第22話


 ヴァルメア王の死は、エレステル全土に悲しみを呼んだ。取り立てて目立った名声はなかったが、嫌われるようなこともなかった賢王である。晩年の中央街道開通は二国の友好の印という意味合い以上に、相互の経済交流を深めた。また、それによって得た収益を積極的に西側に向けた。王都・グロニアが極端に東寄りのエレステルは、西に行くほど格差が広がっている。ヴァルメア王は河川の整備を中心に農地の拡大に努めると、今度は農産物を軍に回した。エレステル軍は広大な国境警備のために軍縮することは難しく、さりとて現状では活躍も見えないため、一部では財源を圧迫するお荷物だと揶揄する声も上がりつつあった。そんな中、せめて食糧だけでも十分に行きわたるように配慮したのである。これはヴァルメア自身が身体が弱かったために個人的に戦士に敬意を持っていたからでもあったのだが、結果としてエレステルの戦士たちの忠誠心を高めることになったのだ。

 ただし、潤った地方領主たちによる悪事が横行しがちになる。先のニガードがその一例だ。全てが上手くいくわけではない。それをバレーナが引き継ぐ形になる。

 葬儀の日、バレーナは薄くメイクしていた。普通なら葬儀の時にはご法度なのだが、目の周りの泣き腫らした後を隠すためだというのはすぐにわかった。弔問客が声をかける合間を見て、バレーナに声をかける。

「大丈夫か?」

「ああ…おかげで安らかに逝かれた。私も悔いはない……ありがとう」

 一瞬、瞳を潤ませたが、涙は流さない。先日寄りかかってきたときと同じ顔をしても、真っ直ぐ立っている。今日から女王になる、ということか。

「……こんなときに何だが、話がある。大事なことだ。二人きりになれる時間が欲しい」

「まだ明日も告別式がある。ガルノス王を始めとするイオンハブスの方々もいらっしゃる。スケジュールの調整は難しいが……夕方の会食前なら。三十分もないだろうが」

「わかった。時間になったらあたしの方から探しに行く。お前は忙しく動き回っているだろうからな……ま、お前がアルタナに慰められる時間までは取らんさ」

「なっ…余計なことは言うな」

 しかし表情を見ればまんざらでもない様子……少し安心した。




 翌日―――。

 バレーナの言った通り、イオンハブスから大勢の来客が訪れた。シロモリの代表である自分は告別式に参列したものの、早々に引き揚げた。一度帰宅し、グロニアに来てくれたロナを引き連れて再び登城したのは夕刻前――。昼食から夕方の会食までは自由行動らしく、見知った貴族の顔があちこちに見える。

「取り合えずバレーナを探すか。ウラノに聞けば一発だろうから、ウラノを探した方が早いな」

「アケミ様……私は少し別行動を取ってもよろしいですか? 今でしたら挨拶がてら、イオンハブスとエレステルの重役の関係を知ることができます」

「う~ん……それは商売のためか? 興味本位か? まあいっか、まだ少し時間はあるし……三十分だけだ」

 それでも有意義な情報を得てくるだろう。ロナはそういうヤツだ。これから作る部隊候補の人間は何人かリストアップしているが、話を知っているのはクリスチーナとロナだけだ。軍属から引き抜くには正式な手続きが必要になるし、それには認可がいる。まずバレーナに話して意思確認からだ。

 ロナを一番初めに紹介するのは、独自のネットワークによる情報網と金を動かせる力があるからだ。一応バレーナの経済アドバイザーの役割が適当だと思うが、政治的に見れば法に関わる側の人間と商人が手を結ぶのはグレーである。ロナ自身が不正を嫌う人間だから問題ないはずだが、本人は最悪実家のバーグ商会と縁を切ってもいいとまで言っている。さすがに行き過ぎだと思うのだが…。

「さて……どこにいるかな、女王様」

 勝手知ったる、とまでは言わないが、城内で自分とバレーナの関係を知らない者はほとんどいないだろう。今でも〝茶飲み話程度には〟自分の噂が流れるのだ。中には幼い頃からの顔なじみもいる。早々に若いメイドを捕まえて、ウラノの行方を聞きだす。これを何回か繰り返している内にすぐに行き着いた。

 ウラノは大会場で動きのおぼつかない後輩たちに細かく指示を出しながらテーブルをセッティングしていた。こちらと目が合うと、眉の動きだけでことさら嫌そうな顔をして見せた。器用な奴だ。

