第18話



 いよいよ作戦が実行される。

 国境で盗賊団の数名が逮捕されたことがニガードに知れる頃合いを見計らって、今度は第五大隊がニガード周辺で不正を働いていた者を一斉に逮捕する。徐々に軍の手が自らに迫りつつあることを悟ったニガードが取る手段は、ほぼ間違いなく「亡命」だ。地理的に国境が近く、伝手もある。捕まれば、領主の地位にあるからこそ重刑は免れない。ましてニガードの本性は小物だ。中央が本気になれば白を切ることもできないだろう。心理的に追い込まれれば、逃亡を図るのは間違いない。そこで落ち合う盗賊団諸共捕らえることがこの作戦の目的である。

 







 鬱蒼とした森の中は、夜になればいよいよ闇に沈む。

 わずかに流れる空気、枝や葉の擦れる音、鳥や虫の鳴く声、あるいは動物の気配……全てを肌で感じられるほどの静寂。

 その静けさを破って、馬車が過ぎていく。

 やや速足で、どこかぎこちない。

 やがて車輪の音も遠くなる頃合いに、いくつかの影が動き出す…。影は息を潜めたまま、馬車の跡を辿って行く――…。



 ニガードを乗せた馬車は森を抜け、広い丘陵地に出た。木々はまばらで、満月の光が明るく、遠くの物までくっきりと影が際立つ。夜逃げ同然で脱出するには最悪の日だったが、ジャファルス側からの迎えと落ち合うのはここだ。ここなら見晴らしがいい。追手がいるかどうかすぐにわかるし、現れたとしても余裕を持って迎撃態勢がとれる。相手側からの要請だった。

 辺りには人影は見えないが、御者が松明で合図を送る。

 …………。

 ……反応はない。周囲の待ち伏せを警戒しているのはニガードもわかっているが、悠長に構える余裕はなかった。おそらく軍の連中は事の真相に辿りつき、すでに屋敷の捜索を……もしかしたらもう追手を差し向けているかもしれない。今、こうしている間にも迫ってきているかもしれないのだ。

「どうした!? まだ現れんのか!」

「あ、合図は送っているのですが…」

「うぬぅっ…ワシがでれば――」

「いけません、万が一ということもあります! ここは慎重に運ばねば…」

 家臣に抑えられるも、震えが止まらないニガード。エレステルにおいて、外敵と通じていた裏切り者を待つ運命は破滅だけだ。この数十年、外敵と緊張状態が続くとはいえ戦争ではなかったためニガードも調子に乗っていた。だが、まさかこれほど唐突に事態が急変するとは思わなかった。軍が牙を剥いた―――そう理解した時にはもう喉元に迫っている。逃げ切れるかどうかは、このわずか数分にかかっているかもしれないのだ。

「まだかっ!?」

「ま、まだ姿が……いえ、現れました!」

 丘の向こうからポツリ、ポツリと影が現れる。

全部で十人。全員がフードの付いたえんじ色のマントを被り、覆面をしている。煌々と輝く月光の下では不気味なほど黒く映える。得も言われぬ威圧感に恐々とするニガードだが、近づいてきた男の一人が覆面をずらすと、見覚えのある額に傷のある男で、ようやく安堵した。

「全く、驚かせるな……遅いではないかッ!」

「事が事なんでな。それなりの報酬を貰ってるとはいえ、下手踏みたくねぇ。前はあの女どもにしてやられたからな…」

 ――――と、そのとき。遠くから何かがやってくる気配を感じる。すかさずその場の全員が身構える……

「………馬、か…?」

 森と丘陵地の境界に沿って並んで走ってくる二頭の馬。鬱蒼とする木陰の暗がりに隠れてわかりにくいが……手綱や鐙は付いているものの、誰も乗っていない。どこかで繋ぎ忘れて逃げ出した馬なのか……?

 その一瞬が運命を決定づける。二頭の馬が揃って進路を変え、頭をニガードたちの方へ向けた時、その馬の背は無人ではなくなった―――いや、正確には最初から一人乗っていた。ジラーが馬の側面にしがみつく曲乗りをし、なおかつ手綱を引いてもう一頭を引いていたのだ。傍から見ると落馬するんじゃないかとハラハラするほどだったが、ジラーはアケミたちが隠れている茂みの前でほとんどスピードを落とさずに馬を方向転換させた。その馬の陰からアケミたちが飛び出すと、ニガード達からは一瞬にして人が暗闇から抜き出たように見えるのだ。これにはニガードのみでなく、構えていたはずの盗賊団ですら混乱した。

「ニガードと隣にいる奴は必ず捕らえろ! いくぞ――!!」

 馬を操るジラーの後ろにクリスチーナが、もう一頭にはミハルドが跨り、その後ろにマユラが乗る。ミリムとアケミは先行する馬の後を走って追うが、それでも十分速い。

「く、くそ…!」

 傷の男は迷ってしまっていた。奇襲には驚いたが、確認できる敵の数は六人。二騎に二人ずつ、歩兵が二人。まだ森の茂みに隠れている可能性も否定できないが、普通に考えればこの場面で兵を待機させる理由はないだろう。つまり敵は一個小隊に過ぎない。対し、こちらは手練が十五人。残り五人は周囲を見張るために少し散開しているが、合図一つですぐに集まる。馬があるとはいえ敵とはまだ距離がある、迎撃は十分に可能だ。が……果たしてそうするべきなのか?

