれ、『長刀斬鬼』でしょ」

 二階の欄干から乗り出すようにイサ=カーチェが顔を出す。客の相手をしていたのだろうが、恥ずかしげもなく肌襦袢一枚引っ掛けただけで、前も止めない。他の客の目もあるのに全く気にしないのは、この店一番の稼ぎ頭だという自信の現れか。

「何? チョートーザンキって」

「世間のことには無頓着? クク、飯炊き女が板についてきたんじゃない?」

「………今、なんて?」

「ちょっと二人共、やめてくださいよ! オカミがいたらまたカミナリ落ちますよ!」

 険悪なムードを嗅ぎ取ってフラウが割って入る。カーチェが鼻で笑うのがまた腹立たしい。

「あのコ、シロモリよ」

「シロモリ…って、あの!?」

「そう、『あの』。カタナを抜かれてたら、顔に傷どころじゃ済まなかったかもね」

 薄ら笑いを浮かべて客の待つ部屋に引っ込むカーチェ。

 そんな一流の剣士には見えなかった……殴った右手を摩りながら、女のいた場所に目をやった。




 その日は昼前から雨だった。娼館が立ち並ぶ色町では、娼婦は夜こそが花。客を帰した後、昼間は寝て、また夜に備える。しかし裏方で働くライラは色町が静かになったときこそ全力で働かなければならない。洗濯、掃除、食事の用意……今も食材の買出しに出ている。「胡蝶館」はかつて何代か前のシロモリが伝えた自国の文化を再現した本格的な「和風」テイストが売りのため、料理も拘っている。基本的な食材は卸問屋が店に配達してくれるのだが、お得意様が予約ともなると、特別な材料を探しに出なくてはならない時もある。その役をライラが担っていた。荷物持ちとして今日はフラウを連れている。

「雨、きついですねー…裾が泥だらけになっちゃいますよ。これ、あんまり替えがないのに…」

 フラウが自分の来ている着物の裾を睨む。フラウが着ているのは小袖という従業員用の制服になっている着物で、店の中ではさらにエプロンをつけている。娼婦が着る振袖と違って艶やかさはなく、袖が短く作業に適している。とはいえ、着慣れないと動きづらい。特に帯をコルセットのように締めるので、人によっては息苦しく感じてしまう。

「それ着たまま熟睡できるようになったら一人前よ」

「働き詰めでぶっ倒れること前提なのは嫌ですけどねー……」

 と、傘の下からフラウがじっと見つめてくる。

「何?」

「いえ、なんでも…」

 半笑いで誤魔化すフラウだが、おそらく……私が着物を着ていないことが関係しているのだろう……。

 必要な買い物を済ませ、いよいよ色町に戻るというところで、道から少し離れた木の下に座り込んだ人影が見えた。肩に長い棒…カタナを抱えたあれは…‥

「あっ…あの人、今朝の……」

「…………」

 しばらく様子を見るが、うずくまったまま動かない。段々イライラしてきて、舌打ちして女シロモリに近づいていく。

「あ! ちょっ……ライラ姐さん!」

 フラウが困り顔で後を追ってくる。

 目の前に立っても、女シロモリは顔を上げようとしなかった。

「…アンタ、いいとこの娘なんでしょ? 家に帰ったら?」

「………」

「ちょっとアンタ、聞いてんの…!」

 襟を掴んで顔を上向かせると、酷い顔だった。瞳はうつろで生気がなく、目の下には隈ができている。まるで悪夢を彷徨っているような、そんな顔だ……。

「………かえれない…」

 ぼそりと、雨音の中で掠れるような声が、確かに聞こえた。

「……フラウ、先に帰ってて。それと……お風呂沸かしておいて」

「あ、まさか…ダメですよ、オカミにバレたらカミナリ落ちますよ…!」

「寄り道してミノーチェでケーキ食べたの黙っててあげるから」

「姐さんだって食べたじゃないですか! んもぅ……!」

 頬を膨らませながらも、雨の中を小走りで駆けていくフラウ。何だかんだいい娘だ。

「ほら、アンタも立って…」

「………」

「私だって荷物持ってんだからアンタまで支えてらんないの! さっさと立て!!」

 服を掴んで思い切り引っ張り、ようやく腰を上げる女シロモリ。酒の残ったビンを掴もうとしたが、捨てさせる。

 トロトロ歩く女シロモリを押してようやくたどり着き、店の裏口から入れる。店の裏側は住み込みの従業員・娼婦の生活スペースになっていて、専用の風呂もある。娼婦はとうに入り終えている時間だから今はちょうど誰もいないはず。見つからないように風呂場まで押し込むとフラウが特急で準備してくれたようで、ちょうど沸いたところだったのだが、女シロモリは服を脱ぐのにグズグズする。剥ぎ取るように服を脱がせ、頭から湯を浴びせた。

