第21話
やはりウラノは優秀だ。三日後には段取りをつけてくれた。バレーナも思う所があったのか、合わせて王様の見舞いに来てほしいとのことだったので、親父殿と一緒に登城した。
「ミオも連れてきたほうがよかったんじゃないか…?」
「大勢で押し掛けるものではあるまい。それに……ワシと貴様の二人でなくては都合が悪いやもしれぬ」
「…?」
「今日の王様の御言葉をよく聞いておけ」
王様の自室に通されて、我が目を疑った。横たわるヴァルメア様の瞳は虚ろで、肌には艶がなく、息は掠れるように細く、すっかりやせ細り……弱りきっていた。
「ウソだろ…」
ポロリと思ったことが漏れてハッと口を噤む。そっとベッドの脇のバレーナを盗み見るが、意外なほどに落ち着いていた。
前にお会いした時から二カ月と経っていないのに、こうも変わるものか? これではもう、風前の灯火……。
「よくぞ参った……もう会えぬやもしれぬと思っていた…」
「お父様、そのようなことを仰らないでください」
バレーナの声は意外と淡々としている…。
「ヴァルメア様……まだ息絶えるには早うございます」
「フ、フフ……厳しいなガンジョウ……。私と貴様の間では、役目の上では直接の繋がりはなかったが……遠慮のない、されど情の籠った言葉の数々が、どれほど私を奮い立たせたことか…。私にとって貴様はよき師であり……生涯の友であった……」
「……勿体なきお言葉にございます…」
親父殿は頭を下げ……そのまま顔を伏せたままだった。実際、ヴァルメア様と親父殿の間では直接命令を授受するような主従関係はなかったはずだ。会話とて、基本的には催事の時くらいしか機会がなかったはず。その頻度でありながらこうまで父を評価するのだから……二人には響き合うものがあったのだろう。あまり見ることのない親父の面持ちから、その気持ちが伝わるようで、胸が痛む。
「アケミよ…」
「は…はい…!」
「そなたの道は、苦しいものになるであろう……それでも、娘の支えになってくれるか…?」
「もちろんです。私は……私がシロモリを名乗る、理由ですから…」
「そうか……そうであったか…。私は嬉しい……昔からいつもバレーナが自慢するのは、アケミとアルタナディアの二人であった…。お前達三人が良き関係を築けば、何も不安になることはない。我が娘に良き友を巡り合わせてくれた天に感謝する…。悔いは残るが……これで怖れはなくなった。長きに渡り私を仕え続けてくれたシロモリの一族よ、礼を言う…。願わくば………娘を…」
「…承りました」
親父殿と揃って一礼すると、ヴァルメア様は小さく頷き、薄く笑みを浮かべて目を閉じた。
眠りに就いた王様の部屋を出たところで、バレーナに呼び止められた。父は先に帰り、自分一人がバレーナの部屋に招き入れられる。やはりウラノも付いてきたが、バレーナに命じられ、部屋の中までは入ってこなかった。
久しぶりに入るバレーナの部屋……物を動かされるのが嫌いなバレーナは、十歳くらいのころに「自分の部屋は自分で片付ける」と宣言したらしいのだが、いまひとつ片づけ下手で、大体いつも部屋の中は雑多なままだったが――……昔より輪をかけて散らかっている。ほとんどが本や紙の束、それらがベッドにまで散乱している。
「すまんな、足の踏み場もなくて」
「気にするな……あたしの部屋も似たようなもんだし…」
しかし自分の部屋とは違ってバレーナの場合は常に勉強している結果だ。ちらりと目を通すだけで政治や経済についての著書ばかりだとわかる。
「とはいえ、いい加減観念してウラノ辺りに片づけてもらったらどうだ? 火事になったりしたら大変だろ」
「城中は私の部屋までガスが引いてあるから心配ない。まあ、暖炉があるか」
