第5話


「どういうつもりだ、貴様は」

 バレーナと飲んだ翌日の深夜、またもや道場で親父殿の説教タイムである。が、それはアケミにとって望むところであった。

「方々から苦情が来たぞ。酒臭い小娘が道場破りに現れたと」

「あれ、ちゃんと風呂に入ったのにな…まったく、これではあたしがただの酒乱みたいだ」

「違うと申すのか」

「もちろん―――」

 ドンと並べられた品々は、剣や盾、兜、旗…燭台なんかもある。

「戦利品だ。城下の名だたる師範・講剣所・傭兵ギルドから勝ち取ってきた。完膚なきまでに叩きのめしてな」

 ―――というアケミ自身もさすがに無傷とはいかなかったが…。

「これであたしの強さは証明されただろ。さあ親父殿、すぐにあたしをシロモリの後継者に指名しろ。ダメだってんならそれでもいい、この戦利品を手に鳴り物入りで兵士になってやる。もうあんたがどう言おうが従う気はないからな!」

 アケミは強気で言い放つ―――が、内心では賭け同然の心境だった。兵士は駄目だ。一兵卒からでは遠すぎる。武術士官であり貴族である「シロモリ」でなければバレーナの側にいられない。アイツには今、助けが必要なのだ。

「……愚かな娘よ」

 父は苦々しく吐き捨てた。こんな表情をする親父殿は初めて見たかもしれない。

「貴様にシロモリの名はふさわしくない。戦士としても二流以下の未熟者よ!」

「この期に及んで……あたしが二流以下だと!? ふざけんな! 一体何が足りないって言うんだ! 武人になるための武力も知謀もアンタが叩きこんで、力も示した! あたしが気に入らないのか!? だったら……さっさと切り離せばいいだろ!! あたしもシロモリを捨ててやる――!!」

 自分で何を言っているのかわからなくなってきた……いや、奥底に眠っていた自分も気付かなかった本音が漏れだしていたのだ。自分が嫌われているのではないかという不安……父も母も自分を疎んじているのではないかという恐怖。そして、これは口にしてはいけなかったことなのに……!

「あたしは……あ、あたしはっ…」

 ヤバい、泣きそうになってきた…。

「………立てい」

 そう言った親父殿は自らも立ちあがり、壁にかかっていた木剣を投げつけてきた。

「お前が何故未熟か、教えてやる」

「…!」

 木剣を掴み、すぐさま構えた。後から思えばほっとして、嬉しかったのかもしれない。

 正眼に構えた親父殿は静かにどっしりと構え、並々ならぬ重圧感があった。直接の稽古は……二年ぶりくらいだろうか。そういえばどうして稽古をつけてくれなくなったのだろう。単純に順番がミオに回ったくらいにしか思ってなかったが、時間などいくらでもあったはず――――

「集中せんか―――!!」

「――ぅ!?」

 木剣を打ち合う! 一合、二合―――……

(…………?)

 余裕でさばける…仕掛けてこない…?

「親父殿……まさか手加減しているのか?」

「…何の話だ」

 また親父殿が打ち込んでくる。その剣筋は鋭く、重く、冴えている―――が、こんなものか?

 親父殿は決して体格の大きい方ではない。女として背の高い自分と並べば、目線も大して変わらなくなっている。しかし、こんな手ごたえの剣士だったか?

「ぬううぅ…!」

 親父殿は手加減しているわけではない。その形相を見ればわかる。だが、強くない。むしろ……弱い。

 歳をとったから? それとも……自分が父を越えてしまったのか? 幼いころ、あれほど強くて憧れていた父が、今はこんなものなのか? 

……空しい……。

「はぁっ!」

 ギアを上げた。段々と親父殿がついてこられなくなる。これで終わりか、と思ったその時―――

 なんと、親父殿が剣を下ろして無防備になった!!

「っ―――!!!?」

 慌てて剣を止める! しかしその瞬間、『シロモリの剣聖』の眼光が光った。

「くカァアアァァッ!!」

「おおあぁっ!?」

 稲妻のような袈裟切りの一撃を受け、アケミは床に転がった。

「なっ…あっ…!!?」

 身体が動かない…! 肩に受けた痛み自体は大したことない。むしろ手加減された。だが、冷や汗が止まらない……!

(今………斬られたっ……!)

 タイミングの話ではない。ただの恐怖とも言えない。しかし自分は今、殺された…!

「……貴様に足りぬのはこれよ」

 親父殿は息を切らしながらも、泰然とこちらを見下ろしていた。

「つまりは殺気……剣術の根源たる意思。貴様の剣には殺気がない。だから二流なのだ。剣士ならば敵が剣を止めても迷わず振りぬく。生死の境にあって敵を活かすなどありえん。然るに貴様は、真の意味で剣を振っておらぬのよ。貴様が打ち倒したという戦士たちも、貴様を脅威とは感じておらんだろう。所詮貴様は腕の立つ剣術小町に過ぎん」

「……!」

 愕然とする。自分の剣がままごとだと断じられたのは理解できたのに、親父殿の言う殺気はまるでわからない。親父殿から感じ取りはした、だがどうすれば発揮することができる?

