アルタナ外伝 ~朱に染まる~
MASH
第1話
そこがどこだったのか。
昼なのか夜なのか、明るかったのか暗かったのかも思い出せない。ただ、眩しい笑顔だけが脳裏に焼き付いていた。
「…………」
薄く眼を開く。そのまま気だるく起き上がると、つい今しがた見ていた夢の中の笑顔はうすぼんやりと擦れてしまった。思い出そうとして代わりに出てきたのは、美しくも厳しい現在の表情―――。
「…昔は可愛かったんだよな、あたしと違って…」
対して自分は昔も、そして今もまだ捻くれたままだ。
頭を掻きながらしばらくぼうっとしていると、ドアがノックされる。
「姉さま、起きてらっしゃいますか。朝食の準備ができました」
朝っぱらからぶすっとした不機嫌そうな声。ミオだ。いつものことながらやれやれと溜め息を吐き、伸びをする。
面倒だったが、朝食の席にはつかねばならない。我が家のルールである。
手早く着替え、洗面所で顔を洗う。髪は肩に着くまで伸びてしまったが、直毛で絡まらないから手櫛でいい。
食卓にはすでに父・母・妹が席に着いていた。
「おはようございます」
口だけで挨拶し、座る。席は父・ガンジョウの右、妹・ミオの左、母・ロマリーの正面。一番上座に座る父から数えて二番目の席は、年功序列というだけでなく、家督を継ぐ順番でもある。武家でありながら後継ぎの男はおらず、姉妹のみ。いずれは結婚して婿養子をとるという流れなのだろうが、自分にはそんなつもりはない。十七歳が結婚するのに早いか遅いかはともかく……とにかくその気がなかった。
家政婦のシャロンさんがテーブルの上に膳を並べていく。いつもどおり美味しそうなのだが、匂いを嗅いだ瞬間、思わず口に手を当てた。
「どうしたの、アケミ」
「あ、いえ…なんでも」
マズい……ちょっと気持ち悪い。
「もう酒の味を覚えおったか」
父があっさりと看破する。こういうときの親父殿の洞察力は神がかっている。昨晩遅くに帰ってから、こっそり風呂に入ったはずだが。
案の定、母にはいい顔をされず、ミオの視線が刺さる。
「最近帰りが遅いけれど、悪い人と付き合っていないでしょうね」
「そんな、母さま…養成所の連中ですよ。みんな父さまを慕っている人間ばかりですから、私にも良くしてくださいます」
「問題は姉さまの方じゃないんですか」
ミオが口を挟んできて、内心舌打ちする。どうも最近突っかかってくることが多い。ついこの間までは姉さま姉さまと、小さい成りで鬱陶しいくらい後をついてきていたのに。
無理やり朝食を掻き込み、早々に席を立つ。
「どこへ行く」
「工房です。剣を見せてもらう約束なので」
そう言い残してさっさとその場を後にした。最近この家は、居心地が悪い。
工房へ行くと言ったのは方便だったが、特に行くあてもなく、アリバイ作りの意味も込めて結局向かう事にした。オウル工房は刀剣を中心に製作している武具工房である。古くは移民であったシロモリ家――つまり自分の家と代々付き合いがある。
「おう、どうした。お遣いか?」
軒先でタバコをふかしながら声をかけてきたのはマクベス=オウル親方。オウル工房の主で、気のいい頑固おやじだ。ちなみに父と同じ歳で、性格は全然違うが仲がいいらしい。
「ちょっとヒマつぶし……」
「ああん?」
「いや、勉強に。何か適当に武器見せてもらっていい?」
「おう。あー、ミーシャ」
間口から息子を呼ぶが、返事はない。
「アイツ、裏かな…その辺にいやがるだろうから、適当に使ってやってくれい」
「今いいの?」
「ちょうど一段落したところだから、かまわねぇよ」
幼いころから家ぐるみの付き合いであれば、勝手知ったるなんとやら、だ。工房の裏は住居になっていて、さらに奥は森になっている。鍛治に薪は必須なため、他の鍛冶場も山林に接していることがほとんどだ。
ミーシャはその森に入る手前の木陰にボロいベンチを出して、煤だらけの格好でだらしなく寝ていた。ここはミーシャのお気に入りの場所である。
「ミーシャ」
ベンチの脚を蹴って揺らすが、全く起きる気配がない。子供のころから一度眠ると起きない質なのは知っている。が、必ず起きる方法も知っている。
そっと、腰の剣の鯉口を切る―――
「―――っ!?」
跳ね起きた! 鍔鳴りの音に反応するのだ。武器屋の血か、性(さが)か。本人は呪いだと言っているが。
