第29話 マリアの特技
ゴツゴツした地面は舗装されたそれに慣れきった僕の足にとってなかなかタフな環境だった。マグマの滝や、どこまでも続く地面の亀裂に見とれているとすぐに躓いてしまう。だが、女性陣が我慢している以上、泣き言は言えない。足下に気をつけながら黙々と歩く。図書館の時もそうだったが、依頼品と届けるとはつまるところ距離を埋めること。歩くことが最大の仕事らしい。足を使ってモノを届ける。基本は異世界でも同じなのだ。
一時間以上歩いたところで、梯子から視えた光の近くに見えた見覚えのある岩肌と川の近くに辿り着いた。
「この辺りです、この辺りで光を視ました」
「今も視えるの?」と綾見。
僕は眼鏡をはずしてぐるりと周囲を一望した。
「……あれ?」
視えない。梯子から確かめた場所に間違いないと思う。が、肝心の光が消えていた。そんなはずはない。僕は裸眼のまま近くの小岩によじ登った。たぶん角度が悪いのだ。見晴らしの良い場所なら……そんな僕の思いとは裏腹に、僕の眼に映る景色の中に依頼品を戻すべき場所を示す綻びの光は一片たりとも見あたらなかった。
「……すみません。確かに視たと思ったんですけど」
ばつが悪いったらない。僕は三人の表情が見えないように眼鏡をはずしたまま頭を下げた。自信満々だったさっきまでの自分を殴りたい。
「気にするな」
岩をよじ登ってきた匠さんが僕の肩をぽんと叩く。
「広大の眼も万能ってわけじゃないってことだ。二手に分かれて光を探すぞ」
フォローはマリアさんの方が適任と考えてくれたのか、匠さんは綾見を連れて離れていった。
「確かに視たんです」
格好悪い言い訳と自覚はあるが、残ったマリアさんに僕は言わずにはいられなかった。
「誰もあなたを疑っていないわ」
マリアさんは微笑を浮かべて言った。
「まだ数ヶ月だけど、二見くんがこんな場面で嘘を言う子じゃないことくらい分かるわ」
「でもやっぱり、間違った場所に案内したのかもしれません。だとしたら、僕はみんなに凄い迷惑をかけてしまった……」
「確かに間違った場所に来てしまったのかもしれない」
マリアさんの言葉にびくりとする。呆れられた? 怒っている? 嫌な考えが次々に浮かぶ。
「でもね? ここに来るまで何度も何度も道を確認しながら進んでくれた二見くんを誰が責められる? 誰もあなたに失望なんてしていないわ。むしろ、私も匠も頼もしくすら思ってる」
マリアさんの笑みに心が軽くなるのを感じる。大人の抱擁力というべきなのか、僕の不安と心配をあっと言う間に吹き飛ばしてくれた。
「そう言ってもらえると……っていうか、凄いですね、クラスだったら不平不満と嘲笑の嵐を受ける場面なのに……」
「十五、六の子たちと一緒にされたら堪らないわね。これでもお姉さんなのよ? ……でも、今言った中に恭子ちゃんを含んでいるとしたら、二見くんもまだまだね」
「いやっ! 綾見は違います!」
とっさの否定をマリアさんはどう受けとったのか、「ふ~ん」とだけ言ってご満悦そうだった。
「……綾見にへんなこと吹き込まないでくださいね」
「分かっていますとも。余計なことはいたしません」
マリアさんは恋愛ごとが絡むと面倒くさいかもしれない。僕が心にメモを残していると、
「二見くんもだいぶ落ち着いたみたいだし」
彼女は表情を真剣なそれに変えた。
「私たちも行動開始といきましょうか」
「でもどうしましょう? やっぱり闇雲に歩くしかないんですかね」
「それも一つの手だけど、今回はそれじゃあ難しいと思う。二見くんが視たはずの場所に綻びの光がないことだけどね、私の考えでは、恐らく今回の光は移動していると思うの」
「移動ですか? 図書館の本棚みたいに、綻びって固定されているわけじゃないんですか?」
