第11話
新御堂筋を市内へ向かって車を飛ばした。
携帯電話には玉ちゃんからの着信が残っていた。
事務所に入ったのがすでに午後四時過ぎ、幸子さんが俺の頭の先からつま先まで目を上下させて、驚いた表情をしていた。
昨夜からの玲子との濃厚な情事による疲労感が、もしかすれば全身に漂っていたのか、或いは、すでに死神に取りつかれ始めたのか、彼女はしばらく口をあんぐりとあけたまま俺を見ていた。
「玉ちゃんから電話がありました。携帯に電話しても出ないって。いったいどうしたんですか?」
「ちょっと事情があって出られなかったんだ。玉ちゃんに何かあったのかな?」
俺は幸子さんの目の前で玉ちゃんに電話をかけてみた。
「どうしたの、何度も電話してくれたみたいだけど。今、仕事中じゃないの?」
「仕事なんて、そんなもの、もうどうでもいいのよ。それより大事なお願いがあるの」
どうでもよくなっている人間がもうひとりいた。
玲子、俺、そして玉ちゃんだ。
幸子さんが電話のやり取りに聞き耳を立てているようだった。
俺はこれまで玉ちゃんと何度かふたりで飲んでも、プライベートな話は一切しなかったから、彼女のことを何も知らないに等しい。
だからいったい何が彼女を投げやりな気持ちにさせているのかが、まったく分からなかった。
「頼みって何かな?」
「今度の土曜日か日曜日、どちらでもいいんだけど、ちょっと手伝って欲しいの」
「土日は何も予定なんかないよ。何を手伝えばいいのかな?」
「小さなトラックで柏原市というところから私の家まで、少し荷物を運んで欲しいの」
荷物の量は、いくつかの電化製品と寝具と書籍程度なので、軽トラックで十分間に合うようだった。
俺は了解して電話を切った。
「玉ちゃんが荷物を運んで欲しいらしいんだ。誰のものかよく分からないんだけど」
「粂井さんって優しいんですね」
「さあ、どうかな。それよりお母さんの店で何かおいしいものでも食べて帰ろうか」
俺は彼女の評価をはぐらかした。
その週の土曜日、レンタカーを借りて玉ちゃんが住む淀川区の塚本駅前で午前十時に待った。
大学進学のために愛媛から出てきてから数ヵ月後、この駅から少し離れたところにある機械部品の加工会社でアルバイトをしたことがあるので、この辺りがとても懐かしかった。
あれから二十年も経つのに、駅前の様子はあまり変わっておらず、当時喫茶店だった場所は中華料理店になっていたが、その隣の理髪店も、さらにその隣の写真館も以前と同様に営業を続けていた。
道路の向かいには昔と同様にパチンコ店が二軒あり、そこから淀川の堤防側には野里商店街の入り口が見え、昔とあまり変化がないことに俺はホッとした。
「粂井さん、どうしたの?何度も呼んでいるのに」
「あっ、ごめん、ちょっとボケッとしていて気づかなかったよ。さあ、車に乗って」
玉ちゃんはいつもと違ってジーンズに薄いピンクのシャツを着ていた。
細いジーンズがよりいっそう彼女の足を長く見せていた。
「柏原市って言っていたね」
「うん、兄の寮に行ってほしいの。休みなのにごめんなさい」
「土日は仕事もないし、一日中暇だから全然気にしなくていいよ」
俺は塚本ランプから阪神高速道路に乗り、土曜日でガラ空きの環状線から東大阪線を経て近畿自動車道へと軽トラックを走らせた。
玉ちゃんはしばらく黙ったままだった。
「どうしたんだ、玉ちゃん」
「えっ、どうもしないよ。それよりさっき駅で待ってくれていたとき何を考えていたの?」
「何って、その・・・塚本駅前が二十年近く前とちっとも変わっていないことに感激していたんだよ。学生のころにときどき駅の近くでバイトしていたんだ。古い話だな」
「フーン、粂井さんの学生時代ってどんなだったんだろう」
「そりゃあ、大変だったな。貧しくて、寂しくて、ロマンティックでエキサイティングで、エロティックで、そして切なく辛い日々だった」
「すごく複雑な学生生活だったのね」
玉ちゃんは「アハハハッ」と、ようやく声を出して笑った。
でも彼女はいつもと違って再び黙り込んでしまった。
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