第3話

 クリスチーナの個室は果実酒の甘い香りで満ちている……。その中で服を脱がされたアケミは溺れるようにもがくが、下着姿のクリスチーナは逃れることを許さない。

「ほら、動いちゃ駄ぁ目」

 ランプの明かりに照らされた二人の影が、また重なる。後ろから身体ごと壁に押さえつけるクリスチーナ。耳元に熱い吐息を受け、アケミはくらくらと酔いそうになる。

「ちょっとクーラさん、もうっ……」

「クスッ、顔赤くしちゃって……恥ずかしがることないでしょう? 二人っきりなんだから……」

「意味わかんないってっ……んっ!」

 うめき声を上げるアケミの肌に汗の粒が浮き出てくる…。

「キツい? でもまだ入るわよ。力を抜いて、ゆっくり息を吐いて……」

「はっ、あっ…」

「そう……大丈夫よ、すぐに慣れるから」

「うっ!? くぅ……っ!」

「フ、意外とかわいい声がでるのね。もう少しだから、頑張って……」

「いっ、うっ……んあっ!!」

 ビクンと身体を逸らしたアケミは―――

「もう―――ムリっ!!」

 クリスチーナを突き飛ばし、腰に巻かれたコルセットを剥がして床に叩きつけた。

「はぁ、はぁ……」

「もぉ、我慢弱いわね」

 クリスチーナはグラスに注いだ酒を飲み干しながら肩を竦める。しかしアケミは我慢の限界だった。

「いい加減にしてくださいよ、人を着せ替え人形にして!」

「だって似合うんだもの」

 クリスチーナが面白半分なのは口調からして明らかだ。

 木剣での勝負に鮮やかに勝利したクリスチーナは、約束通りアケミを女にしていた―――普段から女らしい格好をしないアケミに無理やりドレスを着せて遊んでいたのである。

「容姿に限っては何から何まで魅力的なのに、勿体ないわ。もっと着れば女として自覚するんじゃないかしら」

「そう言って何着目ですか! それに何気に失礼だし!」

「でもほら、まだとっておきのが」

「結構です! 大体、今時コルセットなんか使いませんよ!」

「そんなことはないわよ。私のビスチェだって、ほら」

 クリスチーナが纏うビスチェとは、全身1セットの下着である。ブラとコルセットが一体となった上半身からショーツとガーターストッキングの下半身までを覆う。濃紺の細かなレースが身体のラインを浮き立たせ、それをなぞるように示すクリスチーナの仕草は同じ女の目にも扇情的に映る。それは確かに大人っぽく、魅力的なのだが……

「…………」

「ん? 何かしら?」

「いえ……ちょっとイメージと違ったんで。酒を飲んだら想像以上に性格悪いし」

「幻滅した?」

 鼻で笑ってクリスチーナはまたグラスに酒を注ぐ。

「幻滅というか、見方が変わりました。多少シニカルなのはわかってましたけど、もっと大人の女性だと思ってました」

「大人よ。子供をからかうのは大人の特権でしょ?」

「………ホントに怒りますよ?」

「冗談よ。そろそろお開きにしましょうか」

 クリスチーナがシャツを羽織る。アケミも脱ぎ散らかっていた自分の服を拾って着始める。

「どれか着て帰ったら? 一着譲るわ」

「結構です。大人っぽいの、似合いませんから」

「よく言うわ。胸の谷間見せて男を誘ってたくせに」

「へ…変な言い方止めてくださいよ! あんなの……ただのポーズですよ。知った顔なんですから、それこそジョークじゃないですか」

「都合のいい子供の意見ね。軍属として容認できないし、同じ女としても好かないわ」

「………」

 心臓が止まる思いだった。「クーラさん」にこんなにはっきり否定されたことはない。

「女であることを武器にする……それ自体は否定しないけどね」

 シャツだけのクリスチーナがグラスを傾け、ぽつりと呟く。

「『女のくせに』とはよく言われる……。兵隊なんかだと特にそう。あなたのような例外を除けば、普通は男との力比べで勝てるはずもない。自分が女であることは事実……だけど男の言い分はすべて男の都合に過ぎない。極端な話ね、ベッドに誘って油断したところを刺すようなやり方でも、私は下衆な手段だとは思わない。だけどプライドだけは高く保っていなければならない。最後まで堅持しなければならない芯の部分は、決して揺らいではいけないの。わかる?」

