第30話
ライドル一門の厩舎はかつてない異常事態に見舞われていた。飼育している馬が怯え、あるいは興奮して暴れているのだ。その様は何十人もの憲兵が取り調べに現れた時以上で、門下生たちも慌ただしく走り回っている。そして何より驚きなのが、その原因を作ったのがたった一人の女だということである。
アケミ=シロモリ―――「長刀斬鬼」。
ライドル門下生は動物的直感というものを知っている。獣は天敵に対してだけではなく、時に天災まで察知する。生命の危機に敏感なのだ。馬たちのこの反応からして、アケミという女剣士が尋常ならざる存在であると誰もが理解した。
「…で、ここで技術を学んだジラーは、秘蔵の名馬『ジャイオン』を乗りこなせる唯一の騎手だったんだな」
「ああ、そうだ…」
必要以上に威圧的に感じるアケミの質問に、一門の代表代理・カシーノは脂汗を額に浮かべる。
「具体的にどうなんだ? ジラーの騎乗能力はどれほどだ?」
「アイツは馬をその気にさせる力がある。アイツが鼻先を向けさせれば、馬は目標に真っ直ぐ突っ込んでいく。跳べと望めば、どんな塀も乗り越えていく。戦えと命じれば、敵を手当たり次第蹴散らしていくだろう。普段大人しい馬でも、アイツが手綱を引けば牙を剥く」
「……たとえば、荷馬車を引いていた馬を戦場で乗り回したり?」
「そんなのは理屈に合わない。御宅だってわかるだろ、訓練もしていない民間人が戦場で戦えるか? 軍馬は軍馬としての訓練が必要だ」
それはそうだ…。ニガードを捕らえた時のジラーの曲乗りに目を奪われたが、それに馬を付き合わせたことの方が実は凄かったのだ。
「馬の気持ちもよくわかるから馬からの信頼も厚い。アイツの才能だけは認めるしかない…」
「ふん…。ジャイオンとかいう馬は? 普通の馬の三倍大きいと聞いたが」
「三倍というわけではないが、見ればそう感じるかもしれんな。あれは馬であって馬ではない。『ゾウ』という生き物を知ってるか」
「『像』? いや…」
「ゾウは陸上最大の動物で、跨ればまるで戦車のようだ。その気になればその巨体と圧倒的な力で家屋を破壊することだってできる。そのゾウが機敏に跳ね、風より早く疾駆する。ジャイオンはそういう馬だ」
「………」
「…まあ、ゾウを知らなければイメージし辛いだろうが…」
「……倒す手段は?」
ぎょっとしたカシードだったが、アケミが手に持つ長剣を見て、かぶりを振った。
「遠くから弓で射かけるか、槍を投げるか……くらいしか思いつかないな。とにかく剣じゃ無理だ。ジャイオンに跨るジラーには届かないだろうし、踏み殺されるのがオチだ。とすると槍だが……ジャイオンがひと踏みする間合いの外から攻撃するなら、3メートル以上離れた場所から…いや、ジャイオンが跳ねれば5メートルでも足りない…」
「馬上ではなく馬を狙うとしたら?」
「もっと無理だ! ジャイオンの首から胴は人間と比べ物にならない筋肉の塊だ。刃なんか通らない!」
それはやってみないとわからない―――と、言いたいところだが……以前斬り飛ばした丸太と同じ要領だと想定するなら、繰り出す技は溜めが必要な居合い切りだ。さらに相手は激しく動く。角度を間違えれば、それこそ刃は弾かれてしまうだろう。巨大な猛獣を倒すには………
「――あ、あの…!」
突然若い女が会話に割り込んできた。いや、若いというより少女だ。歳の頃は自分と同じくらいに見える。フワッとした栗色の髪、猫のような丸い目に愛嬌があったが、表情は不安と焦りが入り混じっている。
「おいアレイン、入ってくるな!」
カシーノが肩を引くが、構わず振り解いてアケミを正面から睨むように立つ。
「あのっ……ジャイオンを殺すんですか!?」
「……そうしないと止められないならな」
「ジラーはどうしようもないクズ野郎だけど、ジャイオンは私たちが大事に育てた馬なんです!」
「ジラーに駆られて軍を襲っている。害獣だ」
ギッと奥歯を噛みしめたアレインに思い切り平手打ちされた。
「私たちが育てた馬は、道具じゃない!!」
アレインは感情のままに叫ぶが、
「――殺されたあたしの後輩もそうだ」
睨み返すとアレインがうろたえて一歩下がる。できるだけ感情を抑えたつもりだったが……たぶん、視線だけで殺せそうな目をしていただろう。
顔を伏せ、静かに息を吐き……カシーノに向き直った。
「ジャイオンの厩舎、内側から破られたように見えるな。鍵をかけていたのなら、ジラーに呼ばれたジャイオンが自分から出ていったんじゃないのか」
「そ、それは……」
「……それはこの際どっちでもいい。こっちも奴をサシで相手にしなくちゃならない、正直手加減する余裕はない。恨んでくれてかまわん」
「え、一対一!? どうやって―――!?」
それ以上は不要と後ろを振り返らず、ライドル一門の牧場を後にした。
『娘が殺されてしまったことであなたを怨んではいません。あなただって酷い目にあったのでしょうから』
『ただ……せめて、兵士として無駄な死でなかったと、娘の命に意味があったことを証明してほしいのです。どうか……どうか…!』
ストール夫妻の願いは切実だった。本当は恨み節の一つも言いたかっただろうに、ミリムが私を慕っていたから胸の奥で気持ちを押し殺し、その想いを尊重したのだろう。胸が張り裂けそうなほど苦しかったはずだ……。
死んだミリムのために……私は……私は……!!
オウル工房に送られてきた手紙を読んだミーシャは、開いた口が塞がらなかった。
立ち尽くすミーシャの尻をマクベス親方が後ろから蹴飛ばす。
「何を油売ってんだテメェ、ボーっとしてんな……どうした」
蹴られても呆然としたままの息子に、さすがのマクベスも不穏な空気を感じ取る。
「こ、これ…!」
「あ?」
クシャクシャに握られた手紙を受け取った親方は渋い顔で低く唸り……ミーシャに手紙を投げ返した。
「刀身はできてるだろ。テメェが仕上げろ」
「はああぁ!!? いや無理だってっ……いやいや仕上げるのが無理ってんじゃなくて! こんなの使えるわけないだろ!!」
「それを使える物に仕上げんのが職人の役目、使いこなせるように訓練するのが剣士の務めだろうが。期限がねぇぞ、さっさとかかれ」
「マジかよ……何日徹夜すんだよ…」
噂は聞いている。アケミは立場的によくないことになっているらしい。おそらく必死であろうことはよくわかる。しかし―――いくらなんでもコレはない。自棄になってはいないかと、ミーシャはアケミの顔を思い浮かべるのだった。
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