第39話


 エレステルの最高評議院議員が集まる会議室。評議員十三席、取りまとめる議長席が一つ、そして王が座る席が一つ。ただし、空席が一つ。その外側には書記用の卓が置かれ、二人の書記がペンを持っている。

 国の首脳陣による会議は、バレーナ一人が歯噛みしていた。現在の議題はバレーナ王女の守備を担当する専属部隊―――バレーナ親衛隊の設立についてである。

 評議員は皆こぞって難色を示したが、軍側の人間よりも文官のほうが強く反対を示したことが予想外だった。

 まず一番に否定の意思を示したのはミローリ=カロナ侯爵だった。

「部隊を設立するだけの明確な根拠が示されておりません」

「若い才能を引き上げるのが狙いだと言ったはずだ。それに私の力不足を補う人手が欲しい。合致する条件が同世代の娘たちだということだ」

「王女様のご助力なら我々がおります。我々はヴァルメア様同様、バレーナ様に不変の忠誠を誓っております。不安はお察ししますが、何ら心配されることはございません」

 ミローリは頑として譲らない。しかし正論なのであるから上手く言い返すこともできない。

「皆様も同意見でよろしいでしょうか…?」

 議長のオーギンが見回す。と、一人手を挙げている者がいる。大きい……大熊のような巨躯の、老人。白髪と白ひげを蓄えた柔和な表情は好々爺の様だが、丸太のように太い首に隆々とした筋骨は老人が今尚現役の戦士であることを示している。

 その名はベルマン=ゴルドロン。エレステル軍将第一位、そして第一大隊大隊長。エレステル軍のトップを務める男である。戦士の存在感が大きいこの国において、軍の長であるベルマンの影響力は大きい。

「では…ベルマン殿」

 オーギンに指名されてベルマンは腕を下ろし……紅茶のカップに口を付け、クイッと飲み干した。

「ベルマン殿……」

「あぁ、すまん……今日の紅茶は美味くてのう。何の話じゃったかな……ああ、そうそう、ワシは別に今のバレーナ様にそれほど忠誠を誓っておるわけではない」

 会議室の空気が冷えるが、それにお構いなしでベルマンは続ける。

「しかしバレーナ様お抱えの部隊を作ることについては賛成じゃ。代替わりを機に次世代のキーマンを育てるのは大事なことよ。王女様の方にやる気があるのであればやってみるのがよいと思うがのう」

「なるほど。一理ございますな」

 オーギンが相槌を打つがミローリは同意しようとしない―――

「実際には王個人が持つ私兵ということではありませんか! 権力の頂点に立つ者に武力を持たせては独裁を招く危険があります!」

「大げさな……娘の集まりじゃぞぉ?」

「ベルマン殿…あなたの口から出る言葉とは思えませんな。男女問わず十代の兵士見習いが養成所に所属しているではありませんか。それに先日の事件の渦中の人物、アケミ=シロモリ……バレーナ様と同年代でありながら屈指の実力を持つと言われながら、敵に利用されました。すでに失敗は起きているのです。こと王族についてはアケミ=シロモリの二の舞になるわけにはいかないのです」

「堅物じゃのう…」

 しかしアケミの件は無視するわけにはいかない。元々アケミ提案の親衛隊だが、アケミの事件が邪魔をしているのは皮肉としかいいようがない。しかも、

「しかし女シロモリは盛んですなぁ、まさか女にハマるとは」

「その上相手を自ら斬り殺したとは、尋常ではないですよ、女シロモリは」

 嘲笑混じりに噂話を始める者たちまで現れる始末…。

 ガシャン―――ッ!!

 一同が凍りつく。空のカップを叩きつけたバレーナはかつてない怒りの形相だった。

「アケミは国への……私への忠誠心を示すために親しき人をその手にかけたのだ! 親兄弟、恋人や親友が敵となったとき、貴様達に同じことができるのか!? アケミを辱めることは私への侮辱と同義だ!! 今後、この件についてよからぬ噂を立てることを一切禁ずる!!」

 一同は静まり返る…。元々バレーナは感情の起伏が激しい方ではあったが、ここまで激昂することがかつてあっただろうか。

「……お茶のおかわりをお持ち致しましょう。皆様も」

 アケミの後ろに立っていたロナが会議室の外へ呼びかけると、五分もしないうちにメイドがカートを押してやってきた。

「お菓子もご用意いたしました。どうぞお召し上がりください」

 ロナが勧める。とはいえ、手につけにくい雰囲気である。にも関わらずクッキーを摘んだのは、やはりというか、ベルマン将軍だった。

「うむ……このクッキー、アーモンドの塩気が強いが今日の紅茶に合うのう。お前さんが用意したのか?」

「はい。ロナ=バーグと申します」

「バーグ…というと、あれか?」

「商人を営むバーグ家の一人娘でございます」

 数人が顔を顰めた。バーグ商会はエレステルで有数の規模を持つ名家だ。最高評議員で知らないものはいない。そしてその商人の娘がアケミの隣にいることが問題だった。

「さすがじゃのう……美味いものを知っておる」

 ベルマンが呑気に感想を述べ、ロナも笑顔で返す。

「品種改良した新種の茶葉でございます。これまで主流のセイロンに比べていささか癖がありますが、味の濃い食べ物にはよく合います。加えて寒さと乾燥に強いため、これまで農耕の難しかった地域でも栽培することが可能です。我が国の紅茶の第二のスタンダートになるかと」

