第15話


 玉ちゃんと俺は店を出て夏の夜の梅田の街を歩いた。

 夜九時を過ぎても暑さは一向に落ち着かず、涼を求めるサラリーマンやOLで賑わっていた。


「玉ちゃん、家の近くまで送っていこうか?」


「いいの、今夜は粂井さんの部屋に泊まるから」


「じゃあ、大阪駅まで一緒にいこう」


 俺は玉ちゃんの肩に腕を回して歩いた。

 だが、彼女は俺の腕を振り払って立ち止まり、そして怒りを含んだ声で叫んだ。


「子ども扱いしないで。私はもうおとななんだからね!」


 玉ちゃんは涙混じりの目で俺の目を睨みつけた。

 彼女の声の大きさに驚いて、歩行を止めて俺たちの様子を見ている人々が視界に映った。

 よく叫ぶ女の子だと、俺は酔った頭の中でボンヤリと思った。


「分かったよ、玉ちゃん。君の思うとおりにすればいい」


「私はもうおとななんだから、自分の思うように生きるの」


「うん、分かったから。もうそんなに怒らないで」


 彼女にとって、兄の自殺未遂は大きなショックだったに違いない。

 こころがまだ不安定な年頃に、追い討ちをかけるように襲ってきた出来事に彼女は苦悩している。


 俺は何とかして力になってやりたいと思った。でもちょっと遅かった。

 俺はもうすぐ玲子と海の底に沈む。そして明香の元に行く。


 俺の部屋に着いてから、玉ちゃんはすぐにバスルームに入った。

 ふたりでワインを一本飲んだだけなのに俺は酩酊していて、酔いを醒まさないと何もできそうになかった。


 玉ちゃんがシャワーを浴びて出てきたとき、俺はベッドにぐったりしていた。

 彼女は俺に覆いかぶさり、熱い舌が口の中で踊った。

 まだ二十歳なのに、今夜は濃厚なキスをしてきた。


「玉ちゃん、ちょっと待って、シャワーを浴びてくるよ」


 俺は熱めのシャワーを浴びた。だが、酔いは醒めなかった。

 レストランで飲んだワインが身体に合わなかったとしか考えられず、俺は諦めてバスルームを出た。


「玉ちゃん、約束を果たすのは今度にしてくれるかな。今夜は酔っているから駄目だ」


「許さない」


 そう言って玉ちゃんはベッドに座った俺を引き倒し、上に乗ってきた。

 男女が全く逆だなと俺は朦朧とした意識の中で思った。


 俺たちは生まれたままの姿で抱き合った。 彼女の肌は滑るようなキメの細やかさで、抱き合っているだけでどうにかなりそうなくらい興奮した。


 でも俺のものはどんな刺激にもセックスに応じられる状態にはならず、彼女は手と口を使ってまで努力してくれたが、どうにも無理だった。


「どうしたのよ、粂井さん」


「だから無理だって。それより、口でそんなふうにするのをどこで覚えたんだ?」


「バカ、雑誌でしか知らないよ。私、まだ何も知らないんだからね」


 玉ちゃんは怒って背中を見せた。

 俺は後ろからその背中を抱き、豊かな胸を掴んだ。


 振り向いて俺に抱きついてきた玉ちゃんとしっかりと抱き合った。

 妻と別れてから誰ひとりとして俺を愛してくれる女性は現れなかったが、彼女は慕ってくれている。


 俺は彼女をあらゆる外的から守ってやりたいと思ったが、もはや俺には何もできないのだ。

 なぜなら、玲子から「海の底は、どう?」と提案され、俺は同意し、約束を交わしたのだから。



 翌朝、目覚めるとベッドに玉ちゃんの姿はなかった。

 夢を見ていたのかと思ったが、リビングのテーブルの上に置手紙があったから、彼女はキチンと早く起きて仕事に向かったのだ。


「女が思い切っているのに二度も駄目なんて、信じられない人。次に同じことがあったら、私、絶対に許さないから。仕事に行ってきます。相談した件、よろしくお願いします」


 俺は窓の外の福島駅のホームを眺めながら、「ごめん、玉ちゃん、無理なんだよ」と呟いた。


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