「匠も口酸っぱく言っているけど、固定観念を捨てないと狭間の世界じゃ視えるものも視えなくなるわ。光だって一色とは限らないし、明るさ、大きさだって大小様々、動くことだってありえるわ」
「それじゃあ光が視えなかったのは」
「言ったでしょ? 誰もあなたを疑っていないって」
それなら最初に言ってくれと抗議したいところだけど、先に浮かんだ疑問を解消したい。
「でも、移動しているとして見つける方法はあるんですか? 闇雲に探す以外に方法があるんですか?」
僕の質問にマリアさんは今までと違う種類の笑みを浮かべた。
「特技を持っているのは二見くんだけじゃないわ」
マリアさんは人差し指を立てて唇に当てた。
「少しの間、静かにしていて」
言われるがまま、僕は息を殺して身体を固めた。一方のマリアさんは目を瞑り、耳を澄ましていた。何か聞こえるのかと僕も耳を澄ませたが、耳に流れ込んでくる音はマグマがゴポゴポと音をたてて流れる音と唸るような地響きだけだった。さらに待つことしばし、不意にマリアさんが身体の向きを変えた。
「――見つけた」
そして弾かれたように駆け出した。慌てて僕もマリアさんの後を追う。
「見つけたって、どういうことですか?」
マリアさんと併走しながら僕は訊いた。僕の目は光を捉えていない。
「私も視えてはいないわ」
「じゃあどうして――」
見つけたんですか? 僕の口から問いが出るより先に、マリアさんは答えを言った。
「二見くんの目が少し特殊なように、私の耳も少し特殊でね。音――モノが抜け落ちた綻び、そこから漏れる音が聞こえるの」
駆ける身体と同じようにマリアさんは声を弾ませた。
「私たち、特に二見くんに視える光は、あるべき場所にモノがない、綻びって言っているけど、要は隙間が空いた状態で、光は隙間から漏れているの。隙間が空いているということは、光だけじゃなくて音だって漏れる。隙間風みたいなものね。私にはその音がみんなより良く聞こえるの」
「それじゃあ図書館のときも聞こえていたんですか?」
僕の質問にマリアさんは小さく首を振った。
「いいえ、隙間が空いた場所が本棚みたいに無生物のときは効果が薄いの。やっぱり汎用性は二見くんの力の方が上ね」
「綾見が聞いたら怒りますよ」
僕は苦々しく笑う。
「たぶんだけど、恭子ちゃんにもいつか聞こえるようになると思う。あの子、彼方の世界の言葉を読めたでしょう? 私も読めた。性質が似ているんじゃないかな」
「今の発言だったらきっと喜びますよ」
負けず嫌いな綾見のことだ、すぐにマリアさんに師事してその才能を開花させようと励むに違いない。
「……あの、ひとつ質問してもいいですか?」
綾見のことで少しばかり話が逸れたが、一番聞きたいことは次の点だ。
「無生物のときは聞こえにくい、でも今は聞こえる。それってつまり……」
マリアさんはハイペースで走っているにもかかわらず、完璧な笑みを作ってみせた。
「聞こえる音は呼吸の音。目的の隙間は生き物に空いているわ」
生物と聞いて思い浮かんだのは図書館にいたペニーと阿修羅館長だ。あのような住人がこの狭間の世界にもいるということか――と、そんな僕の想像を見透かしたようにマリアさんは牽制した。
「あなたの想像より、遥かに大きいと思うわ」
「大きさまで分かるんですか?」
「遠く離れた場所にいる人の鼻息を、二見くんは聞こえる?」
頭が固いというか想像力が乏しいというか、僕は閉口してしまう。今後は思ったことを口にする前に、自分の疑問に疑ってかかるようにしよう。
さらに走り続けること数キロ、そろそろヘバってきた頃、マリアさんの口から待ちに待った台詞が出た。
「そろそろよ」
この言葉を合図に僕も汗でずり落ちてくる眼鏡を外して前方を睨む。
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