第18話
目が覚めた。今度は森ではなかった。
どうやら俺はベッドに寝ているようだった。
視界には真っ白な天井と蛍光灯が見えた。
しばらく記憶を辿ってみた。俺は漁港の岸壁から車をジャンプさせたのだ。
目の前には海ではなく暗闇が見えただけだったが、確かに海に飛び込んだはずだ。
助手席には玲子がいた。そうだ、彼女はどうしたのだろう?
「目が覚めたのね」
その声は玉ちゃんだった。
「よかった」ともうひとりの女性の声がした。
首を少しだけ動かしてみると、幸子さんもベッドの傍に立っていた。
「無理に起きんで寝とれ」としわがれた声が聞こえた。父だった。
「本当にどうしたん、あんた」と涙声が聞こえた。母だった。
「ここはどこの病院?」
「昨日は四日市の救急病院じゃったが、さっき大阪の日赤に移したんじゃ。お前、何しよんぞ?こがいなこと仕出かして、いったいどうするんね?困ったことがあったら、何でも遠慮せんと言えばよかろうが」
親父がめずらしく怒った顔で言った。当然だなと俺は思った。
「俺、どうなったんだ?」
「どうなったも何も、車の中にあった書類を見て警察から事務所に電話がかかってきて、幸子さんから私にも連絡がきたの。実家には警察から連絡が入ったんだって」
玉ちゃんまでもが怒った顔で言った。
幸子さんはその横で涙ぐんでいた。
「俺の車、海に沈んだんだろ?」
「沈まなかったから助かったんじゃない。地元の漁業の方たちが出漁の準備をしていたら、近くで大きな音がして車が海に飛び込むのに気づいて、すぐに消防署とかに連絡したんだって」
玉ちゃんが説明した。俺の頭は混乱した。
確かに車をジャンプさせた。だが睡眠薬で朦朧としたまま飛んだので、すぐに意識が消えたことは覚えている。
玲子はどうなったのだ?
「助手席に女性がいたはずだが・・・彼女はどうなった?」
「女性?」
「お前、何寝たぼけたことを言いよんぞ。そんな人おらん」
親父が呆れた顔で言った。
「粂井さん、夢でも見てたの?ひとりだけだよ、ひとりで睡眠薬飲んで海に飛び込んだんでしょ?どうしてそんなことをしたのか、退院してからキチンと玉子に説明してね」
玉ちゃんはまるで俺の恋人みたいに怒りながら言った。
ともかく俺は無傷ですぐに退院できそうとのことだった。
そして助手席には誰もいなかったと、助けてくれた漁港の方たちも警察に証言していたらしい。
俺の頭の中は混乱に陥ってしまった。
朦朧としたこころの状態からようやく車に身体を滑り込ませたあの夜のことを、もう一度最初から分析しなければ、今のこの状況を理解できなかった。
二日後、俺は退院した。
その間、事情聴取のために警察官がふたり現れ、自殺行為に至った経緯と理由などを聞かれた。
玲子という女性を乗せて名神高速道路から漁港へ到着するまでの経緯を細かく説明し、彼女が助手席にいたはずだと主張しても、追い詰められた心理からの妄想だとまったく取り合ってもらえなかった。
睡眠薬の袋とペットボトルが車に残っていなかったかの確認と、それにはきっと彼女の指紋もついているはずだと主張したが、いずれも無視された。
「漁港の方たちもそんな人はいなかったと言っている。海底や付近を念のため捜索してみたが、その女性の存在を示すものは何一つ見当たらなかったんだ。
あんたは睡眠薬の影響で幻覚を見ていたんだろう。よくあることなんだよ」
警察官は俺の訴えをとり合おうとしないばかりか、憐れみの目さえ向けてきた。
彼らのあまりの堂々振りに、俺は自分の主張が揺らぎそうになった。
だが、最後に玲子と交わした深く長いキスの感触が、確かに俺の唇に残っていたし、朦朧とする意識の中で彼女の手を握ったとき、軽くではあったが握り返してきた手の感触も消えてはいなかった。
俺が助け出される前に玲子は脱出したのだろうか?
それなら漁港の人たちが気づいているはずである。
俺はあの夜の記憶を辿れば辿るほど、途中から果たして記憶が確かなのか不確かなのかが分からなくなってしまった。
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