第19話


 任務を果たした第五大隊の兵たちで、キーム砦はかつてないほど沸き立っていた。ニガードがグロニアへ連行された今日、ナムドによって一部の兵は飲酒を許可されたのだった。久方ぶりの酒はこれまでの鬱憤を晴らすように身体によく回る。兵たちはすぐに盛り上がった。

「大体怪しいと思ってたんだよ、あのタヌキ!」

「普段から何かと口出ししてきたし」

「それとなく情報出させておいて、その実、物資を掠め取ってやがったんだからな」

「それだけじゃなくて、ジャファルスと通じてたんだろ?」

「あぁ、ほぼ間違いないだろう。あいつらの装備、ジャファルスの制式なものじゃないようだが、並の盗賊がみんなお揃いの装備というわけにはいかないだろうからな」

「決まりだろ、決まり!」

「だが、証人がいない」

「あ? ニガードが吐くだろ」

「それは対外的には通じない。これはあくまで内々の事件だ。ニガードからいくら真実を語ろうと、ジャファルスはこちら側のこじつけとして攻撃する口実にしかねない」

「上等だオラァ! かかってこいや!」

「だけど今、王様のお加減が悪いってんでグロニアに兵が集められているんだろ? このタイミングで開戦したら援軍来ないんじゃないか…?」

「なんだよ、テメェ一人じゃ戦えねぇってかぁ? 腰ぬけが!!」

「そういうんじゃなくって、俺が言いたいのは、王様が――……王様に、もしものことがあったとして、次の王はいないんだろ?」

「そうだな、直系の王族は姫様お一人…」

「じゃあ姫様と結婚した奴が次の王様だ。だれが候補なんだ?」

「いやぁ、そういうの聞いたことあるか?」

「…おいおい……考えたくねぇけど、揉めるんじゃねぇのか、それ。もしかしてそれで兵が集められてんのか?」

「おそらくな。姫の後見人になれば実質国のトップだ」

「けっ、くだらねぇ……派閥争いは勘弁だぜ…」

「おーし、じゃあ俺が王様になるか!!」

「死ね」

「死ねよ」

 そこでぐいっと飲み干し、次の一杯を継ぎ足す―――。

「そういや、あのシロモリの姐さんはどうなんだろうな!? 将来は将軍になったりするんじゃねぇの? 今回ニガードが犯人だって証拠を掴んできたのはあの人って話じゃねぇか。それになんつっても強ぇし!!」

「強いって…そりゃシロモリ引き継いでんだから女でもそれなりにやるんだろ。前にもここで特訓に駆り出された奴が何人かやられてんだろ、情けねぇよな」

「俺は見た……あれはそういんじゃない……」

「あ? なんだお前」

「あのバカ長い刀が……閃いた瞬間に相手が真っ二つになるんだ。それをただ黙々と、枝の剪定でもやるかのようにバサバサと斬り捨てるんだ」

「「「………」」」

「普通、戦うときには闘争心がいるだろ? もちろん冷静な奴だっているが、そういうのじゃないんだ。何でも斬って当然、斬れて当然っていうか…。でもその光景があまりに鮮やかで、恐ろしいのに目を離せないんだ。俺は心底シロモリが怖くなった……」

「お前……そりゃ褒めすぎだろ。どんだけ惚れこんでんだよ」

「あれは見た者にしかわからない。見れば言ってる意味がわかるはずだ」

「そうかよ…」

「……だが、どんなに才能があってもシロモリが要職に就くことはない。それが慣例らしいぞ」

「じゃあ将軍になる未来はナシか」

「下手なヒヒジジイよりはよっぽどマシだと思うけどなー…」





 アケミは盛り上がる砦から少し離れた林の中、枝葉の隙間から白い月光が漏れる木の下に座り込んでいた。

(斬った……敵意を持って、手加減なく斬って、殺した…)

 帰還した後。風呂を使わせてもらって、返り血は洗い流した。服も着替え、刀も濯いで整備した。略式的な祝勝会に参加して乾杯し、賞賛を得た――――――ずっと、胸の奥が冷たいまま。

