第27話


 ミリムはクリスチーナを追っていた。

 クリスチーナはアケミが唯一勝てなかった女兵士である。シロモリの当主となってからアケミは格段に強くなったが、それでもミリムはクリスチーナが負けるとは思えない。たぶん、クリスチーナはこれまで一度も本気を見せたことがない……実力の底が知れない。

 唯一その力が垣間見えたのは、初の出張任務である囮作戦のときだ。あの時、騎兵と相対したクリスチーナの槍は相手が武器を振り上げた瞬間に三連突きするのを見た。馬上の兵は馬を操るのに手を取られて攻撃の振りは大きくなりがちだが、そんなことには関係なくクリスチーナの反射スピードが速かった。槍の突きは動作が小さく攻撃の軌道も一直線、リーチの長さも相まって最強の攻撃の一つである。しかしそれでも呼び動作と溜めは必要であり、剣を三回振り回すより槍で正確に二連続突くほうが難しいとされる。呼吸を無視したような三連突きは、ミリムのような新兵でも実力の高さがわかるというものだ。

 門番の話では村に向かったということだったが、ミリムは反対方向に進んだ。勘と言えばそれまでだが、そんな気がしたのだ。

砦を挟んで村の反対側とは、すなわち国境―――。危険な地域だが、だからこそ人もおらず、隠し事をするにはちょうどいい。ミリムを覆い隠すほどの背の高い草が生い茂る一帯に、分け入った形跡があった。おそらくここだろう。

 身を潜め、気配を殺す……身体が小さいのは戦士として、女としてコンプレックスがあるが、こういう時は役に立つ。長身でスタイル良くて美人で強すぎるアケミ先輩が恨めしいものの、聞いた話では妹さんは自分と似たり寄ったりの体格らしい。もどかしさは自分の比ではないだろう。

 這うようにして少しずつ、擦れ合う草の音すら殺すように進んでいくと、やがて人の声が聞こえてきた。まず目に入ったのはジラーだが………ズボンしか穿いていない。そしてその視線の先にいるクリスチーナは―――下着を身に着けているところだった。

「っ……!」

 ――何をしていたのかすぐにわかった。自然と拳を握り、眉間に力が入る。迂闊にも、その時何を話していたのか聞いていなかった。ただただ、苛立ちが込み上げてくる…。

 やがて追い立てられるようにしてジラーは去り、クリスチーナは立ち上がって髪を撫でて整える。何事もなかったような顔つきに、我慢は限界だった。

「……クーラさん!」

「…何かしら?」

 草むらを飛び出して現れても大した反応を見せないクリスチーナ。気付いていた…!? いや、そんなことはどうでもいい、問題は―――!

「どうしてっ……先輩とお付き合いしてたんじゃないんスか!?」

 クリスチーナは目を丸くし―――フ、と唇を歪めた。

「もしかして覗いてた? あられもない姿で喘ぐあのコを見て興奮した?」

「なっ……の、覗いてなんか…!」

 覗いてはいない―――。ただし、部屋の前まで行った。傷がほぼ治り、一足早く報告しようと第五大隊駐屯地を訪ねた。任務を終えて帰還し、解散した直後の駐屯地はがらんとしてほとんど人の気配がなかった。その静まり返った駐屯地の士官室のドアを開けようとしたとき、聞いてしまったのだ。初めて聞く先輩の声……甘く、生々しい女の声だった。自分が離脱した数日の間に何があったのか? いや、思い返せばもっと前からそうだったのかもしれない。まだ自分が子供だったから気付かなかっただけかもしれない……ただ、子供であってもわかることがある!

「こんな……あんな男と、どうして…! 先輩に対する裏切りじゃないですか!」

「あの子がそう思うかしらね?」

「は、はぁ!? 当たり前じゃないですか! 信じられない……こんな人だなんて思わなかった!」

「じゃあどうする?」

「え!?」

「あの子に言う? 皆に触れまわる? それをしたところで、あなたに何があるの?」

「そ、それは…」

 クリスチーナの評判は落ちるだろう。だがそれで終わりだ。仮に今の地位から降りることになっても、確かにミリムには関係ない。でも……!

