第6話
翌朝四時―――。
太陽もまだ昇っておらず、その上やけに冷え込む。アケミの睡眠時間は三時間少々で、道場破り巡りをしていた昨日の疲れはさすがに取れない。それに元々朝は弱い方だ。
欠伸をしながら家の門から出ると、すでに親父殿が待っていた。その姿に目が覚める。親父殿の服装が「着物姿」だったからだ。「着物」はシロモリの祖先の国の民族衣装らしいが、親父殿がこれを着るのは催事など特別なことがあるときだ。
「ついてこい」
「え…いや、その格好でどこ行くんだ? あたしは普段着なんだけど」
「それでよい。剣は置いていけ、荷物になる」
「? わかった…」
そうして二人で早朝の街を歩き始めた。さすがに人の気配はほぼなく、静かだ。
「今日は晴れるか…」
「ん? どうだろな…」
なんだこれ…。親子で朝の散歩をしているみたいだ。
「なあ、親父―――」
「昨晩の話を覚えておるな」
「あ、ああ」
「その上で来たのだな」
「当たり前だろ」
「……ならよい」
それで会話は終わってしまった。神妙な面持ちの親父殿の後をただついていく……何か考えようかとも思ったが、無駄なことだ。
住宅街を抜け、商店街を抜け、繁華街を過ぎて城下街を出て―――一体どこに行くんだ?
「ここだ」
一時間半歩き通しで辿り着いたのは、高い塀に囲まれた収容所。エレステルの首都・グロニアの西はずれにあることは知っていたが、訪れるのはもちろん初めてだ。
石造りの高い塀はまるで要塞のようで、そのくせ出入り口は小さい。ちぐはぐな印象だ。
出入り口で手続きと記帳を済ませると、奥の部屋へ通される。朝方という事もあるのだろうが、それにしても暗く、不気味なほどに静かだ……。
部屋には制服を着た初老の男―――所長がおり、親父殿と挨拶を交わした後、不思議そうな眼で訊ねてきた。
「こちらは…?」
「娘だ。今日はこの者が執り行う」
「え!? しかし……」
「問題ない。腕は立つ」
親父殿はそれ以上は無用と言わんばかりの顔で戸惑う所長を黙殺する。仕方なく所長は書類とペンを持ち出した。
「では、こちらの契約書にサインを」
契約書……?
「貴様が書け」
親父殿は腕を組んだままだ。
契約書に目を通す……。細々と項目があったが、「家族・友人・知人にも一切口外無用のこと」の一文が一番気になった。
「親父殿? これから何があるんだ?」
「よく読め」
「いや、だから…」
「シロモリの務めだ」
「そうなのか…?」
なら、国家的機密ということか? 誰にも見つからずにこっそり家を出たのはそういうことだったのか。
詳細はわからないままだが、ここに来たのはシロモリの名を継ぐ覚悟を示すためだ。任務と言われてやらずにいられようか。気前よくサインしてやった。
しかし所長は複雑な表情で書類を受け取る。一体何なのか…。
その後二十分ほど待たされ、ようやくやってきた案内の者に従って地下へ……。階段を下りていくにつれて空気が淀んできて、しかも生臭い。
と――
「お?」
「あれ…? おい、何でお前がここにいるんだ!!?」
突き当たりの扉の前にいたのはオウル工房のマクベス親方とミーシャだ。
「重なっちまったか…」
「…ちょうどよいのかもしれん」
親父どもは顔を合わせるなり渋い顔をする。その脇のミーシャは青い顔をしてこちらを凝視する。
「お前っ…お前がやるのか!?」
「は? 何を?」
「わかってて来たんじゃないのか!?」
「うるせぇ! 余計なこと言うんじゃねぇ!!」
マクベス親方が一喝する。なんだ……何が始まるんだ!??
「親父…!?」
これは、一体…?
「この先の部屋にいる男は死罪人。これからここで斬首刑に処される。執行官は貴様だ」
「は…?」
親父殿が何を言っているのかわからなかった。
「これを使いな」
マクベス親方に合図されてミーシャが差し出したのは長い、剣。しかも布袋の口から見える柄には見覚えがある。この間工房で使ったあの刀だ!
ちょっと待て…これから何をするって? 囚人の首を、刀で刎ねる……!?