「なんだっ、おまえっ…来てたのか!? 怖いことすんなよ!」
「文句言うな。チューしても起きなかったくせに」
「え…マジ?」
「寝ぼけんな。そんなわけあるか」
もう一度ベンチを蹴って立たせた。
「何だよ、ったく…朝イチのを打ち終えたばかりだってのに。俺は忙しいんだよ」
「武器庫開けてくれ。オヤジさんに許可貰ったから」
「えー、面倒くせぇなー…」
武器庫は厳重に管理されている。なんせ石壁の内側に鉄板が貼り付けられているほどで、扉も厚い鉄扉である。ミーシャがゴツい南京錠を外してドアを開くと、暗がりの中でなおその威力を示すように煌めく武器が浮かび上がってくる。アケミは躊躇なく踏み込んだ。
「おい…」
「わかってる。右奥のやつだけだろ」
様々な武器が並ぶ中、右奥のスペースにあるもののみ使う事が許されている。とはいえ、多種多様。中にはおおよそ武器と呼べないような奇形のものも存在する。
「剣、気に入らなかったか?」
漁り始めると、後ろのミーシャが渋い顔で聞いてくる。今腰に下げているロングソードの刀身はマクベス作だが、仕上げと調整はミーシャが行ったのだ。
「んー、いや……なんか、別のやつ」
「あ、お前いよいよ軍に入るの? 近衛兵になるのか?」
「は? 何の話だ」
「剣の他にもう一つ武器が使えないと軍に入れないだろ? お前、剣一辺倒みたいだし」
「違う…どっから近衛兵になるって話になるんだよ」
「だってお前…………王様、いよいよご容体が悪いらしいじゃん」
小声になるミーシャ。アケミは手を止めた。
「だからお前、王位を継ぐバレーナ様のために軍に入るんじゃ…」
「…関係ないだろ、そんなこと」
「関係ないことないだろ! 俺はてっきり―――」
「頼まれてない。頼まれたら考えてやる」
「偉そうだなぁ、王女様相手に……トイレ行ってくる」
「鍵を渡せ、閉めておくから。お前長いし」
「……勝手に持ち出したりすんなよ」
ミーシャから鍵を奪うように取り上げ、物色を再開する。しかしどれも見慣れたもので、一度は使ったことのあるものばかりだ。
とりあえず三分の一は無視する。自分には短剣のようなチマチマしたものは合わない。使うなら膂力のいる大弓か、槍か……
「斧槍とかもいいか………ん?」
並べられた槍の奥、隠すように違うものが立てかけてあった。黒光りする漆を塗られ、鍔は付いていないが独特の装飾。真っ直ぐで歪みのない槍の隙間にあるために、それが反っているのがよくわかる。
これは刀だ。おそろしく長い、刀―――。
刀は剣と違い、刀身の片側にしか刃がなく、反りがあって、何より鋭い。シロモリの祖先がこの国に流れ着いた時に持ち込んだ武器だ。以来、この武器も研究されてきたはずなのだが、なぜか使い手は少なく、もっぱらシロモリ一族専用武器のようになっている。
その理由もわかる気がする。抜き見の刀を何度か見たことがある。通常の剣とは違う肯定で造られた刀身は美しかったが、剣を覚えていくうちにその細さが脆そうに感じられてどうも好きになれなかった。
しかしこの刀はどうだろうか…。腰のロングソードより、これまで見たどの剣よりも長い。刀身だけで90センチをゆうに超えている。これほどのものであれば、さすがに振り回すのは一筋縄ではいかないだろう……。
「…おもしろい」
手に取ると吸い付くように馴染む。しかし想像以上に重い。どうやら鞘は樫でできているらしい。おそらく鞘だけでも標準的な木剣よりも重量がある……。
いよいよ興味がわいてきた。どうして今までこれに気付かなかったのだろうか? 己の盲目さ加減に呆れてしまう。
外に出ると、武器庫の裏手に傷だらけの丸太が一本立っている事に気付いた。今までなかったはずだが、試し斬りに使っているのだろうか。埋められて固定され、高さも幹の太さもちょうど大人の男くらいだ。
「フン…」
腰の剣を置き、刀を抜く。かなりの長物だが、特に問題なく、心地よく抜けた。この反りのせいだろうか? するりと、まるで独りでに抜けたような気さえする。
剥き身になった刀は陽光を浴び、妖しいほどに煌めいた。刃こぼれなく、研ぎたてのようだ。それを確認して一度納め、腰に構える。真正面に丸太を見据え、波が押しては返すがごとく息を吸い、吐き……――――一気に抜き放った!