「なるほどのう……それでワシら上の人間から評判を広げればダメ押しになるというわけじゃな」

「恐れ入ります」

 取り繕いもせず頭を下げるロナを見て、ベルマンは長い髭を撫でた。

「ワハハハ、これは前言を撤回せねばならんのう、娘の集まりなどと侮ってはいかん。なかなかどうして優秀で、野心的ではないか。若い兵たちにも見習って欲しいわい。しかし……ワシは軍人ゆえいささか門外漢ではあるが、お主のような人間が中枢におれば不正の疑いがかかるのではないか?」

 それだ。商人が政治の場にいれば自身の利益に権力を利用することになりかねない。それこそまさに危惧すべきことである。

「ご配慮、ありがとうございます。ですが私、バレーナ様の下でお仕えすると決心したとき、家の相続など一切の権利を放棄いたしました。もちろん結果的に私の家が潤うこともございましょうし、私自身も家名を捨てる気はございません」

「ほほう? その心は?」

「バーグの娘に生まれたからこそバレーナ様に謁見する機会がございましたし、商人として培ってきたノウハウや伝手は、全てバレーナ様のためにお役立ていたします。何より、私を育ててくれたバーグの名に誇りを持っていますので」

「ふむふむ……どうじゃのう、ミローリ侯爵。頭も回るが肝も座っておる。捨てるには惜しい逸材ではないか?」

「………」

 皿に残っていたクッキー三枚をいっぺんに頬張り、ベルマンはあっという間に飲み込んでしまった。

「のうミローリ殿よ……僭越ながらワシは思うのだ―――偉大な先王にお仕えしていた我々こそ、バレーナ様の親代わりを務めねばならぬと。つい口出ししてしまう気持ちもわからぬではない。しかし親代わりであればこそ、見守る姿勢も必要じゃとワシは考える」

「…そんな感情論の話をしているのではありません。しかもバレーナ殿下の親代わりとは、些かお言葉が過ぎますぞ」

「それよそれ、まだバレーナ様は『王女』よ。『女王』ではない。無論、正式に戴冠するまで代執行権限を持つが、それまではいわば試験期間。バレーナ様には多くを学んで頂かねばならんし、多くを経験して頂かねばならん。今回の部隊についても試験運用ということでよかろう。上手くいかなければジレンの承認を得られず、王にはなれない……それはバレーナ様ご自身がよくお分かりになっていることじゃ。で、ありましょう? バレーナ様」

「……もちろんだ」

 怒りを収め、そして別の感情をも押さえ込んでいるバレーナの表情は複雑だが、臆することはない。

「若いシロモリの件についても、そもそもスパイを見抜けなんだワシら軍上層部の管理責任問題じゃろう。アケミには酷いことをさせた…。第二大隊大隊長のムネストールには、責任をとって辞任してもらう」

 この発言に驚いたのは軍OBであり代々軍人を輩出しているミノハウゼ男爵だ。

「し、しかし、ムネストール殿は急病で療養中の身であり、不在の間の事件で引責辞任は酷ではあるまいか…?」

「トップがおらぬまま隊を運用するわけにもいくまい。それにこれは本人からの希望でもある。ムネストールは部下思いの優秀な男じゃ。それだけにシロモリの一件は身を引き裂かれるようだと悔いておった。もはや第一線で激務に耐えるには体力も気力も足りぬ、しかしこれをもって今回の内通者騒動は解決として頂きたい」

 ベルマンの言葉は提案というより一方的な要求に近い。しかし反論する者はいない。スパイが何らか事を起こすのは、そうない話ではない。被害の程度にもよるが、スパイの摘発に成功していたのなら大隊長の責任問題は減俸処分で終わることが多い。そこに首を差し出すというのならこれ以上文句をつけられない。

 いや……口を出すものが一人だけいた。バレーナだ。

「解決には程遠い。一時でも仲間として接していた者を討てば心には傷が残り、同じことが起こらないかと疑心暗鬼になるだろう。ジャファルスが変わらずスパイを放ち続けているのは我々の猜疑心を煽ることまで計算に入れているからだ。今後、再び同じ悲劇が繰り返されないよう、重要な役職に就くものの身分照会は徹底させよ」

「御意」

 ――結局、部隊設立案は留保となった。





 ミローリは帰りの馬車の中でため息を吐いていた。

「ミローリ様…」

「大事無い。どうもあの方と話すと空回りさせられていかん…」

 ベルマン将軍は生え抜きの軍人でありながら政治のできる男だ。親衛隊の件は甘い見通しを助長したように見えたが、だからこそ「忠誠を誓っていない」と言い切った。助けはするが王としてはまだまだと暗に述べたのだ。にもかかわらず正論を呑み込んで正論で返すあの手腕は……性格であろうか。自分には持ち得ないものだ。上手く利用され、掌で転がされている…。

 バレーナ親衛隊設立についての草案を改めて見てみる。悪くない。あのロナという少女、バーグ商会で将来を期待されていたとの報告だったが、なるほど説得力がある。悪くない才能だ。しかしこの先もその志がずっと続くかはわからない。組織が膨れ上がれば見解も動機も多種多様になっていく。正式に王になればそれらを飼い慣らさなければならないのだ。今のバレーナ様にはまだ早い……。

 頭を悩ませたまま屋敷に到着すると、妻はちょうどティータイムだったようだ。しかし部屋に漂うこの香りは……

「あら、おかえりなさい。あなたもどう? 今、すごく流行っているらしいのよこの紅茶。確かにクセになる味わいね」

 会議室どころか、すでに家にまで――。ミローリは言葉を失った。



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