「オイオイ…意味分かんないし。どうしてそんなことしなきゃなんないんだ。どこがシロモリの役目だよ」
するとマクベス親方がミーシャの背を押して前に出す。ミーシャは大柄な身体を縮こまらせて、眼を合わさずに説明を始めた。
「この刀は新しい刃金で打った物で……切れ味とか強度がまだわからないから、それで……」
言わんとしていることがわかった、いやわかっていた―――わかっていた、が…!
「じゃあ何か!? 新しい剣ができたから人間で試し切りをしろってことなのか!? ふざけんな! そんなことできるか!」
「それがシロモリの役目よ」
「親父っ―――!!」
「剣は殺すための武器、剣術は殺人術! それを司るのがシロモリならば、何の迷いがある。斬って当然、斬らずばシロモリでなし!!」
「そんなっ……でも…!」
いくら重罪人であったとしても、死刑になる結果が変わらないとしても、人の命を実験道具にするなんて……!
「困りますな、ここで内輪揉めをするのは」
鉄の扉を開けて所員が顔を出してきた。
「時間が推しているのです。手早く済ませて頂きたい」
「申し訳ない。すぐに取り掛かるゆえ、今しばし」
親父殿の冷めたその態度に頭が沸騰しそうになった。
「親父ッ!」
「殺気を身につけたいと言っていたな」
ぎくりと言葉に詰まる。
「殺気――殺意を身につける具体的な方法は一つ。『殺し』を知ることだ。殺し方だけでは単なるイメージの域を出ん。殺す実感を持つことだ。それができぬ限り、貴様はいつまでも半端者よ。さあやるのか? やらぬのか? すぐに決めよ。罪人といえど、いつまでも死の恐怖に曝すのは惨い。自らの意思で決めよ」
「……惨いのはどっちだ」
殺すか。去るか。即決しなければならない。
去ればシロモリの素養なしとみなされ、家督を継ぐことはできないだろう。おそらくは婿養子を迎えてその男と結婚することになる。剣の道は……難しくなるだろう。
引き受ければ………そう、引き受ければいい。引き受けることでのリスクはない。むしろいい機会だ。どれだけ実剣を振りまわしていても、まだ一度も人を斬ったことはない。シロモリを継げなくても兵士になろうと思っていたんだ。いずれこうなるのなら……なら、練習台として斬ってもいいと? それは違う、違う………!
「……アケミちゃんよ。俺ぁ剣士じゃねぇが、一つアドバイスさせてもらうぜ」
マクベス親方だ――。
「迷っているときは余分なモンは削ぎ落して、自分の一番根っこのところを見る。そうして方向を見定めたら、後は一心不乱にやるのさ」
余分なものとはなんだ? 違う、自分の根っこ―――本質はどこだ? なぜ人を斬る? どうして家督を継ぎたい? なんのために剣を取る?
答えは―――…
「…よこせ」
手を出すが、ミーシャは目を見開いたまま動かない。
「お前っ…それでいいのか!?」
「はあ? じゃあお前は何のために刀を持ってきたんだ。さっさと渡せ」
奪い取るようにして刀を取り、布袋から抜く。相変わらず長いと感じたが、それが力強くもある。
「よいのだな」
「ああ」
「処刑するまで決して喋ってはならぬ。よいな」
親父殿は扉を開けた。
鉄製の重い扉が開かれた先には、異様な光景が待ち構えていた。
何もない石壁の部屋――。天井付近に天窓が一つあるが、おそらく地上の地面近くだろう、昇ってきた陽の光を受けた草の影が見える。そこから入るわずかな光を受けて、何人かの人影が見える。その中で一際目を引いたのが、石畳に座らされた男だ。
手足を縛られて目隠しさせられているこの男が、死刑囚―――。
寒い朝で石畳の上、さらにこれから処刑されるのだ。みじめなくらい震えている……。
その男の脇に先程の所員が、そしてこちら側と反対側の出入り口を固めるように二人の所員が立っている。壁際には水がなみなみと入った桶、床には囚人の正面に向かって排水溝があり、これからの行程が容易に想像できた。
「これより囚人番号2369、ガバナ=ゲーベンの処刑を執り行う。執行官は前へ」
男の脇の所員がそういって下がる。まだ刀を抜かずに無言で囚人の元へ。足音が聞こえた囚人は「ひっ」と叫ぶ。
「執行―――」
所員の合図だ。刀の柄に手を…
