第38話


 夜も更けて九時を過ぎ、しかし酒場はいよいよ盛り時である。隠れ家的なレストランバーもバカ騒ぎする客こそいないが盛況である。そのカウンターの片隅に座る二人は一段と濃い雰囲気を発していて他人を寄せ付けない。一人は口髭を豊かに蓄え、一人は顎髭が長い。二人とも着物を着て、二人とも深い皺が刻まれた顔が渋い。これ以上ないほどの「サムライルックス」だが、それもそのはず。一人はシロモリ家前当主、一人はシロモリから派生したメイスン道場の師範である。心身とも年季の入った二人が並び、ウィスキーを呑む姿が様になりすぎていて、見知った他の客も遠巻きに見る始末である。

 そんな周りを気にすることなくグラスを傾ける二人は、ところどころで溜め息を漏らしている。

「…すまん、お前の娘の顔に傷を付けてしまった。こちらの不手際だ」

 ガラノフ=メイスンが静かに頭を下げる。

「いや……傷というほどのものでもなし、あれも剣を取るならば覚悟の上よ」

 ガンジョウ=シロモリが手に持つグラスを揺らす。

「なかなか一本気な娘だ。技術も申し分ない。負けん気と強情さは、昔のお前にそっくりだな」

「……だからアケミを当主に選んだ」

 ガンジョウはぐっとウィスキーを口に含んだ。

「アケミはワシなど及ばぬ才能を持っておる。故に、ミオは剣では一生姉を越えられぬ」

「あくまで剣だけの話であろう? 当主には当主として必要な素養がある。ミオからはそれが感じられたがな」

「尚更よ。もしミオが当主になれば、その性格ゆえ、自分より優れた剣技を持つ人間がいるのに己が当主でよいのか、思い悩むところであっただろう」

「そこまで言い切るほどか? 確かにミオは体格には恵まれておらぬが、これからアケミを上回る実力を得る可能性もあると思うぞ」

「あ奴は……アケミは剣と相思相愛、一心同体の剣鬼よ。もはや放したくても離れられぬ。たとえ自ら振るう剣によってどれほどの不幸が訪れようとも、決して手放すことはできぬ」

 あくまで譲ろうとしないガンジョウに諦めにも似た頑なさを感じ、ガラノフも酒に口を付ける。

「……なかなか大変なようだな、アケミは。ウチに道場破りに現れたと聞いた時はよくもここまで剣に貪欲になったかと感心したものだが、今は酒に酔って街を彷徨う姿を見かけることも珍しくないという……少々早すぎたのではないか? 継承するのは」

「………女としての幸せを知った後であれば当主にはなれぬであろう。あ奴も望んだことゆえ時期尚早とは思ったが家督を譲った。だが………父親としては間違っていたかもしれん。剣士としても女としても再起できるか……ワシにはかけてやる言葉も見つからん……」

 普段からして石のように動じないガンジョウだが、今日は沈み方が激しい。さすがにガラノフも気の毒になる。

「お前は先程褒めたではないか、アケミは剣に愛されていると。天賦の才を持つ者に常人の心配など杞憂に過ぎん」

「…褒めてなどおらん」

「いいや褒めた。俺の弟子たちはお前の姉妹に完膚なきまでに叩きつぶされて一からやり直しだ。大いに自慢しろ」

 そう言ってガラノフはガンジョウの前にグラスを掲げた。

「…すまん…」

 チン、とグラスを合わせ、男達は酒に呑まれていった……。








 長刀はアケミの手に戻った。しかし今のアケミにはやることがない。

 シロモリの役目は親父殿が代行しているし、バレーナ親衛隊の方は積極的に関われる状況ではない。ロナから報告は受けているが、人員確保よりも部隊成立のための議論で揉めているらしい。全ては自分の件が事の発端だから、出しゃばるわけにもいかない……。

 実質的な謹慎の身となって一週間が過ぎようとした頃、幻が色濃く見えるようになっていた。クーラさんの影だ。クーラさんの事があった後、二人処刑したが、そのときから現れた。

 人を斬る度に思い出す―――その予感はあった。それだけショッキングなことだったと客観的に自覚してもいた。だが、それだけではなかったのだ。

 部屋に一人でいると、いつの間にか隣に彼女がいるような気配がする。そしてクーラさんに話しかけられている気がするのだ。具体的に何かの言葉になっているわけではない。ベッドに入るともっとひどい……。甘い囁きのような幻聴が耳元で聞こえ、気だるく熱い感触に肌を撫でまわされる……そこで目が覚めるのだ。

 呪い……呪いだろう。クーラさんは元々スパイだった、粛清は当然の帰結である―――それは所詮、外野の見解である。当事者である自分たちは愛し合い、通じ合い、分かり合っていた。だから無自覚に浮気したあたしを呪って、クーラさんは牙を剥いたという。

 だが……あたしはバレーナを愛しているのだろうか? クーラさんと同じように…?

 アルタナディアに少なからず嫉妬を覚えた、それはもう認めるしかない。けれど、バレーナに欲望を感じるかというと………わからない。嫉妬が愛欲の裏返しならそうなのかもしれないし、最近仕草や表情にドキリとすることもあった。否定しきれないし、何よりクーラさんよりもバレーナを一番に設定していたのは間違いないだろう、とも思う……それが恋愛感情とは言えなくても……

「う…」

 …薄く眼を開けると、無人の道場だった。瞑想していたはずが、いつの間にか船をこいでいたらしい。

 立ち上がろうとすると少しふらつく。明らかに寝不足が原因だ。いつ、どこで、どのタイミングでも身体の休息を取れるのがひそかな自慢だったが、連日のように浅い眠りが続けば、いずれ脳が耐えられなくなる。しかし、だからといって寝て過ごすわけにもいかない。今はともかく、剣の腕を磨くことだ。新しくできる部隊を鍛え上げるのが次の課題となる。その時にシロモリとして役目を果たせるよう、腕を錆びつかせておくわけにはいかない。今こそ研鑽を積み重ねなければならないのだ。すでに筋力は戻っている。後は神経を研ぎ澄ませ、万全の状態を取り戻す。

 足を前後に、肩幅ほど開き、膝の力を抜き、腰を―――重心を落とす。

 

 向いてないんじゃないか―――?

 ……それはわかっている。だが向き不向きと成すべきことを成すかは別だ。

 だからまた人を斬るのか? その手で―――。

 ……それが、自分の役割だ……!


 左手に握る長刀を腰の高さに構え、右手で柄を掴んで、引き抜く―――……

「ぬっ…ん!?」

 抜けない。いや、握れない。柄に触れた途端、指先がカタカタと震えて力が入らない。鯉口を切ることすらできない……!

「くっ……くそ!」

 右手に力を込めると、全身が見えない何かに縛られるように動かなくなっていく。息をする様に抜き放っていた長刀が、長刀が……!

「くそぉ―――ッ!!!」

 長刀を床に叩きつけたい騒動に駆られたが―――……長刀が掌から離れることはなかった…。





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