第2話


「おらァ、どうしたぁ! 次!」

「も、もう勘弁して下さいよぉ、アケミ先輩…」

 木剣を肩に担いで仁王立ちするアケミ。その足元は死屍累々といった有様で、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。実際、アケミの相手をさせられていた者たちは地獄を見たわけだが。

 ここはエレステルに五つある大隊の中の第二大隊駐屯地。その中の兵士訓練施設「第二兵士養成所」である。エレステルは三国と隣接し、東のイオンハブスとは兄弟国であるが、その他二国とは常に微妙な緊張状態にある。また、歴史的に見てもエレステルは軍事国家であり、大規模な戦争こそ行っていないが、兵士の練度の高さは諸国でも高い評価を受ける。その要因の一つがこの養成所だ。

 養成所は新兵から下士官程度までの、現在任務を受けていない・もしくは待機中の兵士の宿舎兼訓練所になっている。その訓練内容は過酷である。基本となる剣技の他に、さらにもう一つ別の武器の扱いをマスターしなければ正規兵として認められない。それによって多様なエキスパートを生み、個々の戦闘力を高めると同時に、チームに混同されることで弱点のない部隊を生むのが狙いだ。

 そして今、アケミの前で呻いている連中は、練習生から新兵までの、主にアケミの元後輩たちである。ただし後輩で若輩とはいっても、中には実力を秘めた金の卵がゴロゴロいる。男でも女でもなく、強い戦士こそ誉れであるエレステル国民の特性とも言える。その血には誇り高い戦士の魂が溢れているのだ。

 しかし、アケミはその上を行っていた。背が高く、手足の長い恵まれた体格もあったが、何より天性の才能と勘の良さが際立っている。アケミの足元で悲鳴を上げている少女・ミリムはアケミより一つだけ年下だが、何も知らない人間が見れば、ベテランが新人をあしらっているようにしか見えなかっただろう。それほどアケミは何もかも圧倒的だった。

 ちなみに、なぜ〝元〟後輩かというと、アケミが一時期軍に志願兵として入隊したことがあったからだ。最初は「名高きシロモリのお嬢様の気まぐれ」と陰口を叩かれたが、三日後には笑うものはいなくなった。親の七光りではないことを、多くの者が身を持って知ったからだ。それに何より、全く着飾らず、どこか無遠慮で、そのくせ人懐っこい性格は、アクの強いキャラクターが多いエレステルの軍内でよく馴染んだ。トントン拍子で正規兵に成りかけたが、内緒で在籍していたのが親にバレて三週間で退役。しかしその縁で「出稽古」と称しては今日のように養成所で剣を振りまわすのである―――。

「何なんだミリム、久しぶりなのに全然力付いてないぞ」

「心が折れるようなこと言わないでくださいよ先輩……今日荒れてません?」

「別に……。ほらぁ、もう相手できるヤツはいないのか!?」

 アケミが声を張り上げて呼びかけるが、転がっている面々は泥まみれ汗まみれで息も絶え絶え、返事はない。

 やれやれと肩をすくめたアケミは、目線を外側の野次馬に移した。見物していた年長者たち―――小隊長以上の戦士たちである。

「どうですか? あたしと一本やりません?」

「いやー、俺たちは…なぁ?」

 皆一様に笑って相手にしない。わかっている……負けることを恐れているのだ。新兵に比べればさすがの実力者ばかりだが、アケミが本気になればどう勝負が転がるかわかったものではない。そして負ければ当然面子にかかわる。普段ならその辺を汲んで先輩方を立てるのだが、今日のアケミはそんな気にはなれない。かといって挑発して闘わせるのも駄々をこねているようだし……

…そうだ。

「どうです? 私に勝ったら、一晩付き合ってあげますよ」

 そう言って襟元のボタンを一つ外してみせた。途端に谷間が覗く胸元に視線が釘付けになる。男に媚びるつもりはないが、フラフラと惑わせることに悪い気はしない。

「ほら、早い者勝ちですよ? 誰も相手してくんないんですかぁ?」

 気だるそうに後ろ髪を掻き上げてみせた。ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた気がする。

「お、おい…」

「いや止めとけって、シロモリ家の娘だぞ!?」

「でもこれは同意の上だろ? 跡取りに男はいねぇし、もしかしたら逆玉かもだぜ?」

「よし、じゃあ俺が―――」

「待てよ、こっちが先だ――」

 男達がざわめきながら獲物を手に取り始めたその時―――

「こらこら、子供相手に何をむきになっているのかしら」

 穏やか明瞭でありながら、ドキッとしてしまう女性らしい声音。

すらりと立つその人は、クリスチーナ=ガーネット。通称・クーラさん。軍から支給された服を着ていなければ場違いに感じられるほどの美人である。女性らしい気品と気遣い、明晰な頭脳を持ちながら、その上強い。階級は中隊長補佐で、この第二養成所にいるほとんどの兵士の上官にあたる。泥臭い兵士宿舎において、まさしく高嶺の花とも言えるような存在だった。アケミとは違う本物の大人の女性だ。彼女が一声かければ、沸き立っていた男達はピタリと止まった。

