第28話
「……その後、ウェルバー兵長たちが来てくれて、私だけ助かった…」
ベッドに横たわるマユラの顔を、アケミは見ることができなかった。マユラは全身酷い傷だらけだ。いくらクーラさんが本気を出したとしても、マユラの実力ならここまで圧倒されはしない。間違いなく、ミリムをかばったのだろう。つまりクーラさんはマユラが現れて逃走を図るのではなく、マユラも殺そうとしたのだ。
頭の整理が追いつかない……クーラさんはジャファルスのスパイで? おそらくジラーを使って情報を流していた。ジラーと初めて会ったのはシロモリ隊の任務の時が初めてだろうから、何か動き出そうとしていたのかもしれない。それももう、はっきり裏切っても構わない段階に進んでいる……
(…何だ、裏切ってもいいことって…!!)
血の気が引いて手先は冷たいのに、腹の底は煮えくりかえるようで、吐き気と冷や汗と震えが止まらない。何に怒り、何が悲しいのかがわからなくなってくる。
いや―――
「…ミリムを、守れなかった…」
――マユラが啜り泣く様に訴える。
「様子がおかしかったの気付いていたのに、ちゃんと聞いてあげられなかった…。私、先輩だったのに……!」
マユラはぼろぼろと涙をこぼす。そう、ミリムがマユラの前で死んだのは、間違いないことなのだ。
「すまん……」
何について謝っているのか自分でもわからない……いや、わかっている。自分の不甲斐なさだ―――。
「アケミ様、大丈夫ですか?」
部屋に入ってきたロナに声を掛けられて我に帰る。まずい……療養所を出てからの記憶があまりない…。
自分でもわかる…起こった出来事がどうしようもないほどショックで、気持ちも思考も置いてきぼりにされている…。
軽く周りを確認すれば、ロナの部屋だとわかった。ロナは知り合いの商家の離れを間借りしてグロニアでの住まいとしていた。何度か訪れたことがある…。
ロナは運んできたポットからお茶を注ぎ、カップを差し出す。
「ハーブティーです。気分が落ち着きますよ」
半ば押しつけるように手渡され、口を付ける。ハーブは苦手なのだが、ロナが飲むまでじっと睨むように目を離さないので仕方なく飲みきる。
「………」
「…お辛いでしょうが、時間的な猶予がありません。わかるかぎりの現状をお話しますので頭に入れておいてください」
頷くが、ロナの言葉は胸の奥に落ちてこない。聞いた側から抜け落ちていくようだ。
「ジラーとクリスチーナ…さんは、現在国内で逃亡中と見られています。国境封鎖の対応が早かったためジャファルス側に逃げ込んでいないようです。クリスチーナさんは行方不明ですが、ジラーは馬を駆り、追手を嘲笑うように逃走しています。ご存知かもしれませんが、ジラーは馬術の名門・ライドル出身で、一門秘蔵の名馬を盗んだそうです。何でも普通の軍用馬の三倍の大きさの怪物だとか……。軍を強襲しては物資を奪い、姿をくらませる強盗まがいのことをしているようですが、人馬一体となったジラーを止められないのが現状のようです。クリスチーナさんは依然として足取りが掴めません」
「……うん…」
「アケミ様……聞いてくださいアケミ様」
「聞いている……ちゃんと聞こえてる…!」
苛立ち混じりに答えてもロナは不安げな表情を崩さない。わかっている、自分でもわかっている…!
「ここからが重要なことです……。憲兵に連行されたように、アケミ様には嫌疑がかけられています。クリスチーナさんに籠絡されて情報を流した嫌疑です」
「……え!?」
「…アケミ様とクリスチーナさんの関係が、城内まで噂されています」
絶句した。誰にも話していない、誰にも悟られないようにしていたはずなのに、なぜ…!?「……こんなこと、聞くことじゃないですけど……関係があったのは、本当なんですか?」
「…………」
何も言えない。なぜだろう……あんなに、何よりも大切で、どんな逆風にも抗えると思っていたクーラさんとの関係が、今は後ろめたさしか感じない―――。
「大事なことです。答えてください」
ロナは興味本位で聞いているわけではない。それは十分に理解している。ただ……今、この状況で認めてしまったら、あの重ねた唇の柔らかさが、熱を交換した夜が、全て幻になってしまいそうな気になるのだ…!