「―――……! これは……」
掌に返ってきた感触に息を呑んだ。
丸太は綺麗に胴切りにされて転がっている。その気になればいつもの剣でも同じことができただろう。しかしそれは「叩き斬った」結果であって、今のような「斬り飛ばした」ようには決してならない。全く抵抗なく…いや、抵抗はあったのだが、武器に込めた力が、無駄なく、そのまま突き抜けた感じだ。
率直に、気持ちいい…!
「何だ今の音…って、うわっ――お前、何やって…何やった!?」
戻ってきたミーシャが呆然としている。
「悪い、何か斬れた」
「何かって…それ、使ったのか!?」
「……ん? これ…」
すぐに納刀し、ミーシャに押し付けるように返す。
「もしかして……まずかった? ウチ用だろ、刀だし…」
「注文品だよ!」
ミーシャが声を荒げる―――ただし、声量は抑えて。親方に知られたらコトだ!
「何でだよ!? シロモリスペースにあったぞ!?」
「長すぎるから置き場がなかったんだよ! ちゃんと分けて棚の裏に置いてただろ!」
「あんなすぐ見つかるとこに置いてたら間違えるっての!」
「すぐに見つからねぇよ! あああ…どうすんだよ、刃こぼれしてたりしたらマジでシャレになんねぇぞ……オヤジ、どうかしてるってくらいマジで打ちこんでたからな……」
「そ…そうなの?」
どうしよう…。どう言い訳しようか考えようとしたが、一向に浮かばない。というか、すでに遅かった。
「どうしたぁ……む」
親方だ! ミーシャが子供のころからの癖で慌てて後ろに隠すが、バカ長い刀が隠せるはずもない。親方は、刀と輪切りの丸太とマヌケな二人の表情を見て、あっという間に察してしまった。どしどしと足を踏みならして近づいてくると、まずは一発、ミーシャの頭に鉄拳を食らわせた。普段から重い金槌を振っている親方の腕から繰り出される拳は、めちゃくちゃ重くて痛いらしい。アケミはあくまで女子ということで殴られたことはない、だが―――
「ばかやろうがぁっ!」
この叱り声だけは幼少期から刷り込まれた恐怖がある。ある意味、ウチの親父殿以上に畏怖する人がこの親方なのだ。
「どうしてこれを出しやがった!!」
「だ、出したのはアケミだよ! アケミが勝手にっ…」
「それを黙って見てたってかぁ!?」
「い、いや、トイレ行ってた…」
「何のためにテメェに鍵預けてんだ、意味ねぇじゃねぇかスカタンがっ!」
親方がまた拳を振り上げるとミーシャはひぃっと後ずさる。親方は殴らず、今度はこちらに厳しい目を向けた。内心焦ったが、ミーシャとは違う。上手く切り抜けるしたたかさがある……と、思っていたのだが。
「アケミちゃんよ。商品を使ったのは管理しなかったこのバカヤロウのミスだ、それについては何も言わねぇ。しかし、だ。刀を使っていいって、お父ちゃんの許可は取ったのかい?」
「………いや…」
「ルール違反はいけねぇな。お父ちゃんの許可が出るまでウチの出入りは禁止だ」
「なっ…!?」
「帰ってくんな」
まさかの展開になった。幼少のころからそんなことを言われたことはない。苦々しく歯噛みしながら、工房を後にした。
立ち去るアケミの背中に小さく溜め息を吐き、マクベスは刀を半分抜いて刀身を確かめる。
「おい、どうだった」
「え、何が?」
ミーシャがポカンと返してきて、今度は大きく嘆息する。
「あのコが刀使ってたときだよ!」
「や、見てなかった」
「お前なぁ…」
「ンなこと言われても、ちょうど振り切った後だったし、その後すぐに俺に押し付けてきたし……」
「…鞘に納めてか?」
「うん? あ……そう言えば、普通に納刀してたな。いくらアイツが女にしてはデカいって言っても、俺が抜けないのに……」
「…そうか」
細かく擦れた跡はあったが、刃こぼれはない。マクベスは再び刀を納め、唸った。
シロモリ家は古くは流れ着いた移民だったが、抜きんでた武力を王に認められ、国の武術師範となった。以来、あらゆる戦術・戦略を提供し、エレステルを外界の侵略から守るため、陰ながら支えてきた。その五代目・ガンジョウ=シロモリの長女であるアケミは、少女ながらも先天的な才能と生まれ持った体躯に恵まれており、一部での評価は高い。しかし、将来への期待はそれほどでもなかった。理由は二つある。一つは奔放すぎるその性格。もう一つは、少女の域を超えた美貌ゆえであった。
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