「アンタねぇ、いい加減にしなさいよ……どれだけ手間とらせんのよ。十五分で出てこい!!」

 背中に張り手を食らわせ、風呂場のドアを閉めようとすると―――手が伸び、カタナを掴む。

「何やってんの!? そんなのいらないでしょうが」

 しかし離そうとしない……そこで初めて右腕の傷に気づいた。治って薄くなっているが、刺されたような跡がいくつかある。男の戦士の生々しい傷跡を見たことは何度かあるが、女シロモリは同じ女から見ても美しい肌で、それだけに痛々しく見えた。

 こう見えて、やはり剣士なのか―――……。

「…好きにしなさいよ!」

 さっぱり理解できない……どうしてこんなのを拾ってきてしまったのか。

 着替えやらなんやら準備し、きっかり十五分後に風呂場を覗くと、女シロモリは湯船の中でカタナを抱いたまま船を漕いでいた。本当に理解できん……。

 肩を揺すって風呂から出し、立ったまま半分寝ている女シロモリの身体を拭く。腰まで届きそうな長い髪は乾かしようがないので、ざっと拭いたらタオルで頭ごと巻いてまとめてしまう。服はもう浴衣を着せたほうが早い。サイズもそれほど気にしなくていい。しかし帯を回している内に女シロモリは本格的に寝入ってしまって崩れるようにもたれかかってくる。意外と重い…!

「フラウ! フラウ!」

「はいはい……ってうわ…!?」

「足持って」

 両脇を持って抱え、引きずる足はフラウに持ってもらい、自分の部屋に運ぶ。途中、さすがに何人かに見つかったが「しー!」と口で言って目配せする。しかし実際効果は期待できない……店中に広まるのはすぐだろう。オカミが帰ってくるまでが限界か。

 シロモリをベッドに放り投げるが、起きる気配はない。いや、それどころか……

「なんでこの人、剣握ったままなんですか?」

「さあ…?」

 気崩れた浴衣を直して布団をかけてやろうとしたとき、

「どうして…どうしてこんなことさせるの……殺したく、ない…!」

 うなされている……寝言とは思えないくらい真に迫っている。

「どんな夢見てるんだか…」

「……それ、夢じゃないのかも」

「え?」

「え?って、え…?」

 フラウが信じられない、と目を見開く。

「ホントに知らないんですか、その人の噂。今、その人の話題で持ち切りですよ。軍で付き合ってた女の人がスパイで、自分で斬り殺した、って…」

「………え?」

 なに、それ…。この女シロモリが「女を買う」と言った理由はわかったが、付き合ってた人間を……恋人を、自分で殺した!? だけど、この寝言が真実なら……

 夢の中で苦しみもがく女シロモリはまだ若い……自分と同じか、年下かも知れない。事情は見当もつかないけど、自分だったら……大事な人を、殺せるだろうか。

 胸の奥がざわついてきて、思わず女シロモリの剣を掴んでいた。

「こんなもん持ってるからうなされんのよ! 寝てる時くらい離しなさい!」

 取り上げようとするが、右手で握っているだけの女シロモリはすごい力で手離そうとしない。それでもやはり寝ぼけていて、なんとか奪う。でもこのカタナ、棒きれのような剣に見えたのに重い。こんなのを振り回せるのか!? 

 カタナを奪われた女シロモリは半身を探すように弱々しく手を伸ばし……触れた私の腕を掴むと、ベッドに引きずり込んできだ!

「姐さっ…!」

 声を上げそうになるフラウに大丈夫だと手で合図する。女シロモリは私に抱きついて、胸の中で眠っている……。

「……フラウ。少しだけコイツに付き合うわ」

「え……まさかライラ姐さん、その人と寝るんですか…?」

 この小娘は……娼館で働いているのに、なんで顔を赤くしてるんだ。

「……添い寝するだけよ。落ち着くまで」

「…夕食の仕込みとかどうするんですか」

「あー……ごめん、お願い。ケーキ食べたこと黙っとくから」

「今度奢りですよ! ホールで!」

「わかったから…!」

 フラウが出ていき、部屋は静かになる……雨音が窓を打つ音が聞こえるだけだ。

 相手が女かどうかはさておき……人肌は落ち着くものだ。この仕事をしていればよくわかる。客が娼婦に求めるのは快楽だけではない。

 しがみつく女シロモリは母に縋る少女のようだ……。頭のタオルを外して髪を撫でてやると、艶のある黒髪にすっと指が入り、気持ちいい。と同時に、ものすごい美人だとようやく気付く。

 この女が人を斬る。それはとても恐ろし絵面だ……そう思った。



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