第29話



 マユラを見舞った二日後、アケミはエレステル軍統合本部を訪れていた。

 統合本部は五つあるエレステル軍の大隊全ての指揮を統括するが、実体は情報を集積・伝達する場である。軍の最高司令官は王であるが、実際には第一大隊の大隊長が序列一位となって舵を取り、五人の大隊長を中心として会合で行動方針を決め、最高評議院の会議にかけられる。とはいえ、大隊の内三つは国境警備に就いているため、全員揃う機会は限られる。そのための統合本部なのである。

 アケミがここに赴いた理由は、ある要望と宣言をするためだった。

「シロモリ家当主、アケミ=シロモリだが、現在統合本部に詰めておられる大隊長にお会いしたい。今お会いできなければ、日程を都合して頂くか、代理人とお話したい。至急の要件だ」

 アケミの依頼内容をメモし、受付の職員の一人が階上へ上がっていく。好奇の視線に曝されることも覚悟していたが、統合本部は静かだ…。そもそもこの統合本部の建屋はあまり重要な意味を持たないため、小ぢんまりした二階建てで職員も少ない。しかも憲兵本部のすぐ裏にある―――。

「――お待たせいたしました。こちらへ」

 案内役について二階の会議室へ。この建物に入るのは初めてだが、廊下から窺えるドアの数と建物の大きさから会議室、資料室、職員の控室……あとは調理室とか談話室とかか。

 どうやらその会議室らしい角部屋のドアの前に立つと、途端に緊張感が増す。考えてみれば、ジラーとクリスチーナを捜索中で大わらわのはずなのだ。いくら「シロモリ」の名で「至急」と言っても、事のあらましが耳に届いていれば無視されてもおかしくない。では事前のアポなしで、偶々居合わせて、偶々手が空いていたと…? いや、偶々気が向いたとしか思えない……だとしたら、どういう気分なのか? 顔を合わせたことがあるのは第二大隊の大隊長であるムネストール大隊長のみ。しかし私が国内めぐりから帰ってきた頃に体調を崩しており、近々引退するらしいと聞いている。話は聞いてくれても、後ろ盾に成ってもらうのは難しい。

 案内役がノックしてドアが開き―――声を失った。

 それほど広くない会議室に二人の男。

 一人は先日グロニアに帰還した第五大隊のマジリナ大隊長だ。だが、もう一人は…!

「ほ、ワシの娘より美人ではないか! それで剣の才能があるとは、世の中不公平じゃのう…」

 白髪・白髭の好々爺―――ただし、規格外の巨体である。

 第一大隊大隊長にして「白き大熊」の異名を持つ歴戦の士―――ベルマン=ゴルドロン!

 昔、遠目には見たことがある。だが、今目の当たりにするとまるで印象が違う。ゾッとするほどのプレッシャーを感じる……!

 最近は体調不良を理由に療養中と聞いていたから、この場で出会うとは想像していなかった……。

 案内役が退出してドアを閉め、部屋の中は三人に。付き人もいない。ベルマンが椅子を勧めたが、座らなかった。

「…アケミじゃったか? ガンジョウ殿は御元気かのう。最近合うておらんでな。しかしそう言えば、シロモリの家は姉妹じゃったか……むぅ、男じゃったら間違いなく娘の婿にしておったのにままならんのう、ワハハハ!」

 豪快に笑う。一人で喋って何がおかしいのか…。

「ベルマン殿……シロモリ殿は用件があって参ったと…」

 マジリナがやんわり促しベルマンは「そうじゃった」と膝を叩く。動作が将軍というよりただのジジイだが…。

「で、何を頼みに来たのかのう?」

「……今、スパイ容疑で逃走しているクリスチーナ=ガーネットとジラー=オムホースを追う事を承諾してほしい」

 マジリナは表情を曇らせ、ベルマンは「ほう」と顎ひげを撫でた。

「承諾というのは、捜索隊に参加したいという事か?」

「いや。私一人でやる…」

 今度はベルマンも頭を掻いた。

「話は聞いておる……クリスチーナという女将校とは、ただならぬ関係じゃったとか」

「……そうだ」

「追ってどうする?」

「もちろん捕らえる。場合によっては……斬るかもしれない」

「鵜呑みにはできんのう」

 ベルマンは腕を組み、首を捻ってぽきぽきと鳴らす。

「わかっておるじゃろうが、お主に対する嫌疑が晴れたわけではない。若い時分の腫れた惚れたほど狂おしく、己を見失うものはないのう。ワシも若いころ、初めて女を知った時は夢中になって――」