ヴァルメア王とイオンハブスのガルノス王との共同提案により、イオンハブスのフィノマニア城からエレステルのグロニア城まで直結する中央街道が開通し、合わせて街道沿いを中心にガス灯が設置され始めている。その光量は従来の松明などよりも明るく、取り回しも比較的簡単で、燃料を足さずとも任意のタイミングで点灯・消灯が可能。ちょっと高級な燭台と同じようにそのほとんどがガラスで覆われていて、灯したままでも火事が起こりにくい。
まさに夢の発明品ではあるのだが、ガス管はメインストリートの地下にしか張っておらず、そこから各家庭に行きわたらせるには高額な費用が必要であり、さらに施工は認可された技術者しか行えないため時間が掛かる。実際、庶民にはまだ縁がない設備であった。シロモリ家にも当然ない。従来の照明を増やした方がまだ安いというのもあるし、そもそも豪奢な生活をしない家風である。
唯一、物が溢れていないテラス側のミニテーブルに案内され、小洒落た椅子に座らされる。バレーナは自分用に机の椅子を持ってきて、対面に置いた。
「紅茶でいいか? ハーブティーもあるが」
「任せる」
「お前、いつもそれだな。人前では言うなよ、王女に『任せる』なんて」
笑いながらランプに火を点けるバレーナ。これもガスか? 固形燃料やアルコールランプを使って湯を沸かすのは軍の装備でもあるが、それより火力が強い。小さな薬缶に入っていた水はあっという間に沸いた。
ポットに湯を注ぎ入れ、カップを並べ、しばし待つ……。部屋の中に小さな食器棚を備え付けて、自分で飲めるようにしているらしい。王女ではない自分がいつもシャロンさんに頼んでいることを思い返すと、ちょっと恥ずかしくなる…。
「どうした? 大人しいな」
丸みのあるポットを撫でながら、バレーナが話しかけてきた。
「お父様が仰っていたが、シロモリの務めは大変なのか?」
「…まぁな」
ぐっ、と返答に詰まりかけたが、今、顔に出なかったか? どうやらバレーナは具体的に何をやっているか知らないらしい…。
「シロモリは武術の研鑽が仕事だ。常に最強であり、時代に合わせて最良の戦いを模索しなくちゃならない……つっても、戦時中でもなけりゃわかりやすい成果は出せないよなぁ。できることっていったらオウル工房のオヤジさんと一緒に良さげな武器作って、提出するくらいだよ。後は出稽古かな。こっちの依頼のほうが多いけど」
「道場破りはいい営業だったな」
「やめろ!? そんなことが連中の耳に入ったらシャレにならん」
「ハハハ!」
バレーナが陽気に笑う。死刑執行に託けて試し斬りをしていると知ったら、どんな顔をするのだろう……。
「……お前は大丈夫なのか? その…」
「ん? 今のところ王位継承の手続きは順調だ。お父様は自分が動ける間に王位継承を済ませることも提案されたのだが、最高評議院を中心に反対意見があってな」
「どうして!?」
「理由は様々だ…。まだ存命中に移譲するのは不敬だとか、次代の王が決まっていないのに私だけ女王になるのはおかしいとか……。婚約の話は私が悉く突っぱねてきたからな。それが仇となるとは思わなかったが」
「いいんじゃないか? お前にふさわしい奴はそうそういないだろ。スペック高いし」
「フ…そういうお前はどうなんだ? まあ、お前も私もアルタナほどではないがな」
「またアルタナか」
アルタナ―――アルタナディア=イオンハブス。隣国・イオンハブスの姫君。バレーナとは姉妹と呼び合う仲というがアケミは二人が揃ったところは見たことがない。いくら古くからの同盟国とはいえ、そう頻繁に行き来できるものではないし、それに国家間の催事のときにアケミが参加できる余地はこれまでなかった。何かのときにアルタナ姫を遠目に見たことはあるはずなのだが、顔がうろ覚えだ。なんとなく人形のような印象があったが……バレーナが怒るだろうから言わないでおく。
バレーナはこのアルタナの話を事あるごとに、何度も繰り返し話していた。幼い頃から、まるで本物の妹のように自慢したもので、その度にミオがつまらなそうに頬を膨らませていたのを覚えている。
