第24話



 ドアが開き、アケミの前に黒いドレスの女が現れた。深く被った幅広の帽子を脱ぐと、緩やかなウエーブのかかった艶のある黒髪が流れる。

 バレーナ=エレステル。格好のせいか、以前に比べて女っぽさというか、色っぽさが増して見える。

 場所は例のレストランバー―――二人で何本もワインの瓶を空にした、あの個室だ。

「全く……あまり便利にウラノを使ってくれるなよ。えらく不機嫌だったぞ」

 上着を脱ぎながら、バレーナが苦笑交じりに言ってくる。

「そうか? あたしは優秀だと認めているぞ。嫌われている点は否定しないけどな。それよりも今日はその格好で来たのか? 目立つだろう」

「そうそうバレはせんさ。市井の人間が王女の顔なんか覚えているか。酔っ払いにいくらか声はかけられたが」

「危なっかしいな…。大丈夫か?」

「お前と会うと言ったら素直に引いてくれたぞ。存外広まっているな、『長刀斬鬼』の異名は」

「よせよせ……大したことしてないのに大仰過ぎて恥ずかしいわ」

 早速ワインを開けてもらい、乾杯する。バレーナは上機嫌なのか、一杯目を一気に飲み干した。

「…で。どうした? 何か話があるんじゃないのか。ウラノからはそう聞いていたが」

「ああ、ヴァルメア様の葬儀の時に話せなかったんだが……バレーナ、これからのお前には味方が必要なんじゃないか。王になるお前を支える味方が」

「うん? お前がそうなってくれるんじゃないのか?」

「………」

 コイツ……元々そうだったが、やっぱり天然の「垂らし」だ。

「…もちろんそのつもりだが、横にべったりつけるわけじゃないし、あたし個人がいたところで大して意味はない。もっと広く、お前の手足となって動ける、志を共にする仲間……具体的な形で言うと、お前の秘書件ガードを務める私設部隊だ」

「……難しいな」

 機嫌良くグラスを傾けていたバレーナの表情が一転して曇る。

「王になる立場の人間が個人的な隊を持つことにいい顔しない人間は多いだろう。その部隊にどれほどの権限が与えられるかということもあるし、私と直接的な繋がりを持つ人間に他の者は物を言えまい。逆に取り入ろうと画策する者も現れるだろう。公正さにおいて著しくバランスを崩す。腐敗の温床となる………そんな理由で反対されるだろうな。近衛兵の面子も潰すことになる」

「確かにな。だが、近衛も風呂場までは立ち入れないだろう? 考えているのは人数十人程度、歳は十代から二十代……要するにあたしらと同世代で、全員女だ」

「ほう?」

「立場としては側用人がいいだろう。お前の専属メイドだな。だが、戦闘、政治、経済など、あらゆる分野で突出した才女を集結させる。いわばお前の王政のためのプロジェクトチーム、あるいはそのサポーターだ」

「ふむ……」

「当然、評議院での調整は必要になるだろうが……まずはお前の意思を決めてほしい。ある程度の人選も進んでいる。一度会ってみてほしい」

「…………」

 バレーナはワインを一口含んで、揺らしていたグラスを置いた。

「話はわかった。だが、どうしてお前がそんなことをする? 手が欲しいと話したことはなかっただろう」

「………それは、付き詰めればお節介としか言い様がないな。あたしが早めにシロモリを継いだのは、お前の手助けをしたいからだ。だが権限を得たはいいが、お前の隣に立つことはできない…。お前も知っているだろう? シロモリは一定以上の要職には就けない。それに……泣いてる親友を放っておけないだろう」

 ずるい言い方だったかもしれない。だがバレーナは気まずいような、半笑いの顔で目を伏せた。

「それを言われると反論できんな……お前の前で涙を見せたのは失敗だったか」

「気にするな。いかに女王だろうと、弱みを見せられる人間はいた方がいい。作ろうとしている部隊はママゴトの集まりと陰口を叩かれるだろうが、いずれお前と一緒に強くなる。支え合う存在がいるのはいいものだ………あたしも最近、それがわかった」