 身を起こし、木剣を置いて父の足元で床に手を着いた。

「親父殿―――どうすれば体得できる?」

「…………」

「親父…!」

「こればかりは才能よ…。剣の腕をどれだけ磨いてもできんものはできん」

「そんな……! それじゃあたしは、どれだけ頑張ってもシロモリを継げないのか!? そんなバカな話があるか…!」

「……方法がなくもない。だが……」

 苦渋満面の表情で座り込んだ親父殿は、項垂れて黙ってしまった。

「……親父! 『だが』、なんなんだ!」

「………貴様が男であれば…」

「あ…!?」

 まさか、今さらそんなことを――!?

「貴様が剣を覚えなければ……貴様が弱ければ…せめて美しくなければ…!」

「は、はあっ!? ばっ……バカじゃねぇの!?」

 まさか、親父殿からそんな言葉が…!? どう切り返していいかわからず、顔が熱くなっていく。

 常に厳格であったシロモリ当主・ガンジョウは、大きく溜め息を吐いて肩を落とす。

親父が小さく見えた。こんな姿、初めてだ…。

「…アケミよ」

「…何だよ」

「貴様が父の腕を超えると確信したのは、貴様が十二を過ぎた頃よ。幼き頃に戯れとして教えていた剣を、貴様は尋常ならざる速度で身につけていった。このシロモリの歴史の中で名を残す剣士になりえる才能を秘めているのだ。しかし……それでも女よ。ワシの可愛い娘よ」

「やめろ!? やめてくれ! そんなふうに言われたって……困る…。大体、強ければ男も女も関係ないだろう? あたしとミオの娘二人しかいないんだ。無い物ねだりしたって仕方ないじゃないか。あたしは……あたしがシロモリを継げばいい。娘としての、あ…愛情? それはミオにやればいい」

「たわけが。先程はシロモリを捨てると吐いたではないか。一時の感情でフラフラ意見を変えおって。だから貴様は小娘なのだ」

 図星だ。でも……

「でも……あたしの目的は何も変わっちゃいない。最初から一つだ」

「何?」

「バレーナの助けになりたいんだ。支えになってやりたい」

「………」

「こんなこと口にしちゃいけないが、王様が亡くなったらアイツ一人になるだろう!? 頼む、親父……あたしに力をくれ! あたしが使えるのは剣の腕くらいだ! アイツの敵を討つ力がなければ役に立てない! だから、親父……殺気を体得する術を!」

 額を床に擦りつけるくらい頭を下げた。態度を示すというのもあったが……自分のことを大切な娘として想ってくれていた父を裏切る形になって、顔を見られなかったのだ。

 しばしの沈黙の後……親父殿が口を開いた。

「……殺気を、なんと心得る?」

「! 殺気とは―――……気合い?」

 親父殿は首を横に振る。

「違う。殺気とは殺意なり」

「怒りや憎しみ…?」

「それも違う。それは素人の考えよ」

「………」

「獣が獣を襲うのを見たことがあるか?」

「あ、ああ……昔、バレーナとミオを連れて山に入った時、狼を見た…」

 と、親父殿の表情が怒りに変わっていく。しまった! 黙ってバレーナを連れ出したのは内緒だった! まして狼に遭遇していたなんて知れたら……!

「い、いや…その…バレーナいたかな…?」

「…もうよい。そして姫様、王女殿下だ。口を慎め。話を戻すぞ……獣は獲物を狙うとき気配を隠すが、獲物もまた敏感に感じ取る。殺気を感じ取るのだ。ならばその殺気に、殺意に感情はあるか?」

「いや…ない!」

「そうよ。殺意とは感情ではなく、意思。文字通り殺すという意思だ。迷いなき純粋な意志が敵の本能を打ち、竦みあがらせるのだ。ならばアケミよ……どうやって殺す?」

「どう…って…」

「どうやって殺す」

 ぞくっと背筋を冷たいものがはしった。今、殺人について教わっている…!

「あっ…頭を、殴るとか…?」

「何を用い、どのように殴る」

「例えば木剣で、後ろから、打ちおろして――…」

 木剣は手元にある。そして目の前には、親父殿の頭が……

「…っ!」

 あたしは何を想像してっ……!

「どうした? 怖くなったか? 怖ろしく、おぞましく思うならば止めるのだ。そして剣を捨てろ」

「剣を捨てる!? バカな…!」

「殺意に呑まれれば、命が軽くなる。己を軽んじ、他人を軽んじることとなろう。貴様に子ができても、愛せぬかもしれぬ」

「だから男ならよかったと?」

「男は剣に逃げればよい。しかし女はそうはいかん。母にも剣士にもなれねば二重の責め苦を負う事になる。現に、子を宿して引退した女戦士は少なからず上手く母になれぬと聞く。殺意をもって敵を倒した手で我が子を抱けぬのだ。子への愛情と自らの罪とのズレが歳月を経るごとに大きくなり、精神は病み、擦りきれて壊れていく……そうなることも有り得るのだ」

「有り得るだけで、全員がそうなるとは限らないだろ。やってみなけりゃわからない」

「ならば、やってみるか」

「え……」

 それは、つまり……

「覚悟があるのなら、早朝四時に門前で待て。誰にも、決して気取られぬようにな」

「ちょっ…親父!」

 親父殿は静かに道場を出ていった…。





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