第7話



 報酬は酒代に消えた。

 というか、むしろ足りなかった。バレーナとのあの晩、結構な酒を飲んでいたんだなと感心する半面、あの囚人の命を断って得た金が一晩の飲み代以下だったことに空しさも感じていた。

 正確には、人一人の命の代金ではない。自分がやったのは作業の一工程に過ぎない。だが―――。

(兵士ってのは、つまりこういうことなのか…)

 敵を倒して報酬を得る。人を殺して口に糊する。盗賊や強盗と同じだとは露ほども思わないが、後味がいい仕事ではない。それになによりやるせないのは、案外自分が平気だということだ。掌に残った感触は気持ち悪い。だが、ミーシャのような吐き気はない。むしろ………認め難い高揚感が、ある。人を殺して喜んでいるつもりはないが、浮足立っているのは間違いない。これは戦士としていいことなのか? よくないのか? 一抹の不安を覚えてしまう。

 家に着くと、ちょうど学校に登校するミオと鉢合わせになった。まずい、収容所でのことは内緒にしなければ……。

「お、おはよ…」

「……朝帰りですか、姉さま」

「えっ……いやいや、散歩だよ!? ちょっと眠れなかったから…」

「…………」

 ミオの顔が一際険しくなる。

「何…どした? いや、言っとくけど、そんな、男と遊ぶようなこと一度も――」

「余裕ですね。もう将来が約束されているからですか?」

「?」

 収容所での仕事はこなしたが、それでシロモリの後継者に決定という話ではなかったはずだ。そもそも知らないはずだが…?

「……何言ってるか、よくわかんないんだけど」

「………っ!」

 突然ミオが殴りかかってきた!? しかもおそろしく速い! 反射的に拳を受け止めるとなぜかミオが目を剥く。冗談じゃない、驚いたのはこっちのほうだ!

「何をするんだおい!?」

「く……ううぅ!!!」

 涙目になって走り去っていく……何なんだアイツは? 朝っぱらからよくわからん……。

 


 しかしその夜、決定的なことが起こった―――。



「シロモリはアケミが継ぐ」

 食事の最中、前触れもなく切り出す親父殿に誰もついていけず、しばらく食卓の空気が凍った。

「あっ……ああ、了解」

 そんな返事でいいはずはないのだが、そのくらいしか口から出なかった。でもまあ、その程度のことだよなと肉を刺したフォークを口に運んだら、

「納得できませんっ!!!」

 皿が浮くほどテーブルを叩いてミオが怒鳴り声を上げた。

「どうして、どうして姉さまなのですか!? 確かに私は小柄で、体格には恵まれていません……けど! 才能で負けているつもりはありません! それに姉さまは普段からしてふらふらとっ……今日こそははっきり言わせていただきますが、シロモリの名にふさわしいとは思いません!!」

 それには全く反論する余地なし。だが―――

「…それほどシロモリの当主になりたいか?」

「姉さまがなるくらいなら、私の方が…!」

 ミオは真っ直ぐ親父殿を見返す。痛いほど真っ直ぐと……こんなにはっきりと激しいミオは初めてだ。母さまに貴族学校に通わせられているから、てっきり貴族の子女として社交界に出るものだと……親父殿はどうする? 親父殿は……

「シロモリの次代はアケミだ。決定は変わらん」

「どうしてですか―――ッ!!」

 またミオがテーブルを叩く。母さまもさすがに宥めようとするが、ミオの怒りは頂点に達し、ついにその矛先はこちらに向いた。

「姉さま……決闘を申し込みます!! 後継者の座を賭けた、真剣での決闘を…!!」

「何を言っているのミオ!? バカなことはやめなさい!!」

 母さまが狂ったように叫ぶ。それはそうだ、普段「お利口」なミオからは考えられない上、そもそも母さまは荒事が嫌いだ。だからこそ、親父殿に剣を叩きこまれた自分と違って、母さまはミオを大事に大事に育てたのだ。普段の道場での訓練も手習い程度にしか思っていなかったかもしれない。そのミオがここまでシロモリの名にこだわるとは……一番ショックを受けていることだろう。