「うん、わかる………それは、私にもわかる……。フ、なんだか急に大人になったな、アケミは」

 ドキッと胸が鳴る。なぜか後ろめたいような心持ちになる……同時に、バレーナが誰を思い浮かべて「わかる」と言ったのか、瞬時に理解した。

 頬を染めた、アルタナディアが―――……。

「………」

「…ん? どうした? 急に黙りこんで」

「……今、女の人と付き合ってる」

 ワインを飲み干そうと傾けかけたグラスに口を付けず、一体どういう感情の動きなのか自分でもわからず、口からポロリとこぼれた。バレーナは何も言えず、固まってしまっている。

「男を知ってるわけじゃないのにおかしいだろうが、女って柔らかいのな。自分と同じはずなのに初めて理解したよ」

「寝たのか…!?」

「悪いか?」

「い、いや……そう、か…」

 さすがに困惑顔のバレーナ……それはそうだろう、親友の猥談などコメントし辛い。それがわかっているのに口が止まらない。

「キスしたら融けるようで……交り合ってるのに胸の奥が切なくなって、また求めてしまう。あれって何なんだろうな」

 バレーナは何も答えない……だが気付いているのか? お前が今、屋上から降りてきたあの日と同じ顔をしていることを―――。

「……家はどうする。お前が当主を継いだんだろう? 相手が女性なら後継者の問題が出てくるだろう…?」

「そんなの、何とでもなるだろ。養子とるとか」

「養子…それが通るのか?」

「知らん。まだ先の話だろ」

「ご家族は……ガンジョウ殿はどう言ってる?」

「誰にも言ったことはない。この事を明かすのはお前が初めてだ」

 本当にどうして喋ってしまったのか。誰にも話せない秘密だったというのに、それを明かして心が晴れることもなく、なぜか胸の内がどろりとむかつく…。

「……お前はどうなんだ? 意中の相手とかいないのか?」

「わ、私はそんな……」

「そうなのか? 縁談を蹴るのも、てっきりそのせいだと思っていたが――」

 ガシャン―――。

 金切り声のような甲高い音を上げて、床の上でグラスが割れた。

「…すまん。手が滑った」

「…………」

 嘘だ。わざと落とした。それははっきりと拒絶の意思を示したことを意味する。


 親友よりも―――愛しのアルタナとの秘め事がそんなに大事か……


(…!? 何を言おうとしてる、あたしは…)

 もう少しではっきりと声になりそうだった言葉を呑みこむ。一体どうしたんだ、あたしは……!

 グラスの音は階下まで響いたのか、マスターがやってきて、替えのグラスを用意する。その間、バレーナは一度もこちらを見ず、目線を伏せたままだった。

「…話を戻そう。部隊設立の件だったな。お前の言う通り、優秀な人材が集まることに何の問題もない。評議院を始め、重臣どもはあまりいい顔しないだろうが、私が半人前なのが逆に説得材料になる。ただし、構成する人員については私も選定に加わるぞ」

「当然だ。お前の直属の部下になるわけだからな」

「ならそのまま進めてくれ。悪いが、今日はもう帰る」

「そうか…」

 一緒に席を立てない。立ち入ってはいけないバレーナの心の領域を踏み躙ってしまったのだ。どうして……こんなことをしてしまったのだろうか。バレーナとアルタナが本気で想い合っていたとしても、決して結ばれることはないというのに――――

「…アケミ」

 ドアノブに手をかけたバレーナが立ち止る。

「その人と付き合って、幸せか?」

「……ああ」

「そうか」

 フッとどこか悲しそうに笑い、バレーナは去った。

 瓶に残ったワインを一気に煽る……胸が焼けつくようだった。










 ミリムはようやく本来の任地である第二大隊の防衛地点に辿りついた。一人出遅れたが、道中は他の大隊から出向してきた輸送部隊に同行した。ミリムの初任務の時と同じだ。

 任地は東側のエリア……依然緊張状態が続くジャファルスと最も接する地点である。すでに交戦経験のあるミリムは他の新人以上に怖れと自信がある。とは言っても、怖れ8、自信2というところで、まだまだ実力不足。東側エリア最大の砦であるダラサダン砦に赴任するのが救いである。場所によっては山中で総勢百人に満たない砦もある。そういう所では大抵2~3人で哨戒任務に当たると言うから、野党相手でも襲われればひとたまりもない。囮任務の時に女四人だったが、今思えば相当怖いことをしていた…。他の三人が強かったからこそ無事で済んだ。

