②浸食

「あ~、そうだったそうだった! あの時は死ぬかと思った!」

 俺は久々にあの時の思い出を鮮明に思い出して、身震いした。

 大丈夫だ。結局は自分に何も無かったんだから。

「それで! あの幽霊はこの病気とどう関係があるの!?」

 彼女は弱々しく声を荒げていた。焦っている……明らかに。

 そうだ。結局は誰にも何も無かった筈だ。どこもケガをしていなかったし、体調にも異常が無かった。

 ただ、気が付いたら時間だけは過ぎていた。……それだけの話。それだけの「よくある」怪談の筈だ。

「うん……それが重要なんだけど、ちょっと良いか?」

「何? 早く話してよ!」

 彼女は見るからに不機嫌に見えた。あいつが悠長に話しすぎるからだろうか。

「これから先の話、何があっても後悔しない、僕を恨まない、って……誓える?」

 珍しくあいつが慎重になっている。……何があった? あの時何があったんだ!?

 彼女は少し考え込むようにしたが、あいつの目をしっかりと見据えると言った。

「誓う! ……友達でしょ。それに、きっとあなたは悪くないもの」

 ……しっかりしてるな。

 あいつはこういう時、妙に信用があるのだ。普段は軽い感じなのに……なんで?

 あいつはそれを聞くと、満足げにうなずいてからこちらを見た。

 彼女もこちらを見ている。

 「同意しろ!」……そう目で言っているのだ。

「分かったよ」

 しぶしぶ頷く。

 全くなんで……どうせ俺には関係ないんだろ? だったら早く話してくれよ。


 じゃあ、続けよう。

 影は僕らを包囲して逃がさないようにしてた。段々段々包囲を狭めてきて、顔と顔が5センチぐらいの距離になった時、その顔に人間だった時の残滓ざんし……表情を捉えた時に、恐怖で気を失った。……そしてそのまま気が付いたらもう居なかった。

 ……と当時の君たちは思ってた筈だ。でも、それには根本的な間違いが2つある。

 一つは、あれは恐怖で気を失ったんじゃない。やつらが失わせさせたんだ。

 もう一つ、気が付くまで何も無かった訳じゃないんだ。

 え? ……なぜそれを知っているか? それは僕が意識を保っていたから。2人が気絶した後も僕の意識ははっきりしてた。

 それで、2人が気を失った後、そのまま立ち尽くしている僕を無視して、多くの影が2人を取り囲んだ。

 そのうち、僕の手を引く感触があった。振り向くと、小さな女の子の影が居た。

<ねえ……遊んで>

 小さな影は大人の影がしていることに興味が無い様だった。

 僕は無視して君たちの方に向き直ると、また手が引かれて声がした。

<ねえ! ねえ!>

 僕は何を思ったのかその影を抱き上げてみた。

 不思議なことにね……重さが無かったんだ……触ってる感触ははっきりあったのに。

 いや、もっと不思議なのはその子を何の気なしに抱き上げてしまったことか……まあ、それはいいか。

<大人が近付くとね……みんな気を失っちゃって、つまんないの>

 影の子は勝手に語りだした。

<でも、そうしないといけないんだって……そうしないと消えるんだって>

「消える?」

 奇妙な会話……でも、それ程違和感は感じなかった。

<そう。「消える」……だから、動きを止めて……そういう生態なんだって>

「……何を言ってるんだ?」

 僕の問にその子はゆっくりと答えた。

<大人たちはね……人が来ると歌うの。口を開けずに空気を震わせて。……そうすると、みんな気を失っちゃうの。……あ! でもね。たまに全然効かない人も居るんだ>

 どうやら僕はその「全然効かない人」に属するらしかった。

 その子は僕の顔をじっと見ていた。……返事を待っていたんだ。

「ああ、そうなのか。それで……あれは何をしてるんだ?」

 大人の影……中には小さい影もあるようだったけど、大半はそうだった。

 とにかく影は代わる代わる腕を、気を失った君の胸に押し当て……いや、押し込んでいたと言った方が正しいか。体に当てるとスッと何の抵抗も無く入っていくんだ。実体が無いからかな……。

 でも、体内に影が挿し入れられている人間はそうじゃないようだった。時々うめき声のようなものや小さな悲鳴のようなものを発していた。……否定しても無駄だよ。僕は見たものを話しているだけだから。

 それに手足の先がけいれんしていて……ピクピク動いてた。意識が無いはずなのに。

 そのうち、腕の動きが激しくなって……体の中をかき回しているみたいだった。何かを探して……。

 それに合わせて、君の体のけいれんも……嘘じゃないよ。段々激しくなって……最後には胴体までもがビクビクと跳ね上がってた。悲鳴は……悲鳴というよりも断末魔に近かった。高く悲痛な声で……まるで手足をいっぺんにもぎ取られたらこんな声なんじゃないかって……。

「やめろ!」

 僕はその子を抱えたまま静止に入った。……が、駄目だった。

 声だけで……足が動かないんだ。床に張り付いたようで……意識はあれだけハッキリしてたのに……動かなかった……

 大人の影たちはちょっとこちらを見て顔をしかめたような気がしたが、すぐに正面に向き直った。

<駄目だよ!>

 あの子が耳元でささやいた。

<無理に止めようとしたら……殺されちゃうから>

 良く分からなかったが、その子が僕の動きを静止したらしかった。

 それに気付いてその子を見ると、あどけない顔でニィっと笑った。


「もうやめて! もうたくさん!」

 彼女が突然に叫んだ。目には涙が浮かび、眉間には深いしわがよっていた。

「嫌だ……嫌だよ……そんな……幽霊に体の中を……」

 あいつはまだ平然としている。

「お……おい」

 俺はどうすべきか分からなかった。

 正直、続きを聞きたいと思っていた。しかし、続きはもっと残酷だろうとも想像がついていた。

 そんな時、あいつは何気なく言った。

「へえ……気を失っていたのに……魂が覚えてるのか?」

 魂……だと?

 不意に胸元がじわじわと痛むのが分かった。

「おい!? ……なんだよ? 『魂』って!?」

 そう詰め寄る俺に、あいつは言い放った。

「この続きを聞く気はある?」

 俺はわめき続ける彼女を尻目にゆっくりと頷いた。

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