 親父殿に目で訊ねる。親父殿は眉根を寄せて目を伏せている。迷っているのか、こちらに任せたのか……。一度任命された以上、返答は自分次第なのだが、それでも酷い役回りを押しつけるものだ。

 しかし、おそらく親父殿と意見が一致している部分がある。ミオにシロモリは向かない。コイツは真っ直ぐすぎる。収容所でのようなことには耐えられないだろう。なら―――

「……わかった」

「アケミ!!? あなた達、姉妹でこんなっ……ねぇあなた、止めさせて! こんなのおかしいわ! どうしてこんな……あなた!!」

 母さまの悲痛な叫びがダイニングに響くが、親父殿は相手にしない。自分はおろおろとするシャロンさんに大丈夫だからと手を振ってあげることしかできなかった。




 食事から一時間後、場所は道場に移る。

 道場の真ん中でミオと向かい合う。その間で審判を務める親父殿。そして離れた位置に母さまと、側で支えるシャロンさん。

 …こう言っては何だが、母さまもミオが自分に勝てるとは思ってはいまい。こちらがどう手加減するかにかかっている。食い入るように見つめる視線からは無言の叫びが聞こえるようだった。

 ――で、だ。

「姉さま、武器はどうされたのですか」

 何も持たない自分にミオの刺々しい声が掛かる。舐めるなということなのはわかっているのだが……

「うーん…どうしたものかなと、思って」

「真面目になさらないのは勝手ですけれど、命を落としても知りませんよ」

 そうはならない。その前に親父殿が止めるに決まっている。それがわからないわけではないだろうに、精いっぱいの虚勢か。

 本当に素手でやろうかと思い始めた時、親父殿が呼ぶ。

「アケミ」

「ん?」

「使え」

 渡してきたのは………今朝使った刀だ。頭がすっと冷える。

「………どういうつもりだ、親父」

「今日からお前のものだ」

 ミオが歯軋りしたのが聞こえた。刀の譲渡、すなわち免許皆伝の証―――そう捉えたのだろう。自分もそう思っていた。

「さすがにまだ早いだろ。勝敗が決まってからじゃないのか?」

「これを使いこなせねば貴様の負けよ」

 ああ、そういうハンデね……。

 特別長い刀だ、取り回しには苦労する……ということではない。今までこれで丸太と人間を真っ二つに切り分けている。一度振るえば絶大な威力のこれでのだ。

「それがあの丸太を胴切りにした刀ですか」

 ミオの睨む顔が黒い鞘に映り込む。

「どうして知ってるんだ?」

「……どうでもいいことです、あなたにとっては」

 ついに「あなた」呼ばわりか。どうしてこうも嫌われてしまったのかなぁ。

「父さま、合図をお願いいたします」

 ミオが腰の後ろから抜いたのは二本の短刀。片刃・細身の刀身だが、ミオの体格にちょうど合っている。しかし短刀を二本使っている姿は見たことがなかった。

 まさかぶっつけ本番ではないだろう。性格から言って、一番自信のある必勝の手で来るはずだ。短刀二手のチョイスは手数重視か。足りないリーチをさらに殺しているのだから、それを補うための結構な訓練を積んでいることだろう。身体の小ささにコンプレックスを感じているだけではないらしい、冷静に自分を受け止めているのか……。ならばミオにも勝機はある。ミオには自分とは違う素質がある。自己分析し、状況分析し、常に思考を巡らせる。ただの身の程知らずではない。

 しかし、それでも身の程知らずには違いなかった。自身が最高のパフォーマンスでも相手に勝てるかは別である。それを感じ取る直感がまだ鍛えられていない。これは経験で培われる部分である。養成所に出入りし、ひたすら模擬戦や野試合を繰り返してきた自分とはそれなりに差がある。そして何より―――ついに殺気を身につけてしまった。