「――わかるわ。気持ちの問題でしょう? でもあなたが納得する答えを出すのなら……私が愛しているのはアケミだけよ」

 自らの身体を慰めるように抱きながら歩み寄るクリスチーナに、ミリムはどきりとする。この顔はきっと、あの部屋で先輩に向けていたものだ。そしておそらく先輩も……。

 なぜだろう。なぜだろう。自分と先輩は才能が違う、生まれが違う、役職が違う―――でも、歳は一つしか変わらないはずだ。なのに……先輩という人間が、わからなくなった。目の前のこの女のせいなのか? それとも、自分がまだ子供だからなのか? わからない、わからない……。

 ミリムが口を噤んだままでいると、クリスチーナは優しく微笑む。

「……混乱しているようね。でも確かなことは、私たちは愛し合っているし、お互いが必要なの」

「じゃあ何で…!」

「ジラー? 利用しているだけよ。そもそもこの間アケミ隊に引き入れたのも接触する機会を作るためよ。まさかあんなに扱いづらい男だとは思わなかったけれど」

「利用って…何なんスか? 一体何をしてるんスか!?」

「大したことじゃないわよ―――…」

「…!?」

 クリスチーナの目線が一瞬逸れた。その視線の先、自分の背後に冷たい気配を感じる―――

「――うわっ!?」

 しゃがんだのは偶然というか勘だ。剣は頭上を通り過ぎ、反射的に引き抜いたナイフで反撃すると男の首を切り裂いていた。

「っ…!? え!!?」

 咄嗟の事で収縮していた毛穴が緩み、どっと冷や汗が、次いで爆発しそうに心臓が鳴り響く…。

 見覚えのない男は首から血を噴いて倒れ、絶命している。一体何なんだ、こいつは!? 

 混乱しながらも目と手は自動的に動く。日頃の訓練、そしてたった数度だが実戦で得た度胸の賜物だ。

 手早く男の服装や持ち物を確認する……見覚えがある、これはジャファルスの装備だ。そして……

「密書…?」

 懐から油紙に包まれた書簡を抜きだした瞬間――――重い痛みが背中からわき腹を襲う。そして訪れる甘い香りと、暗い声……

「間が悪いわね……運がない」

 耳元の囁きで理解した。この人は、ジャファルスのスパイ……!

 背中から刺された槍に力が込められる……熱くなる脇腹から血が逆流しているのが自分でもわかる。

 このままじゃ―――死ぬ……!?

「…うおあああぁ―――っ!!!」

 遠くから声が聞こえる……同時にクリスチーナから解放され、その場にうつ伏せに倒れた。声の主は私に駆け寄ると剣を振ってクリスチーナを追い払う。

「ミリム! ミリム!!」

 抱き起こされてようやく誰かがわかった。マユラだ。

「大丈夫!? 私の声が聞こえる!?」

 この人、こんなに大きな声出せたんだ……。

「ミリ――ぐっ!?」

 マユラの後ろにクリスチーナが見える。その手に握る槍の穂先がどこに伸びているのか、言わずとも知れた。

「残念ね……あなた達は気に入っていたのに。本当よ?」

「くっ…!」

 振り向きざまに剣を振ればクリスチーナが下がり、マユラは自分を庇うように立つ。その背には血が滲んでいる…。

 駄目だ……逃げないと。自分の事は放って逃げてください。そうじゃないと、ジャファルスの兵が集まってくる……

 


 意識は徐々に奪われていく……。

無意識に頭に浮かぶのは両親の顔だ。

前回の任務で負傷して心配していたのに、結局この様…。こんなことなら王女様の護衛をするって自慢しておけばよかったな……。


 

 ――――ミリム=ストールは、血だまりの中でその短い生涯を終えた。




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