「アケミ様…!」
激しい口調に気押され、流されて曖昧に首を縦に振る。ロナは肩を落とし、ゆっくり息を吐きだした。
「……申し訳ございません。ですが、この事実確認をしないと、今後の対応を決められませんでした。お許しください」
「いや……。それより、対応って…?」
「今回の影響で、部隊設立の雲行きが怪しくなってきました。申し上げにくいですが、原因はアケミ様です。発案者であるシロモリの女当主がハニートラップにかかり、しかも相手が女ということで二重のスキャンダルになっています。それでもバレーナ様は設立する意思を堅持していますが、最高評議院でも分が悪いです。挽回するのは難しいですが、まずアケミ様がスパイ行為とは無関係だと証明しなければなりません。それにはアケミ様自ら二人を、軍より先に捕まえる必要があります」
「あたしが――…」
「正確にはアケミ様が主導で捕らえたという体裁がとれればいいのです。実際には商工会縁の傭兵団に依頼し、イザベラとハイラにも同行してもらえば、間接的にですが部隊の実力を証明できますし―――……戦闘になる可能性も十分にあり得ます。さすがにアケミ様には酷かと……」
「………」
…無理だ。ジラーはともかく、クーラさんは違う。行動を起こす時には、必ず結果に対する用意をしている人だ。出たとこ勝負で捕まえることなんて、できるはずもない…。
状況は追って知らせてくるとのことで解散、帰路につく。
商工会の傭兵がどれほどの規模かわからないが、クーラさんに勝てるのだろうか。不利な状況だったとはいえ、マユラは一方的にやられた。イザベルとハイラは確かに実力を秘めているが、それは将来的な話だ。今の二人はマユラの足元に及ぶはずもなく、おそらくミリムにも勝てなかっただろう。もちろん一対一で挑むわけではないが、その状況に持ち込むのがクーラさんだ。クーラさんは本気になれば手段を選ばない。そう言っていたし、そうするだろう。
また、犠牲が出るんじゃないのか…。
あらゆる思考が頭の中で錯綜する内に、いつの間にか自宅の側まで来ていた。玄関に面する通りに入ると、門の前で親父殿と問答している男女が見える。その辺りにいる中年夫婦のようだが……誰だ? と、親父殿がこちらに気付く。その眼が一瞬戸惑ったのがわかった。釣られるように男女もこちらに振り返る。
「あっ……あなた様が、アケミ様…!?」
「そう、ですが…」
ちらりと目で訊ねると、親父殿は静かに言った。
「ミリムさんのご両親……ストール夫妻だ」
「――!!」
目の前が真っ白になった。忘れていたわけじゃない、気にしなかったわけじゃない、でも、いざこうして対面して……どうすればいい!?
長刀を落とし、とにかく頭を下げた。地面に顔が着くんじゃないかと思うほど下げ、それから上げられない…。
顔を見るのが、怖い。
視界に入るご両親の足元の動きに背中がビクビクと震えてしまう。
「わっ…わた、しっ…」
何も言葉が浮かばない。なんて言ったらいいのかわからない。ただただ罪悪感に押しつぶされるだけだ。
「どうか、顔をお上げください…」
ミリムの父親が促すが、無理だ…。するとミリムの母親が優しい声で、こう言った―――
「…よかったわ。あの子の憧れた先輩が、あの子を大事に思ってくれていて」
「―――……」
顔を上げる……ミリムの両親の顔には辛さが滲み出ているが、とても穏やかだった。
――すぅっと涙が頬を伝って落ちる。
私は、この人たちの娘を死なせてしまったんだ……。
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