「ベルマン殿…」

「わかっておる、若者の緊張を解かせようという気遣いではないか。マジリナは真面目じゃのう…。まあともかく、お主に女将校をどうこうできるとは思えん。むしろ、いいように操られるのではないかと懸念しておる」

「そんなことはない――!」

 力の限り否定するが、ベルマンは坦々と続ける。

「お主との関係が噂で流れ始めたのは裏切った直後からであろう? 誰が流した? 派手に暴れ回っておる馬乗りか? 素行の悪いヤツが何を言っても信憑性は薄かろう。ならば答えは一つ、当の本人である女将校が流したんじゃ」

「…シロモリに注意を向けさせ、撹乱するためでしょうか?」

 マジリナの問いにベルマンは「かもしれんのう」とまた顎を撫でる。

「思い切りがよいし、情報戦にも長けておる……そして一切姿を見せぬところがまた油断ならん。対してお主は『斬るかもしれん』? そんな浮ついた心持ちでどうにかなるのか?」

 大熊と呼ばれ、のらりくらりとした独特の口調ながらも有無を言わせないほど正論だ。祖父と孫ほどの年齢差があるとはいえ、子供に含み聞かせるような言い方をされて何も反論できない――が…

「……私には成し遂げなければならないことがある。そのためにこんなところで躓くわけにはいかない」

「ほう?」

 ベルマンとマジリナは顔を見合わせる。この答えは予想していなかったのだろう。残念ながらセリフとしてはチープ―――若造の遠吠えにしかならない。

 慎重に言葉を選ばなければ……何もかもが遠のくことになる。

「一体何を成すという?」

「…バレーナを支えるには力がいる。だがシロモリに権利はあるが権力はない。実力を示し、人を動かせる立場にならなければならない」

「将軍にでもなろうというのか?」

「…ありかもな」

「ふむ……」

 ベルマンはしばらく黙考し………ふん、と鼻を鳴らした。

「まあやってみればよかろう。好きにしてみよ」

「ええっ!?」

 肩を震わせたのはマジリナだった。

「なんじゃ、いかんかマジリナ?」

「当然です! 懸念要素があると、ベルマン殿が仰ったではありませんか!」

「ワハハハ、そうじゃったそうじゃった。では、軍から誰ぞ付けてはどうかのう」

「え…!?」

 今度はアケミがうろたえる番だった。この白熊、初めからそのつもりだったな…!

「見張り役ってことか?」

「補佐役じゃよ。お主がわざわざ断りに来たのは、後々に揉めないためじゃろ? つまりは共同作戦の申し出とも言えんかのう。どうでもよければ一人でさっさと行ったはずよな。補佐役を使って展開中の軍に割って入れれば都合がよかろう。情報の共有は必要なことじゃしのう」

「その伝達係が後ろをついてきて、あたしが上手くやれば軍の成果にもなると?」

「ホ、賢いのう。お主の動きに連動するよう、他の大隊長にワシから書簡を出しておこう。無論、伝達するまでしばらく時間がかかる。その間に捕まっても怒るでないぞ?」

「ジラーはともかく、クーラ……クリスチーナ=ガーネットは隙を見せない。あたしも具体的な対策を考える……」

 …と、そこでふと思いついた。

「一つ、よろしいか」

「うむ?」

「同行者はナムド中隊長をお願いしたい」

「何!?」

 マジリナ大隊長が顔を渋らせた。

「なぜその者を指定する?」

「これまで何度か世話になっているし、クリスチーナ、ジラーの顔もわかる。国境警備の任務を終えたばかりで申し訳ないが手は空いているだろうし、補佐役としても見張り役としても妥当な階級だと考えるが?」