 早々にフェードアウトし、くすねてきた酒を煽る。身体は熱くなるが、美味くない。まだ足りないのかと再び瓶を傾けるが、むせてしまった。

「ダメね、そんな飲み方は」

 クリスチーナだった。アケミと同様にラフな服装に着替え、なぜか酒瓶も持っている。

「クーラさん……どうして」

「追ってきたに決まっているでしょ。一人で呑みたいだけなのかと思ったら、そういう感じじゃなかったから」

「当たってますよ。こうして……んぐっ…一人酒です」

「そういうのは呑んでいるんじゃなくて呑まれているのよ」

 クーラさんが隣に座る。甘い香りがする……。

「また果実酒ですか……好きですね」

「異国の故事に倣ってるのよ。曰く、その国ではお妃候補にするために桃だけを食べさせ続けて、桃の香りのする娘を作るのだとか」

「それ、信じてるんですか?」

「どうかしら」

 それで一度会話が切れる。だが、クーラさんは立とうとしない。また酒を煽る。

「ミリムは大丈夫ですかね…」

「傷は浅いし、意識もあるし、すぐ治るわよ。斬られた瞬間を私も見てたけど、自分から前に飛んで避けていたのね。いいカンしてるわ。尤も、あなたの活躍がなければ危うかったわけだけど」

「………」

「みんなあなたの話題で持ちきりよ。あれだけの強さを見せつければ、もうあなたを軽視する人はいなくなる」

「……そんな大したことじゃないですけどね」

 酒瓶を傾ける。十分に口に含む前に空になった。それなりに飲んだはずだが、大して酔えずに頭だけが重くなる。

「……怖いの?」

「何がです?」

「人を斬るのが」

 ―――無意識のうちに呼吸を止めていた。

「怖いって、何…」

「ずっとその刀を抜くのを躊躇しているようだったから。あなたがシロモリを襲名して雰囲気が変わったのは、その刀で人を斬ったからじゃない? そうして明確な『殺意』を理解し、殺気を会得した。それまでただ上手く振っていただけの剣に明確な意味が与えられ、意識の変容があなたの在り方を変えた。いえ、ようやく相応の力を得たということかしら」

「買被りですよ…」

「そうね。買被っていたわ。一人前と呼ぶにはまだ早い」

 クーラさんは私の肩を掴んで身体ごと向かせると、とん、と私の胸を指で突いた。

「あなたには中身が足りない」

「そりゃ………戦術論や部隊指揮、政治なんかも絶対的に経験値が足りませんけど…」

「そうじゃない。人間として、よ」

「え……?」

 顔を顰めた。いくらクーラさんでも、いやクーラさんだからこそ、面と向かって小娘と言われるのは嫌だった。むしろ同じ女として、味方になってくれていると思っていた。

 しかし、続いた言葉で全く的外れだと、むしろ小娘で当然だと思い知らされた。

「あなたは、人を斬ることに罪を感じている」

 震えてしまった。図星だ。見透かされている。今さら取り繕うこともできない。

「……戦士として、失格ですよね」

「それ以前の問題ね。もちろん、戦士だから敵を殺してよいということではない…と、私は思うわ。だからといって情けをかけるのも違う……でも、戦争という場においては、敵を屠ることが兵士にとっての責務。その蛮行を正当化できるだけの中身があなたにはない。わかる?」

「誇りとか、覚悟…? 名誉とか…?」

「あるいは家族、国だったりね。でも大半の兵士の理由は自分の命。敵を殺さねば死ぬ、だから殺す―――戦場の極限状態の中ではそれだけが絶対のルールであり、戦う理由になる。でもあなたは違うわ。なまじ強すぎて、相手に一方的に打ち勝つことが前提になっている。だから命を奪う罪悪感に苛まれているのよ」

「…………」

「天才ゆえの悩みなのかもね…。でもこのままじゃ、いずれ戦いの中で戸惑って死ぬか、心が壊れてしまうわよ。なぜ戦っているのか、はっきりとした理由を持たないと」

 理由――――。

 シロモリだから……違う、これは人を殺す理由にはならない。殺人剣の伝承者だから殺人が肯定されるわけではない。

 バレーナを守るため……確かに、それに必要な権力と伝手を得るため今回のような作戦にも参加している。だが、自分がバレーナの敵対勢力を直接排除することが目的ではない。今はバレーナが戦える力を持つための組織を作ろうとしているのだ。

 なら―――どうして戦う? 何を理由に……。

「……クーラさんはどうなんですか?」

「―――私…?」

 クーラさんはわずかに戸惑ったように見えた。聞いたらまずかっただろうか?

「………聞きたいの?」

「まぁ…」

 クーラさんは居住まいを正すと、すうっと大きく息を吸い込んでから答えた。

「私は……大切な人を守りたいから…かな」

「え…」

 こう言ってはなんだが、意外な答えだった。表向きはシニカルな面もあるが、根本はストイックでプロフェッショナルな兵士という印象を持っていたのだ。そもそも、クーラさんから人間関係の話は聞いたこともない。

「それは、家族とか――…っ!?」

 その続きは言葉にならなかった。唇は、唇で塞がれている。

 甘い果実酒の香りが鼻を抜けていく……熱の籠ったキス。酒で熱くなった身体がさらに火照っていくのがわかる。

「誰にでもキスすると思ってた…?」

 こちらが文句を言う前にクーラさんの硬い声がぶつかってくる。木の幹に身体ごと押しつけられ、顔は鼻先が擦れ合うほど近いまま……。酔っていないようでやはり酔っていたのか、頭が働かない。今の言葉とキスは、どういう意味だ? どういう意味? どういう意味? どういう―――?

