第6話
玲子 三
疾風が通り過ぎたような関係があった矢田玲子へは、あの日以来何度か電話をしてみたが毎回留守番電話だった。
着信履歴が残っているはずだが返信はなかった。
単なる行きずりの関係といえばそうなのだが、先日のことがたびたび鮮烈に蘇った。
玲子の魅力だけでなく、彼女の言葉の裏側に何かがあるような気がして、いったいどんな生活をしている女性なのだろうと興味を持ち始めていた。
電話番号以外何ひとつ知らないが、俺は彼女に何か共通するものを微かに感じていて、日が経つにつれてもう一度会いたい欲望が膨らんでいった。
九月も半ばを過ぎて、夏から秋へと季節が移りゆく気配が街のあちこちで漂い始めた頃、俺は幸子さんが帰ったあと、冷めたコーヒーを飲みながら何気なく玲子に電話をしてみた。
すると意外にも彼女はすぐに出た。
「何度も電話をいただいていたのに、ごめんなさい」
「どこにいるんです?」
「今は自宅なの。明日からお彼岸でしょ。お墓参りに行く準備をしているのよ」
「ご先祖様のお墓参りですか、それは律儀で素晴らしい」
「そうじゃないの、息子のお墓なのよ」
「えっ?」
「ともかく今週はだめなの。そうね・・・来週の金曜日の午後なんかはいかがかしら?」
彼女の言葉の意味を俺はすぐに飲み込めなかった。
息子がいたって不思議ではないが、そういう気配を彼女の身体から感じられなかったし、家庭や家族というものとは無縁の女性に思っていた。
もちろんそれは何の根拠もない俺の勝手な思い込みなのだが、彼女はそういう面倒なものには関わっていない雰囲気を持っていた。
しかし、息子の墓参りと聞いて、俺はそのあとの言葉が出なくなってしまった。
「じゃ、来週金曜日にね」
そう言って玲子は電話を切った。
俺は残りのコーヒーを飲み干し、事務所の明かりを消して兎我野町を抜け、賑やかな堂山町へ出た。
東通り商店街はいつものようにサラリーマンやOL、若者たちで溢れていたが、俺が街金業界へ入ったバブル景気の真っ只中だったころとは、人々の目的に雲泥の差があるように映った。
あのころは北ノ新地や堂山界隈は金に糸目をつけない人々でごった返し、高級ホテルのロビーには、夜になると同伴出勤をするクラブのホステスと客で溢れていた。
その華やかでエロティックな光景は週末だけに及ばずウイークデーも同様の賑わいだった。
あのころに比べて、今は皆が格安の店を求めて彷徨っているように俺には見えた。
安い店が賑わって高価な店が閑散としている社会というものは、資本主義経済にとっては当然好ましくない傾向だし、高価な店はそれだけ品質やサービスのサプライズがあるのだから、バブル経済破綻後の世の中の様子はよい傾向とは言えない。
だが今のこの光景が庶民にとって普通なのであって、分不相応な界隈に頻繁に足を運ぶことができていた社会がイレギュラーだったのだ。
イレギュラーで塗られていた時代はおそらく二度と来ないだろうと、東通商店街を歩きながら俺は思った。
今夜は常連客の多い安曇野に顔を出す気にはなれず、ときどき覗く飲み屋で静かにアルコールを体内に注ぎ込み、日付が変わってから誰も待つことのない部屋に帰った。
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