「……いえ」

「安売りするなってことよ。ジョークで済ませたいのなら、それだけの器量と力量を持ちなさい」

「それは具体的に、どういうことですか?」

「さあ、それは様々な経験を積まなければわからないことよ。ただ……そうね」

 クリスチーナがおもむろに近づいてきて、そのまま――――唇を奪われた。極自然に、鮮やかに。頭の中が真っ白になって、されるがまま動けなかった。

 軽く吸って放すと、クリスチーナは痺れる唇にほうっと吐息を吹きかけて笑う。

「キスも知らない内はダメ、ね」 

 カッと顔が熱くなった。しかしここで怒っても、恥の上塗りになるだけだ。

(これが子供ということか…)

悔しさしか、ない。



 クーラさんから解放されたのはもう深夜だった。泊まっていく?と勧められたが、ベッド一つに同衾することになる上、「おやすみのキスしてあげるわよ」と余計なひと言がついてきたので断った。で、兵士宿舎のミリムの部屋へ―――

「ってまたですかぁ!?」

「いいじゃん別に…相変わらず空いてんだから。何でこの相部屋って新人が入ってこないんだ?」

「私が先輩の受け持ちみたいにされてるからじゃないですか…」

「ん?」

「何でもないです!」

「何を怒ってんだか……訓練の時そんなに殴った? ちゃんと手加減したのに」

 ミリムは布団を被って返事をしない。自分もそのまま寝た。



 ―――そして翌早朝。まだ皆が寝静まっているころ、気配を隠して自宅の敷地に入ったはずだが、今日はなんと父上が玄関前で刀を持って待ち構えていた。

「うあっ……おはようございます…」

「今日も朝帰りか」

「朝帰りって……その言い方はちょっと。ふしだらなことはしていません」

「男を色仕掛けで挑発したとか」

 どうして夕べの情報が父に!? いくら兵士宿舎が父に近い関係の施設といっても早すぎだろ!

「来い、不良娘」

「…はい」

 板張りの床が冷たい道場へ連れて行かれた。この「道場」というものはエレステルの歴史にはなく、シロモリがかつての祖国から持ち込んだ「文化」として、学術的な価値もあるらしい。もっとも、アケミにとっては自宅の一部に過ぎない。

 父は刀を置いて静かに座り、お前も座れと促してきた。このパターンは説教である。滅多に怒鳴りはしないが、こちらが父の言う事を理解し、納得して反省するまで泣いても解放されない。覚悟を決め、居住まいを正した。

「アケミ……何故奔放な生活をする? シロモリとしての自覚以前に、年頃の娘として恥ずかしくはないのか」

「お言葉ですが、恥じ入ることはしていません。日々の行いは全て武術の研賛のため。工房に立ち入るのは父上の勧めですし、養成所は……許可は頂いてませんが、腕の立つ人間がたくさんいますし、いい刺激を受けられる場です」

「ほう、刺激とな。盛り場を遊び歩くのも良いものか?」

 自分で顔の表情が歪んだのがわかった。

「そ、それは付き合いじゃないですか……訓練後や勤務明けにちょっとお付き合いするだけで」

「何を付き合う。貴様はなんだ? 兵役に就いているでもなく、何の関わりがある」

「ですから、武術を学ぶために……ああぁ、もう! 大体、親父殿が養成所をやめさせたからこうなったんじゃないか!」

 声を荒げてしまったが、もういい。母も妹もいなければこれが普段の父との会話だ。そもそも男のように育てたのは父であって、いまさら言葉遣いでどうこう言われる筋合いはない!