 そうして傷の男が思考を巡らせている二~三秒の間、ニガードは馬車のタラップに足をかけていた。捕まればニガードは極刑。しかも遠目にわかるあのバカ長い細身の剣はシロモリの小娘のものだ。絡め手が通じる相手ではない…!

「何をしておるかきさまァ! ワシが逃げ切るまで時間を稼げぇ!」

 それで我に返った盗賊団たちは、馬車を防衛するよう集まりつつ迎撃態勢をとる。弓兵による遠目からの射撃で、先行する二騎―――すなわちジラーたちは勢いを削がれてしまう。

 しかしそれでも前進を止めない影があった。ミリムだ。

「おい、待て―――!」

 これにはアケミも焦った。ミリムを信頼していないわけではないが、過信もしていない。足の速いミリムは馬を使うジラーたちとは違う横方向の機敏な動きでぐんぐんと馬車に迫って行く…!

「マユラっ…!」

 呼ぶよりも早くすでにマユラは弓を構え、援護射撃を開始する。本来は二騎が馬車を確保し、アケミとマユラはそのサポートのはずだったが、これでは逆である。予想以上にニガードに厚みのある部隊が付いていた事態を差し引いても、ミリム一人で突っ込んでいいわけではない。そもそもマユラが弓を使うこと自体あまり想定していない。マユラは馬上からの射撃では命中精度がかなり落ちてしまう。あくまで牽制するのが目的だ。

 驚くべきはミリムの脚力よりも胆力だ。気付いた敵に矢を射られてもまるでスピードが落ちない……

(戦場の空気に呑まれてしまっているんじゃないのか?)

 不安が頭をよぎる―――その間にミリムは敵兵の隙間を突っ切り、馬車に肉迫していた。

「貴様ッ…!?」

 傷の男が剣を抜き放つものの、振り下ろす前にミリムは身を屈めて通り過ぎる。そのまま疾風の如く駆け抜けるミリムは馬車の前方に回り込み、手綱を切って馬を切り離し――――……

 止まった。

 精神か、肉体か、あるいはその両方が限界を迎えたのか。どれほど神がかった集中力を発揮しても、全力以上のパフォーマンスは長く維持できるものではない。

「このガキがあぁっ!!」

 足が止まって立ちつくすミリムの背後に突如現れたのは馬車から飛び出してきたニガードだ。怒りの形相で剣を振りかざし、ミリムを背後から斬りつけた!

「あ―――」

 勢いだけの一振りを受けたミリムの小柄な身体は、前のめりに大きく吹き飛んで、倒れる―――

 ―――その瞬間、腕は刀を引き抜いていた。







 先行したアケミたちが足止めをしている間、後続の本隊が追いつき、挟み撃ちにする。それがニガード捕縛作戦の最終段階である。本隊は怒涛の勢いで突き進んでいた。

 第五大隊の面々は、アケミの卓越した剣技は知っていても、指揮官として機能するとは考えていない者がほとんどだった。剣の腕があろうと、貴族の身分であろうと、シロモリの名を冠していようと、所詮は経験値のない小娘であり、部隊は大半が女の寄せ集め小隊である。敵が待ち伏せていれば早々に突破されることも十分に考えられる……つまり、期待していなかった。それに、これまで散々煮え湯を飲まされてきた賊どもの背後に裏切り者がいたという事実が、筆舌にし難いほどの怒りを燃え上がらせていたのだ。「ニガードはこの手で――!」そういう思いが誰の胸にもあった。

 しかし、その気勢は現場の異様な空気に全て呑まれてしまった。

 剣が閃き、敵を屠る。

 長く反りのある刀身は月光を浴びて妖しく光り、その長刀が一振りされる度、銀色の軌跡に沿って飛沫が散る。それが敵が絶命する光景である。

 異様を通り越して異常だった。クリスチーナたちシロモリ隊はニガードの馬車の側に固まっており、ニガードたち犯人を確保しながら、負傷したミリムを守る態勢をとっている。そして戦っているのはアケミただ一人なのである。

「うおっ…ぉああ…!?」

 賊の男の一人が最後の矢を射るが、当たらない。恐怖に震えた手では的に届かない。だがそれも仕方のないことだった。抜き身の刀身を握ってゆらりと立つアケミの服は血まみれだが、敵の攻撃など一切受けていない。見切り、避け、捌き、一太刀で斬り伏せる―――その繰り返しですでに十人以上倒れている。そしてこの男もまた、同じ運命を辿ることになる。

 アケミは、ざ、ざ、ざ、と、軽くランニングするようなペースで男へと迫る。対し、男は震えながら腰の剣を引き抜くのがやっとだった。

 逆袈裟に一閃―――。

 力を失ってふらりと反転する男の背中からさらに心臓を刺し貫く。ずるりと血に染まった刀を引き抜いたときには次の敵を捉えている…。

 一方的だった。剣技の冴えはもちろんだが、それ以上に器が違った。アケミの表情に感情の揺らぎはなく、呼吸は静かで、殺意は重く、一切容赦がない。まるでアケミ自身がその手に握る刀そのものになったようだ。

 

 冷たく、硬く、美しい、凶器。


「鬼神の如く、とは言うが………まさに、鬼だ…」

 誰が言ったかわからない。しかしアケミの支配するこの冷たい戦場に皆魅入られてしまっていたのだ……。


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