第6話

 高校の卒業式はあっけなく終わった。私は優良生徒として表彰され、万年筆をもらった。自分の役目を果たしたような晴れやかな気持ちになった。真面目な生徒として過ごした日々が評価されたのは嬉しかった。


最後の学活を終えて別れを惜しむ友人たちを残したまま私は一人職員室へ向かうと、何人かの見知った教師に挨拶をして回った。これが最後だと思うと思い切った言葉も飛び交う。もっと早くにほんとうの言葉を交わすことができたなら、違う感情も芽生えたのかもしれない。先生さようなら、どうかお元気で。


 教室に戻るともう誰もいなかった。私は自分の席に座ると、机に広げておいたアルバムに、友人たちが寄せたメッセージに目をやる。見慣れた友人の文字が縦横無尽に流れてゆく。落書きのようなイラストさえも描き手の顔が浮かぶ。アルバムを閉じると、通いなれた教室でただひとり息を深く吸い込んだ。起立、礼、さようなら。私は電気を消して教室の戸をしめた。


 校門のあたりで音楽教師が顔を押さえながらこちらへ向かってくるのが見えた。彼女は隣のクラスの担任だったから、生徒たちを駅まで見送ってきたのだろう。涙を拭う彼女は一人で帰る卒業生に気づくと微笑んで優しく抱きしめながら「卒業おめでとう」と言った。私は彼女の指導のもとで一年間ブラスバンド部に所属していたのだけれど、受験を理由に辞めてしまった。教師はそれを覚えていて「あなたは木管パートで初日から音を出したわよね、もっと続けてほしかったけれど…」と涙声で言うので驚いた。何百人といる生徒のそんな些細なエピソードまで記憶しているとは思わなかった。私という人間が誰かの世界で形を持つのがうれしかった。教師に礼をして、私はまたひとり歩き出した。本当はトロンボーンを吹きたかったことを最後まで言い出せなかった。先生さようなら、どうかお元気で。


 校舎へと戻る教師の後ろ姿は繊細で美しかった。その背中を眺めながら、私は小学校の担任の言葉を思い出していた。高校のともだちが今でも一番のともだち。呪いの言葉はここで燃え尽きた。私はその灰を踏みしめるようにただひとり歩きはじめた。

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