 ベルマンが無言で問いかけるとマジリナは口をへの字に曲げた。

「確かにナムドから報告は上がっていたが……何か企んでいるのではないだろうな?」

「何も。ただ、顔見知りだからやりやすい。共同戦線という話でしょう?」

 これにはさすがのベルマンも目を見開いた。

「ワハハハ、油断ならんのう。その考え方、誰に仕込まれた?」

「…………」

 ………クーラさんだ。

「よかろう! マジリナ、要請してやれ。―――アケミよ。この結果で、お主が何者かがわかる……お主自身にとってもな」

 ベルマンの目が鋭くアケミを捕らえる。ここが勝負所―――優秀なシロモリと評されるか、ただの小娘と見下されるかの分岐点だ。いや、それだけじゃない……胸の内に渦巻く疑念、後悔、愛情……それらに決着を付けなければ、ここから先には進めない…!

 今、成すべきことは二つ―――。

 兵士として、先輩として、ミリムの死を無駄にしないこと――。

 己がシロモリを継いだ原因……バレーナを支える力を得るために、結果を残すことだ――。





 アケミが退出した後、ベルマンは職員に持ってこさせたビスケットをポリポリと摘まむ。

「…マジリナよ、クリスチーナという女のことをどう聞いておる?」

「兵士として極めて優秀であり、女としても魅力的で人気があったようです。裏切りが報じられても、兵士の間では信じられないという声と、納得できるという声に分かれました」

「ほう、納得できる、とな。お主は女の魅力とは何だと心得る?」

 ベルマンの質問にマジリナは腕を組み、十秒ほど唸った。

「……夫に尽くす献身さでしょうか」

「アホ! いや、それはそれで確かにいい女なのじゃが……そういうことではないわ。男にとって、雄にとっていい女とは、親しみやすさと包容力、そしていくらかの妖しさとほんの少しの毒を合わせ持つ女よ。甘えさせ、奮い立たせ、溺れさせ、飽きさせぬ。それを自然にふり撒くのが悪女、意図して操るのが魔女じゃ。アケミとクリスチーナのことが流れたのは事件の後よな」

「スキャンダラスな情報を流して場を混乱させ、隙を見て逃走するのが目的でしょう」

「兵士として優秀な悪女ならの。しかし魔女ならどうじゃろな。アケミはあの女とのことを否定せなんだ。所詮は裏切り者の戯言と押し通してしまえば済む話であろう」

「若さゆえでしょう」

「だからじゃよ。あ奴が物怖じせずワシと対等に語り合ったのは、シロモリの立場を自覚しているからじゃ。噂を無視するという選択肢も頭に浮かんだはずよ。だが感情に捕らわれ過ぎておる……このビスケット上手いのう」

 いつの間にやらビスケットの入っていた器は空になっている。紅茶を啜って「ゲフゥ」とゲップするベルマン……マジリナももう慣れた。

「アケミ=シロモリ……頭もよいし度胸もあり、腕も立つ。おまけに父親に似ず美女じゃ。女であっても惚れこんでしまうかもしれんのう…。噂を流したのが時間稼ぎでなくアケミを追いこむためじゃとしたら……」

「まさか……自陣に引き込むために? スパイ行為の上に兵士も殺しているのです、捕まればほぼ間違いなく極刑でしょう。『シロモリ』が国を裏切れば士気に影響はでましょうが、アケミ自身は所詮成り立ての小娘、いずれショックも薄れるでしょう。クリスチーナにとってはリスクが高すぎます」

「女の執着は恐ろしいものよ。そしておそらくアケミとクリスチーナは互いに引き離せぬほど深い仲なのであろう。二人が出会うのは……ちと危険な気がするのう」

 髭に付いたビスケットの欠片を指で拭いながら、ベルマンはちらりとマジリナに目をやる。

「ナムドという男はどうじゃ? いざという時、使える奴か?」

「…優秀な男です。将来的には私を超えるでしょう」

「ホ。一度会ってみるのもよいか」

 大きく欠伸をしながら巨体を伸ばし……ソファに深く沈んで、ベルマンは天井を見上げた。

「天賦の才を持つ剣士が最強の兵士になれるわけではない……とはいえ、父親にとって娘は一番の存在に変わりなし……。場合によっては、ガンジョウに恨まれることになるのう……」






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