「子供を連れ込んだら、たとえ個室を与えられた上級士官でも逮捕されるわよ」

「えぇ? あれ……アケミって、歳いくつだっけ?」

 マズい…。プイ、とそっぽ向いて無視しようとしたら、外野と化していたはずのミリムが余計な口を挟んできた。

「先輩、私より一つ上です。十八…あ、誕生日来月だからまだ十七ですよ」

「えええっ!?」

 男達は一斉に驚きの声を上げ、

「マジかよ…」

「だってなぁ」

「あのエロい身体で…」

「どうやってあのケツになったんだ?」

 今度は好き放題言う。元々誘惑したのはこっちだが、少しは慎め。

「自分の鬱憤を晴らすために男を誘うなんていけないコね。出入りは暗黙の了解で認めているとはいえ、部外者が好き放題していいわけじゃないのよ?」

 クーラさんが微笑を浮かべながら諭す。しかし出るとこまで出てしまった……というか、色々際どいことしてしまった手前、子供扱いされて素直には引けなかった。

 それに……これはチャンスでもある。

「じゃあクーラさんが相手してくださいよ。それなら問題ないでしょ」

 木刀の切っ先を付きつける。クリスチーナは小さく溜め息を吐いた。

「大分溜まっているようね…」

 脇にいた訓練兵に指先で合図する。渡されたのはクーラさんの背丈よりやや短い棒―――「槍」だ。クリスチーナ=ガーネットは槍使いなのである。

 アケミはシロモリの特権を(というか家名を)使ってあらゆる武器のエキスパートに勝負を申し込んでいたが、クリスチーナとは未だに戦ったことがない。一度だけ対戦しているところを見たことはあるが、若い女性ながらに並々ならぬ実力者だとその時知った。この勝負は待ち望んでいたことなのだ。

じりじりと、闘争心に火が点いてきた……!

「適当に相手しようとか思わないでくださいよ。あたし、それなりに強いですから」

「そう…」

 意気込んで見せてもクリスチーナはゆるりと構えるだけだ。

 いや―――

「……負けたら一晩付き合うのよね?」

「え?」

「私が、女にしてあげる」

「なっ…!?」

 周囲が大きくどよめく。

 先程自分で言ったことは棚上げ!? というか、どういう意味!? 疑問と動揺で頭がもやもやするが、全てはクリスチーナ中隊長補佐の妖しい微笑みに呑みこまれてしまった。




 ミオはオウル工房に向かう途中、工房から出てくる父を見つけて、道の脇の木陰に身を隠した。

(どうしてここへ……?)

 別におかしなことではない。むしろ工房へ出向いての武器研究が仕事であるし、親方とは個人的な付き合いもある。しかし父の表情はどこか渋い……。

 父が十分に過ぎ去ったのを確認すると、ミオはすぐに工房に飛び込んだ。ちょうどミーシャと鉢合わせる。

「こんにちは」

「おう、今度はミオちゃんか。何なんだ今日は……つっても、ミオちゃんは日課だもんなぁ」

「あの、今父が来ていましたよね?」

「うん? あー、大丈夫だって。秘密の特訓は、ちゃんと秘密にしてるから。ウチの親父もさ」

「そうですか…」

 ほっと胸を撫で下ろす。別に悪いことをしているわけではない。ちゃんと学校で学び、家での訓練もこなし、その合間の時間でやっていることだ。しかしどうしても家族に知られるのは嫌なのである。理由は自分でもよくわからない。

「おぉい、ミーシャあ!」

 工房の方から親方の怒鳴り声が聞こえてくる。

「うわおぅ…悪い、ちょっと忙しいんだ」

「いえ、こちらこそお邪魔しました。裏、お借りします」

「ほいよー……………あ」

 工房裏の武器庫前に来て、ミオは目を疑った。標的代わりに立ててもらっていた丸太が、綺麗に胴切りにされていたのである。

 一体どうして? どうやって? いや、それより誰が―――

「ゴメン、悪い! ちょっと今日マトないんだけど、いっかな?」

 追いかけてきたミーシャが手を合わせて謝るが、そんなことはいい。

「これ……何でこうなったんですか?」

「朝っぱらからアケミが来てさぁ、試し斬りしたらこんなザマになっちゃってねぇ」

「姉さまが!? 一体、どうやって…」

「んん、あー……言っちゃっていいのかな、さっきガンジョウさんにも話してたみたいだし。刀使ったんだよ。ホントは使っちゃダメみたいだったんだけど、アイツ何か機嫌悪くてさ」

「刀……」

 ミーシャの声は聞こえてこない……いつの間にかいなくなっていた。

 倒れた丸太の前で一人佇み、ミオは想像する。どんな刀かは聞いていないが、姉の性格からして大ぶりなものだろう。そしてこの横なぎの切り口からすると、おそらく「居合い」だ。父のを見て、いつかやってみたいと言っていた。

 しかし……しかしだ! やってみたかったからといって、片手で大ぶりな剣が扱えるからといって、こんなことができるか!? 私が何度ナイフを打ち付けてもびくともしなかった丸太を、憂さ晴らしで―――!!

「くそぅっ!!」

 血が出そうなほど拳を握りしめた。きっと父はこの丸太を見たのだろう。そして確認したはずだ。私と姉の、埋められない差を―――……。



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