「あたしが養成所に通う事にどうして反対するのか未だにわからない! シロモリは常に武術の最高位であることが務めでしょう!? なのに腕を磨くための恰好の場を取り上げる理由は一体なんなんだ! シロモリを継ぐのはあたしじゃないのか!? それとも親父はあたしに継がせるつもりはないと!? そりゃ女よりも男の方が『シロモリ』が舐められなくて済むだろう……でもあたしは、自分より弱い婿養子なんて認めないからな!」

「貴様は、自分が強者だと思っているのか?」

「まさか! だけどあたしはまだまだ強くなれる……そういう確信がある」

 確信―――それは刀だ。あれほどの長物を手足のごとく扱い、あれほどの斬撃を繰り出せた! それに手に馴染んだあの感触……今までの剣とは違う。あれは自分に合う。そしてこれ以上なく力を引き出してくれるはずだ。

「親父……あたしをどうしたいんだ。シロモリを継がせるのか、継がせないのか。出ていったあたしを連れ戻して、どうさせたいんだ。はっきりしてくれないから、自分なりに強くなるしかないじゃないか! あたしは力が欲しいんだ……『シロモリの娘』なんてハッタリ抜きで通せる実力が欲しいんだ」

「何故―――?」

「……一人前にならなきゃ、誰にも頼られないだろ」

「貴様に他人の世話など十年早い」

 ガンッ―――!! 

 床に剣を突き立てた! 板張りの床が鉄で補強された鞘で割れる。

「もういい…! あたしはあたしで、勝手にさせてもらう」

 ぎちりと奥歯を噛み、父を睨みつけたのだった。







「え? 従軍に参加したい?」

 酒さえ入らなければ愛称の通りクールなクリスチーナが眉を顰めた。

 いくらシロモリの名を使ったところで、軍上層部にまで小娘のわがままが通るわけではない。相談できる知り合いで一番上の階級の士官はクーラさんしかいない。昨日の今日で気が引けたが、クーラさんの部屋をノックした。昨晩酔った姿が幻だったように凛とした表情だ。今さら気付いたが、少しだけ化粧しているようだ。薄くルージュを引いている…。

 昨晩は、あの唇と……

「どうかした?」

「いっ、いえ、何でも…」

 何を思い出しているんだ私は! 今はそんなこと考えている場合じゃない!

 そんな胸の内を知らず、クリスチーナはあきれ顔で溜め息をついた。

「どうして急にそんなことを言い出すの? できると思っている?」

「…いいえ。興味本位で言っているわけでもないです。ただ、あたしは一日も早く力を付けたくて……何でもやりたいんです」

「……もう少し賢いコかと思ってたけど」

 クリスチーナがじっと見詰めてくる。その美しい眼差しに威圧的なものを感じ、アケミはまっすぐ見返すことができない。

「…手がないこともないけれど」

「本当ですか!?」

「正式にシロモリ家の名代になる」

「あぁ…」

現実的だが、一番無理なことだ…。

「あなたが正式に後継者となれば、軍として受諾もしましょう。でも、実際にはどう? あなたにはまだ早い」

「足手まといにはなりません! 隊としての行動の仕方も学んでいます! その辺の新兵よりは余程使えるはずです!」

「そんなことを言っているからよ」

 クリスチーナの声が一際冷たくなる。背筋に冷たいものを感じるほどに。

「普段から一緒に訓練している人間とぽっと入ってきた人間、どっちが信頼できる? 確かに剣の腕は立つわ。すごい才能を持っている。でも、だからこそ兵があなたと連携をとれるかしら? かといって上級兵士と組ませるには圧倒的に経験値が足りない……どっちつかずなのよ、結局。『新兵より使える』だなんて、あなたの後輩たちに恥ずかしくないの?」

 ―――胸に刺さる一言だった。

「…………すみません……」

 これ以上は何も言えない……言う資格はない。

 クリスチーナはもう一度溜め息を吐くと、今度はやさしく笑った。

「何を焦っているのか知らないけれど、できることからやりなさい。『その時』には手を貸してあげるわ」

 頭を撫でられ、情けなさで泣きそうになった。

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