「向こうのアルタナとはまだ仲がいいのか?」
「まだとはなんだ、まだとは。遠く離れていても妹だぞ。この間も……実はこの間、ガルノス王がお忍びでお父様の見舞いにいらっしゃってな。その時にも会った。ぐっと大人っぽくなっててな、正直驚いた」
「お前が言うのか、それを」
「ひょっとして老け顔なのか?」と危うく口を滑らせそうになって笑いで誤魔化す。
二人して一頻り笑い合った後、バレーナがフ、と息を漏らした。
「…ガルノス様はお父様に、私の父代わりになると約束して下さった。何も心配することはない……」
些か冷めた口調で、自分に言い聞かせているようにも聞こえる…。
不意に、掌に感触が甦る。刀を振るった、あの感触が……。
「……そういうことじゃないだろ。王権がどうのとか、二の次だろ。お前の家族がいなくなるんだぞ」
「…そうだな」
「本当に大丈夫か? 気丈に振る舞ってるんじゃないか?」
「私が悲しみに打ちひしがれていないのがそんなに不自然か?」
「そうは言ってない、ただ……」
ただ……なんだろうか。上手く言葉にならない。ただ、この女はそれほど器用じゃなかった……そのはずだ。
「……想像などできん。明日にも事切れるかわからないというのに、お父様がいなくなる想像ができないんだ。死に実感が持てない……私はまだ子供なのだろう。いや、ただの箱入り娘なだけか……人の死はよくあること、当然のことだというのに」
「それは違う。お前の父親は一人だけだ!」
「…わかっている!」
突然苛立つようにテーブルを叩いて席を立つバレーナ。そのままテラス側へ向かい、窓ガラスに張り付くように手を付く。
「わかっている……父の死に向き合え、その先のことを考えろと言うのだろう! この国に一番尽くしたのはお父様なのに、どうして最後くらい好きにさせてあげられない…!」
「…バレーナ?」
「私は必ず女王として立たなければならない! もちろん経験も力も不足しているのはわかっている! それでも私なんだ! だったらせめて……お父様を安心させてあげられないのか…。皆をまとめられず、主張も通せず、なんて情けないんだ……」
「………」
バレーナに歩み寄り、肩に手をかける。
コイツは父親のために必死に女王になろうと足掻いているのか。だが、今はそうじゃない……!
「…あたしの方こそ偉そうなことは言えないけどな……ただ、あたしはヴァルメア様との思い出を胸に送り出せればいいと思っている。お前もそうだ。楽しかったこと、悲しかったこと、褒められたこと、嬉しかったこと……全てを忘れずに大切にすると示せればいいんじゃないか。王女じゃなく、娘であるお前こそが、ヴァルメア様の生きた証だろ…!」
―――自分で言ってて、なんて薄っぺらなセリフかと思う。だけど死に行く時に看取れるのであれば、思いは決して無視してはならないはずだ。自分に嘘をついてはいけないはずだ。何人も斬り殺した掌が、そう訴えてくるのだ。
「アケミ……」
バレーナがふらりと振り返る。顔は伏せたままで、表情は前髪に隠れてよく見えない。
「すまん……胸を貸してくれ…」
「え?」
胸に顔を埋めるようにして抱きついてきた。背中に回った手が服を絞るように掴み、縋りつくようだった。背中は震え、細い肩が戦慄いている……声も出さずに泣いているのか。それが女王に成る者のプライドと言わんばかりに―――……
(バカだな、お前は…)
波打つ黒髪を丁寧に撫でおろしてやる……。
それからバレーナは毎日、毎晩、父王に寄り添って会話したという。父の思い出、ほとんど記憶にない母の事、先祖のこと、建国に纏わる歴史のこと……あらんかぎりを語り合った。
そして十日後――――エレステル国王、ヴァルメアは没した。
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