「仕事に精が出るな」

「シロモリ様は会食にはご参加されないはず。御用がなければお帰り下さい」

「バレーナは今どこに?」

「一介の剣士が軽々しく呼ぶお方など、存じ上げません」

 正論だが、悪意がある…。

「バレーナ様はどちらにいらっしゃる?」

「存じ上げません」

「おいおい、そりゃないだろ…」

「少しの間休むと仰っておられました。自室に戻られたのだと思いますが、把握しておりません」

「ああ、そういう…」

「ご承知頂けたならご退場願います。ここは混み合っておりますので」

「わかった。あ…この間はありがとな。おかげで最後にヴァルメア様のお声を聞くことができた。感謝する」

「……務めを果たしただけです」

「だからだ」

 手を振って出ていくとウラノが一礼して見送る。根はいい奴なんだろうと思う。

 そうして方々を周ってみたが、自室はおろか、ヴァルメア様の部屋、裏庭など、城中を探したが見つからない。あとは地下か、屋上になるが……さすがに地下はないだろう。根拠はない……地下に引き籠るより屋上で風に当たっている姿の方が似合っていると思っただけだ。

 果たして予想は当たっていた。屋上に出る階段手前の廊下から出てくるバレーナを遠目に発見するのだが―――……

(…??)

 バレーナは速足で横切っていく。口元を右手の甲で押さえたその表情は思い詰めたような、でも焦ったようにも見え、酷く狼狽しているようだった。すこし俯き加減で、ついにアケミに気付くことはなかった。

「なんだ…?」

 バレーナを追おうとして―――人の気配に気付き、咄嗟に身を隠す。今バレーナが出てきた、屋上に続く階段の手前に人が立っている。

(アルタナディア……!)

 告別式の黒い喪服から着替え、薄いピンクのドレスを纏っている。無表情で真っ直ぐ立つ姿は昼間と変わらないのだが、その存在感はまるで別人。まだ少女のあどけなさを残しているのに、規格外に美しく見えた。一瞬目にしただけなのに、アケミは心まで奪われかけたような気になる。

 こんな女だったか、アルタナディアは…!? 告別式の時は……いや、知っている限りガルノス王の従者のように付き従っている姿しか思い浮かばない影の薄い子供だったはずだ…!

 そのアルタナディアが先程のバレーナに似た思いつめた顔で細い指先を唇に当て―――頬を染めた。

 

 瞬時に、わかってしまった。二人に何があったのか。どういう関係なのか。どういう感情なのか――――経験があるからこそ、その事実を疑うことなく理解できた。

 

 同時に、胸が疼く。気持ち悪さと、腹立たしさと、物悲しさが入り混じるこの感覚は―――……経験が、ない。









 暗闇の中、天井を見つめる。

 …いや、天井など見えない。何もない黒い虚空しか瞳には映らない。

「…ねぇ、何を考えているのかしら」

 甘い囁きが耳に響く。同時に、シーツの中で肌を撫でられる感触……果実酒の甘い香りが鼻腔をくすぐる。同衾するクリスチーナの温もりが心地いい、はずなのだが…

「コトが済んだらすぐ別の事? それはないんじゃないかしら」

「…そんなつもりはなかったんだけど…」

 あの日以来、キスをする度にバレーナとアルタナディアの顔が浮かぶのだ。そして気分が重くなる……。

「……心ここにあらずって感じね。相談してくれないの?」

 クリスチーナの手が這いまわり、際どい部分を指でなぞっていく。さっきまでの感触を思い出すように身体が敏感になってくる……自然と口の端から声が漏れてしまう。それに気を良くしたのか、クリスチーナの細い指が積極さを増す……

「んっ……どうして、クーラさんは、私とこんなことできるんですか…?」

「好きだからよ? 食べちゃいたいくらいに」

 圧し掛かられ、首筋を甘噛みされる。まだしっとり湿っていた柔肌が重なり、早くなる鼓動が気取られるのではないかと焦ってしまう。

「あなたはどうして誘いに乗ったのかしら? オフの日に郊外に泊まりで小旅行なんて、どういうつもりか予想がついたでしょう?」

「それは……」

 しばし逡巡し、しかし何も思いつかない。

「……期待していたの、かも……」

 気付けば言葉が出てしまっていた。本心なのか、自分でもよくわからない。だが、闇の中でクリスチーナが舌舐めずりをしたのがわずかに見えた。

 直後、唇を奪われていた。ほんの三分前、あれだけいやらしく蹂躙したのがほんの前戯だといわんばかりの獰猛なキスだ。息苦しさと快楽に押しつぶされそうになりながらも、両腕はクリスチーナを締め上げるように強く抱きしめている。やがて足の先まで密着し、蛇が殺し合うように絡み合い、ベッドの中で何度も上下が逆転する。

 唇が解放された時には馬乗りにされていた。かつてないほど息を乱しながら、クーラさんの顔が享楽に歪む。

「不安も悩みも、全部取り除いてあげる……あなたの中を私でいっぱいにして、ね……」

「…………」

 返事は、しなかった。


 永遠とも思える長い夜、ひたすら掻き回され、溶け合っていく…。

 これ以上ない快感に達しても、その瞬間には満ち足りなくなっている。はしたない女だと気付いてしまった自分の身に、美しい指先が尽きることなく慰めを与えてくれる。それがたまらなくて、逆らえなくて。

 ただ、求められるままに――――求めた。


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