 砦に到着すると、その三人の内の一人―――クリスチーナの姿が見えた。

「あれ…?」

 隣には馬を引くジラーがいる…。ジラーは第三大隊の所属であり、今も別のエリアで防衛任務中のはずだ。

 クリスチーナがミリムの姿に気付き、二人は近づいてくる。

「来たのね。傷は良くなったのかしら。無理をしないでね」

「ども、ご心配をおかけしました…」

「久しぶりだなガキ。ビビって気絶したくせに、まだ兵士続けられんのかぁ?」

「………大丈夫ッス」

 さすがにムカっとしたミリムだが、対照的にジラーはえらく上機嫌だ。

「さっさと戻りなさい。任務中でしょ」

「へいへい。じゃあまたな」

 クリスチーナに追い立てられるようにしてジラーは馬を走らせる。さすがに速い……。

「あの……どうしてあの人がここにいるんスか?」

「伝令よ。馬に乗るのだけは上手いから。本人にしてみればサボる口実にちょうどいいのよ」

「はあ…」



 

 バーで微妙な空気のまま別れたものの、バレーナの行動は早かった。ロナと対面できたことも大きかったのかもしれない。バレーナ親衛隊(仮)の主な務めが直接の護衛というから、おそらくバレーナはゴリゴリの武闘派を用意していると思っていただろう。しかしロナは剣ではなくペンを使う、いわば文官タイプだ。ロジカルと大胆さを併せ持つ同世代の女商人はたちまちバレーナの興味を引いたらしく、すぐさま2人で相談し、部隊を持つための根拠となる法案の作成に取り掛かったという。こっちは評議院の許可さえ下りればいいと考えていたから、二人の動きには度肝を抜かれた。

 ともあれ、ようやく計画は本格的に動き出した。あとは予めロナがマークしていた者たちをスカウトしていけばいい。初めは貴族出身の候補者たちだったため、側仕えの誘いはかなり乗り気で聞いてくれた。娘が将来の女王に近づけるチャンスであるし、経歴にも箔がつく…そういうウェルバーと似たような考え方の家が多かったが、これは花嫁修業ではない。必要なのはバレーナとともに戦える人間……つまり、いざというときは剣を取り、バレーナの盾になることも辞さない覚悟が必要になる―――そのように告げると、自ずと志願者は絞られていった。その上で特技と剣の腕を見定めていく。

 正直なところ、剣に関してはまあ並、軍属の女性兵士と比べて平均以下の実力とみているが、今後鍛えていけばいいだろう。ロナとも話したが、活動の場はほとんど城中になるのでまずは城で貴族や宦官と対応できる振る舞いと教養を得ることが優先される。その場合、ある程度上上流の家柄であれば少女でも全く相手にされないことはないだろうし、バレーナとしても一定の勢力を取り込んだことになるという。しかし政治的にはそうであっても、それは二の次でなければならない。アケミが求めるのは、バレーナにとって気の置けない仲となる存在である。利害の一致という一点だけで繋がっていてはバレーナが気を遣うだけだ。だからこそ慎重に、厳しく選定した。

 幸い……というか、やはりロナの目がよかったのだろう。二カ月足らずで有望な人材が一定数確保できた。欲を言えばさらに戦闘に特化した人間が5~6人欲しいが、それはシロモリの任務の中で見つければよい。それよりも部隊としての体を成す方が先である。肝心の評議院の方はどうやら上手くいきそうであり、制定されるのも時間の問題かと思われた時――――黒い影が忍び寄っていることに、まだ気付いていなかった。

 

 そう―――悪夢が、始まろうとしていることに。


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