第4話

 結局、何もできないのか―――。

 アケミは陽が落ちても一人、街を彷徨い歩いていた。エレステル城下の繁華街は、今日も飲み屋を中心に騒がしい。そこに出入りするいかにもな戦士たちと自分との間に、とても大きな隔たりがあるのをアケミは感じていた。

 剣の腕には自信がある。過信じゃない、それは養成所でわかっている。でも結局今の自分は、何でもないただの小娘に過ぎない―――……

「どうすれば手に入る……」

力が……。

(アイツを支えられる力が……)

 シロモリに縛られる自分。しかしシロモリでなければ何でもない自分。そんなことはわかっている。しかし時はそう待ってはくれない。アイツが一人になる前に、アイツの隣に立てなければ………。

「―――と」

「あ―――」

 全くの偶然だった。まるで突然そこに現れたように―――今思い描いていた『アイツ』と出くわしてしまった。

「え――と…」

 言葉が出ない……何を言ったらいいのかわからない。だが何かを言わなければ……何かを……!

「…久しぶりだな」

 先に口を開いたのは『アイツ』のほうだった。フードを被り、全身をマントで覆ったその女の声は、いつも通り硬い口調ながらも、どこか気恥ずかしそうにも聞こえた。

「ああ、久しぶり…」

 自分も返答すると、一日中胸に溜まっていた膿のような悩みがすっとなくなった気がした。

ほっとする……皮肉にも悩みのタネである『コイツ』こそが、今のアケミにとって一番気が許せる相手だったのだ。

「……暇なのか?」

「お前はヒマ…なはずないよな」

「フ、私にだって自由になりたい時はある。食事がまだなら、いっしょにどうだ?」

「……本当にいいのか?」

「お前がいれば、言い訳もできる」

「クク、あたしのせいか。まあいいさ、親父殿とケンカするのも慣れてる」

 連れられた先はこじんまりとしたレストランバーだった。酒だけのカウンター席もあれば食事もできるテーブル席もあり。旧来の格式あるレストランからすれば邪道だが、アケミはこれも「あり」だと思う。それにこの店はカウンター越しに見える酒の量も豊富で内装もきれい、雰囲気も落ち着いていて、いかにも大人の店だ。当然、入ったことはない。

 少し気後れするこちらに構わず、先を行く『コイツ』はフードを被ったままカウンターのマスターを一瞥する。マスターもわかっているようで、慣れた様子であいさつする。

「いらっしゃいませ」

「上は空いているか?」

「ええ、いつものお部屋をどうぞ……失礼ですが、そちらの方は?」

 自分を見るマスターの目が一瞬鋭く光る。

「シロモリの次期継承者、長女のアケミだ」

「あのシロモリ様の………これは失礼いたしました」

「今日は私が勝手に連れてきた。シロモリ殿には内緒にしてほしい」

「畏まりました。ではお部屋へ」

 階段から二階に上がり、一番奥の部屋へ。中は白い丸テーブルに白い椅子が一脚だけあって、すぐにマスターがもう一つイスを用意して出ていった。

 静かな部屋で二人きりになり……ようやく『コイツ』はフードを脱いだ。

 現れたのは深い黒の艶のある髪と、彫刻のように整った芸術的な容貌。その瞳には固い意志とどこか冷たさを感じさせ、ピンと背筋を伸ばした姿には堂々とした気品がある――――そう、知れば誰もが納得するコイツこそ、エレステル国王女・バレーナ=エレステルだった。

