第17話


 目が覚めた。俺は深い森の中にいた。


 見上げると、生い茂る針葉樹の隙間から陽光がいくつもの直線となって注いでいた。


 周りには道と呼べるものは見当たらないが、ジャングルのように天も地も隙間がないほど濡れた緑で覆われている森ではない。

 森でありながらも仄かな暖かさを感じる、まるで森林公園のようにも思えた。


 少し湿った草の上に立っている自分の足元を見て、ここが「海の底」ではないことをようやく認識した。

 玲子の姿が見えないが、どこへ行ったのだろう。


 ここは天国の森なのか、俺はしばらく周りを見渡し、それから光が降り注いでいる方向へ歩いた。

 すぐに大きな池が見えた。


 ため池のような小さな池ではなく、遥か彼方まで永遠に続く光の池のようであったが、明らかに海とは違っていた。


 ふと視線を右に移すと、少し離れた池の畔に明香が立っていた。

 どうやら俺は死ねたようだ。


 明香の姿を見て、嬉しさと懐かしさと安堵とが入り混じった大量の感情が一気に寄せてきて、俺は踊るような気持ちで駆け寄った。


 明香は昔出会ったころによく見せた純粋な微笑を浮かべて、近づく俺の姿をじっと見ていた。

 明香の前に立つと、彼女はそれまで微笑んでいた表情から、眉間に少し皺を作って困ったような顔に変わった。


「やっと君の元にたどり着いたよ」


 俺はそう言って明香の身体を抱き締めようとした。だが一瞬で彼女の姿は消えた。


「まだ来たらアカンって、アンタはどうしようもない人やね」


 その声に振り向くといつの間にかうしろに明香が立っていた。

 彼女の声は木霊のように響き、まるで森全体からその言葉が聞こえてきたようだった。


「何だって?」


「アンタはせなアカンことがまだまだいっぱい残ってるやないの。アンタを頼りにしてる人もいるみたいやから戻ったげな。アンタが私に懺悔したいって強く思い続けてたのは、ずっと前から分かってたよ。そやから私、もう怒ってないから安心して。

 言うてるだけやと思ってたら本気みたいやったから慌てたわ、ホンマに困った人やわ。自分のことしか考えへんのは相変わらずやね。それとアンタ、女の人とエッチするのは別にかまわへんけど、あんまり調子に乗らんとき」


「なぜそんなふうに言うんだ、明香」


「私の言うことをちゃんと聞いてや」


「そんなに怒らないで」


「怒ってへんよ、ここに来たら怒るっていう感情はないのよ。もうええから、帰りなさい。アンタが自然に私の元に来てくれるその日まで、ずっとずっといつまでも待ってるから。そやから安心して戻りなさい。もうこんなことはやめてな。一回しか私も助けてあげられへんのやから、絶対にやめてな」


「一回って、どういうことなんだ?」


「もう二度と自殺なんかしたらアカンで、しっかりしいや、アンタ。でもともかくありがとう、さよなら」


 明香は再び一瞬で消えた。俺は周りを見渡した。


 シンとした音が森全体に木霊のように流れていた。

 シンシンシンシンシン・・・森全体に鳥や虫の音ひとつも聴こえなかった。


 降り立った元の位置まで駆け戻り、そこからもう一度光の海に向かって走りながら明香の姿を探してみたが、どこにも彼女の姿は見えず、どんな優れた照明器具も比較にならないほどの強い光だけが森の天井から差し込んでいた。


 焦りと不安とに襲われ始めたそのとき、頭上がさらに光り輝き、見上げると森を覆っている針葉樹の隙間から明香の姿が見えた。

 明香は眩しい光の中に浮かび、微笑みながら俺を見おろしていた。


「見守っているから安心しなさい。しっかりせんと許さへんからね」


 森全体に響き渡る木霊がそう言った。

 それから明香の姿は次第に小さくなり、そして消えた。


「明香、俺も連れて行ってくれ!」


 涙が一気に溢れ出てきた。


「しっかりしなさい。私はいつまでも待っているから」


 明香の声が再び響いた。


 俺は子供のように声を上げて泣きじゃくり、涙で森が見えなくなってしまった。

 そして明香の姿はもう現れなかった。意識が再び消えた。

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