「まってくれ! 嫌だ、死にたくないぃ! 聞いてくれ、俺は騙された! そう、騙されたんだ…! 俺じゃない、俺のせいじゃないい…!」
男が叫んで訴え始めた。所員に目をやるが、顎で「やれ」と示すだけだ。
「俺は悪くない! 嫌だぁっ、死にたくない! 死にたくないいいぃ―!」
男はいよいよ無我夢中で暴れ出した。とはいえ、手足を鎖で繋がれているため二歩も動けるわけではない。
まるで陸に揚げられた魚のようだ……。
取り押さえようと近づき始めた所員をちょいと手で制し、アケミは刀を抜いた―――。
「あっ……」
声を出したのはミーシャだ。囚人は糸が切れたように倒れ、その影は二つに分かれた。暗い床に黒い染みが広がっていく……。
「…おみごと」
所員は無表情でそう言った。褒め言葉でも皮肉でもなく事務的に。
静かに息を吐きだし……刀をしまいかけて後ろを振り返った。
「今、このまま刀見せるんだっけ?」
「え? あ…」
ミーシャはおそるおそる近づいてきて、震えながら刀を受け取る。
「すごいな、お前…」
「何が?」
「だってあんなっ……うブッ!」
死体を見てしまったミーシャは排水溝付近にダッシュし、盛大に吐く。そこはすでに血だまりになっていて、その臭いにむせてまた吐く。
話にならないミーシャを放って死体の処理にかかる所員に声をかける。
「これで終了?」
「ええ…お疲れ様でした。これを上で提出してください。給与が支払われます」
「へ?」
所員がサインした紙を受け取り、アケミはくるりと親父殿に振り返る。
「何? お金がもらえんの?」
「正当な報酬だ」
「報酬ねぇ…。契約書のことからして、口止め料だったりして」
「………」
誰も何も答えない。
「…あたし先に帰るわ、眠いし。親方、刀のことは後日でいい?」
「お、おう」
「じゃあお先」
手続きを済ませ、収容所から出る。まぶしく輝き始めた朝日を浴びて、肺いっぱいに空気を吸い込むと、先程までのことが嘘のようだが―――
掌には、はっきりと感触が残っていた。丸太のときとは違う感触が。
やればわかる―――売り言葉に買い言葉のやり取りの中で出た言葉だったが、実際にそのとおりだった。剣を振るうにふさわしいかは斬ればわかる。かつてガンジョウ自身も通ってきた道だ。だからこそ、娘たちに歩ませるのは避けたかった。
人を斬れば、自分が何者なのかわかる。罪悪感に押しつぶされて二度と剣を握れなくなることもあれば、タガが外れて死を求める殺人鬼になる場合もある。環境や文化で度合いが異なるとはいえ、確実に何かの変化が起こるのは間違いない。そしてそのショックに耐えるための武術でもある。
しかし誤算だったのは、アケミの腕前だ。
「なんというか……本当になんというかってぇ感じだな」
階上に昇っていくアケミを見送ったマクベスが呟く。
「まぐれには見えなかったな。すでに達人の域だぜ、ありゃあ…。どれほど剣の腕の立つ奴でも、見惚れるほどってのはそう無いもんだ。まして、今日みたいな場じゃあな。懸念だった精神的ショックもなさそうじゃねぇか」
「今はまだわからん。今日の出来事はアケミの胸の内に潜み、ひずみを生む。それがどのような影響となって現れるかは、『その時』にならねばわからぬ。だがあれは、おそらく……」
言葉を呑みこむガンジョウを察してマクベスは大仰に肩を竦めてみせた。
「まあよかったんじゃねぇか。どう転んでもきっとお前さんは納得できなかったろうよ。本人がちゃんと選べたんなら、あとはケツ持ってやるのが親の務めだ。それによ……少なくともウチのに比べりゃあ有望だぜ」
失笑するマクベスの視線の先は己が息子の姿である。ミーシャはついに吐きだすものがなくなって、涙目でふらふらと寄ってきた。
「武器屋の息子が情けねぇなぁ!」
「無茶言うなよ! ……刀見たけど特に刃こぼれはなかったし、上々だろ」
「俺が打ったんだから当然だ……と言いたいとこだが、何見てたんだタコ! あのなぁ……いいや、今日の飯は肉だ。お前が作れ。自分でぶつ切りにしてみりゃあ、アケミちゃんがいかにすげぇかがわかるぞ」
「えー!」
「何だ!?」
「食欲沸かねぇよ…」
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