 幼馴染みであり、ケンカ友達で、ツーカーの仲だ。とはいっても十歳を過ぎたころから会う機会は減り、ここ半年はろくに会話もしていなかったが……

「…なんか、板についてきた感じだな」

「何のことだ?」

「女王様っぽくなってきた」

「からかうな」

 そうは言うが、ぐっと大人っぽくなっている。纏っているドレスのせいだけではない。懐の深さを感じるのだ。

「それにしても……よく来るのか、こんなところに。お忍びっていうより、城を抜け出してきたんだろ?」

「ああ、最近コツを覚えた」

「悪いお姫様だ」

 席に着くと、すぐにマスターがカートを押してやってきた。バレーナと自分の前にそれぞれグラスを置き、そしてワインを三本も置く。

「誘ったのは私だから私が払う。何か料理を頼むか?」

「いや……任せるわ」

「ではマスター、とりあえずいつも通りで頼む」

「畏まりました……が、まだお若いお嬢様方がお酒を煽るのは感心いたしませんな」

「わかっている。意地の悪いことを言わないでくれ」

「失礼いたしました。では本日ご用意いたしましたものをご説明いたします。まずこちら、シャルネイ産の――――」

 ワインの解説と飲み方のレクチャーの後、またマスターは出ていった。ワインをゆっくり口に含むバレーナに対して、まだグラスに口を付けることができない。

「…なあ、こんなに飲むのか?」

 まださほど酒を飲み慣れていないが、高そうかどうかくらいは香りやラベルの感じでわかる。それをいきなり三本……バレーナが酒に強いとしても、結構な量だ。

バレーナは陽気に笑った。

「ハハハ、お前がそんな顔するなんて珍しいな。怖がっているのか? 王女に『任せる』なんて言うくせに」

「茶化すな」

「これはテイスティングだ。これから私が会席で前に出る機会も増えるだろうからな。酒の味くらい知らなければ舐められる」

「なるほど…。お前も色々やってるんだな……」

「プッ! あはははは! 何を真面目になってるんだ! 本当にらしくないな!」

「うるさい…! もう酔っているのか!?」

「おかしなことを言うからだろう。ほら、飲め。それともお前にはまだ早かったか?」

「同い年のくせに、上から言うな!」

 そうして夜が更け……………。

「失礼いたします。お迎えの方がいらっしゃっておりますが…」

 マスターが入ってきて、アケミは焦った。バレーナはたった今酔い潰れ、テーブルに伏せてしまっている。

「え、えっと…」

「おや……大分お酒が進まれたようですね」

 マスターの言う通り、ワインはほとんど空になっていた。

「おいバレーナ、バレーナ…」

 バレーナの肩を揺するが、寝息を立ててしまっている。

「うわ、参ったな…」

「後のことはお任せ下さい。姫様には馬車を手配いたしますので」

「あ……お金、あたしが払います」

「結構ですよ。後日、姫様から頂戴いたしますので」

「いや、あたしがっ………その…貸しを作れるときなんて、そうないし……」

 貸しをつくっておけば、またバレーナに会う口実ができる……とは言えなかった。

 その心情を読み取ったわけではないだろうが、マスターは快く頷いた。

「では、お代の方を―――」

 ……提示された金額は予想の三倍超で、手持ちでは一ケタ足りない。

「…………ツケって、できます?」

「は?」

「足りない分は後日、必ずお支払いしますので…! それで、あの……ウチの親父のことはご存じなんですよね…? どうかこのことは内緒に……」

「……かしこまりました。姫様のご友人でしたら、私も信用いたしましょう。それでは、お気を付けてお帰り下さい」

 深々と頭を下げるマスターに対して平身低頭のまま、マントとフードを被せてバレーナをおぶった。大丈夫ですかと心配されたが、さっきの代金のことですっかり酔いが冷めてしまっている。

 そのまま一階に下りると、ケープを纏った一人の少女が立っていた。

 歳は……自分と同じくらいだろうか? 一つ上か一つ下か、といったところか。年齢の割に落ち着いた物腰と訝しげに自分を窺う様子から、バレーナの部下と気付いた。ケープの下の単色紺の服装はメイドのそれだ。

「…失礼ですが、どちらさまでしょうか」

「シロモリ家の長女で、アケミという。コイッ…ゴホン、王女殿下のお誘いを受けて、まあ……こういう具合に……」

「姫様にお仕えしております、侍女のウラノと申します」

 ウラノと名乗ったメイドは無表情で礼をする。

「ところで、姫様はこれまでこのような飲み方をされたことはございませんでしたが」

「って言われてもなぁ…」

「……起きてしまったことは仕方ありません。姫様には馬車を…シロモリ様にも手配いたします」

「いい、あたしは歩いて帰るし」

「私も馬車はいぃ……」

 背中のバレーナがもぞもぞと呻いた。

「夜風に当たりたい……だから馬車はいい…」

「何言ってる、立って歩けないだろ」

「このままお前が送ってくれればいい…」

「はあ!?」

「そのくらいの体力あるだろ…」

「そりゃ無理じゃないけどなぁ」

 メイドに目をやる。メイドは静かに目を伏せた。

「私が姫様をお抱えするなどもってのほかでございます」

「あ、そ…」

 