 親父殿が昨晩言っていた意味がはっきりとわかる。ミオがぶつけてくるのは敵意であって、殺意には到達していない。よしんばミオが自分を殺す気だったとしても、それを相手に伝えるには「気」が散漫しすぎている。

 具体的にすると―――

「うっ…!」

 刀を腰だめに構えた瞬間、ミオがたじろいだ。

 居合いの構えから放たれる一撃は敵を斬る――斬れる――斬った――この実感があるとないとではプレッシャーが違う。動物的本能を直撃し、「死」を予感させるのだ。

 ミオが怖れているのが手に取るようにわかる。体格、そして武器のリーチの差を埋めるには、どうしてもこの居合いをかわさなければならない。それは断頭台に飛び込むが如き覚悟を必要とする。一体どうやって?

 ミオが息を止めた………来る!

 真っ直ぐ飛び込んでくる―――思ったより素早い動きだが、いい的でしかない。まさか考えなしではないだろうが……どうする? 抜くか?

 その一瞬の逡巡の内に間合いに迫るミオ。身体が反射的に居合いの動作に入る―――その一歩手前でミオが動いた!

「シッ…!」

 走る動作から小さな動きで左の短剣を投げてきた!? 半分だけ抜いた刀を盾にし、額に向かって飛んできた剣を弾く。

 その間にミオは急制動をかけ、スピードを上げて左側に回り込む。今度は段違いに速い。緩急をつけてタイミングをずらすのか!

 ミオはまだ間合いのギリギリ外――しかし刀を抜けるか? 右側なら勢いのまま振り抜けばいいが、左側は重心を移動させねばならず、構え直すのに一歩分、溜めをつくるのにさらに一歩分の時間がかかる。もはや居合いは封じられたも同然だ。

 よく考えている。よく鍛錬している。だが――――。

 反転してこちらに突撃してきたミオが短剣を突き出す刹那に、すっと刀を下ろして構えを解く。そのまま半身だけずらして剣を避けると、突進の勢いの止まらないミオの襟首を片手で掴み、浮足立った足元を片足で払って、背中から床に叩きつけた。

「あぐっ!? あっ…!」

 ミオが痛みに床を転がる前に短剣を持つ右手を踏みつけ、するりと刀を抜く。

 そう……以前とは違う。以前なら「勝つ」ために何度も剣を相手に打ち付けた。でも今は違う―――。

 抜き、頭上で回転させ、逆手にした刀を下ろす。

 今は自分の剣が簡単に人を殺せると知っている。一呼吸で決着がつく。この刀を急所に、首に突き立てれば―――

「やめてぇ―――ッッ!!!」

 ―――!

 母さまの絶叫が鼓膜を焼いた気がした。親父殿の「それまで」の合図よりもはるかに大きな声だった。気付けば刀身はミオの首の横、まさしく首の皮一枚で深々と床板を貫いている。

 ミオは、目を見開いたままピクリとも動かない……いや、細かく震えている。

(やばい……)

 殺しかけた………。

「止めなさいっ、もう止めて――!!」

 母さまが飛び込んできて慌てて刀を抜く。母さまは庇うようにミオに覆いかぶさり、見た事のない侮蔑の表情であたしを睨んだ。

「妹でしょう!? どうしてこんなことができるのっ!!?」

 どうしてと言われても、けしかけてきたのはミオだ。

「もう勝手にしなさい! 家なんて、剣を振りまわしたい野蛮な人間が継げばいいのよ! ミオは巻き込まないで!!」

 なんだそれ……あたしはあんたの子供じゃないのか?

「アケミ…!」

 親父殿の低い声に我に返る。刀を握る手に力が入っている。これ以上はもう、だめだ…。

「……あたしの勝ちだな」

 誰に言ったつもりもない。刀を納めながらただ独り言のように呟いて、一人道場を出た。



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