「酔った上で…なんて好きじゃないけど、飲んだのはあなたの勝手だし、言わせたのもあなたなのよね。何より……もう火が点いちゃった」

 そうしてまた唇が重なる……今度は舌が入ってきた。初めての大人のキス……いや、本気のキスだ。生々しく絡み取られ、胸の奥から痺れるような疼きを覚え、何より息苦しい。なのに………抵抗できない。思考はまだ混乱したまま、指先はクーラさんの袖を掴んで離さないが、腕を引き剥がすわけじゃない。ただ力を込めて、意識を流されまいとしている。それほど……気持ちいい……。

「…ねぇ」

 潤んだ瞳と目が合う。クーラさんは女の立場を利用しても、女の顔を見せる人ではない。だが今の彼女は濡れた唇から荒い吐息をこぼし、どきりとするほど蕩けた表情で私に迫ってくる。

「理由……私と同じにしない?」

 また深くキス…。

 これじゃ返事できない…。そもそも聞く気がない? いや、拒絶の意思を示すラストチャンスということなのか。

 だが、私は答えを出せなかった。初恋すら経験したことがないのだから事態についていけるはずもない。ただ……こうして情事を交す相手がクーラさんであることに、何の不自然さも感じていない自分がいたのだった。








 国境警備の任期を終え、国境付近の各砦からグロニア近郊の駐屯地に帰還した兵士には長期の休暇が与えられる。第五大隊とともに帰還したシロモリ隊はこの駐屯地で現地解散。以降、本来所属の部隊からの指示に従う。しかしそれは軍上層部にアケミから報告書を提出し、部隊の解体手続きをとってからの話なので、数日間は休暇同然である。負傷したミリムは療養施設に搬送され、元々第五大隊所属のマユラとミハルドは実家へ帰宅。アケミとクリスチーナは事務処理を行うため一室借りて一泊する。ジラーは「女だ」と堂々と言い放って早々に去って行った。他にも歓楽街へ消えていく兵士は多いので別段不思議なことではないのだが―――



「どうして男共は女遊びをすると思う?」

 耳元で息遣いが響く静寂と暗闇の中で、クーラさんが問いかけてくる。しかし返答できなかった。男の都合など、考えたこともない。

「今が戦争状態にないとはいえ、それでも兵士は命をかけて任務に付いている。死ぬことが前提なのよ。たとえ戦わずとも、剣を持って最前線に立てば意識せずにはいられない。そうして死を実感すると、種を存続させる本能が働く……」

「それが言い分なんですか? というか、その理屈だとクーラさんは…」

「女は考え方が違うのよ。女のための花街はなくはないけど、少ないでしょ?」

 確かに。エレステルは前線で戦う女兵士が全体の2割、救護兵や補給兵を含めると軍の3割を占めるが、女兵士が男漁り、なんてのは聞かない。もっとも、まだ小娘だから話が耳に入ってこないだけなのかもしれないが。

「まあ、それはそれとして―――その理屈だと、何? 私が遊びでこんなことしていると?」

「だって余裕あるじゃないですか…」

「見た目ほどじゃないわ……わかるでしょ…?」

 肌が触れ合う。もうどれくらいの時間が経っただろう……ずっと熱い。

 抱き返すようにクーラさんの身体に触ると、改めて驚く。日々の訓練で傷跡や痣があってもおかしくないのに、つま先までずっと綺麗だ。掌には剣ダコもほとんどなく、あれだけ槍を振りまわす筋肉はどこにあるのかと不可解になるほどに細身の身体は柔らかい……。曰く、かなりの手間と努力がいるとのことだが、どれだけのことをすればこんな深窓の令嬢のような綺麗な身でいられるのだろうか?

「触り方、やらしい…」

 不意に囁くように訴えられて、身体をびくりと強張らせた。

「あ……嫌だった…?」

「ううん……探られてるみたいで、興奮する」

 こっちが赤面するようなセリフを吐いて、いやらしいのはどっちだ―――胸の内でそう毒づきながらも、吐息が荒く乱れていくのを抑えることができない…。


 






 今回の遠征の途中、アケミ=シロモリは十八歳になった。

 少女であることを、終えた。





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