 繁華街から城まではそれなりにある。バレーナ本人はともかく、バレーナの服や身につけている装飾品が結構重い。さすが王族といったところだろうが、それを背負う方の身にもなれというものだ。まして、歩きだしてすぐにまたうつらうつらと眠るくらいなら馬車でよかっただろうに。

「…ウラノさん」

「『ウラノ』で結構でございます、シロモリ様」

 「シロモリ様」……。ひょっとするとこの人は自分のことを知っているのかもしれないとアケミは感じ取る。城に使える者が貴族の名を知らないわけもないか。

「じゃあウラノ………王様の具合はよろしくないのか?」

「お答えできません」

 ウラノはそっけなく返答した。王の病状は国家の最重要機密であり、城の外の人間に話して情報が漏れないようにするのは当たり前なのだが、「姫様」の幼馴染みに対していささか冷たい。

「それじゃあ……最近のバレーナは…王女様はどんな感じ?」

「御覧の通り、ご健勝であらせられます」

「そうじゃなくってだ。わざと言ってない?」

「ご期待に添えず、申し訳ございません」

 鉄壁だ。同じ年頃の娘とは思えないくらい融通が利かない…。

「あんたは言ったよな、普段はこんな潰れるような飲み方しないって。コイツ…もういいや、コイツ最近何かあったの?」

「何か、とは何でございましょうか」

「酒に呑まれるようなことだよ」

「シロモリ様は実に愉快に生活してらっしゃるようですね」

「あ!?」

 さすがに癪に障ってメイドを睨む。が、返してくるメイドの視線も鋭かった。

「王族が政治、財政、権力、相続……様々なことで悩まれるのは当然のこと。そして近くに侍る者ならばその苦悩は推して知るべし、でございます。然るに、くだらない質問をなさるあなた様は、姫様の何なのでしょうか」

「なっ…に!」

 しかし反論できなかった。確かにそうだ、バレーナの幼馴染みである自分はバレーナに特別近い存在だと思っていた。けど、そうじゃない。それは昔の、幼いころの話であって、今はもうそうじゃない。

 自分だけが、取り残されている……。

「…アケミをからかうな、ウラノ」

 背中のバレーナが寝言のように虚ろな声を出す。起きたらしい。

「ふぅ…熱いな…」

「おい、フードを脱ぐなよ。誰かに見られたらどうする!?」

「繁華街も抜けた、この暗がりなら心配ないだろう。それに街の人間には存外気付かれんしな」

「だとしても……聞いたことあるけど、王を選定するためのジレンって一族がいるんだろ? そいつらに見られたらまずいんじゃないのか」

「構わんだろ、別に……ジレンでなくとも、私が一端の王になれると思っている者はいない」

「どうして? 継ぐのは確定じゃないか」

「確かに血統でいえば嫡子の私だろうが……女で、しかも小娘が王になるのを認めると思うか……。臣下の中でも他国から養子を迎えるべきだとか、王家の遠縁の者を王に据えようとかいう声で溢れているのに」

「そういうことじゃない。王になるのはお前だと、単純にあたしが思ってるだけだ」

「シロモリ様、姫様に対して不敬です。言葉遣いにお気をつけください」

 バレーナを「お前」呼ばわりしたらすぐにメイドから遠まわしな叱責が飛んできたが、当のバレーナが「それはいい」と制する。メイドが小さく舌打ちする音が聞こえた気がするが、気のせいだろう。

 しかし、城の中で本当にそんな話が流れ始めているのだとすれば……

「なあ…やっぱりヴァルメア様、具合がよろしくないのか?」

「ん………最近は公務に就くことも難しい。医者からは、いつ回復するかはわからないとのことだった。それはつまり、治る見込みはないということだ。そうなれば当然、次代の王権の話にもなる。父上は公の場でまだ何も仰っていないのにな……」

 ぎゅっとバレーナがしがみついてきた。こんな女だっただろうか? もっと負けず嫌いで……泣いても折れないような奴だったはずなのに。

「アケミ……」

「ん?」

 側にいてくれ、と聞こえたはずだが、

「……何でもない」

 それきり、バレーナは寝たふりを決め込んでしまった。


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