第30話 大蛇
「視えました! でもアレって……」
つい先ほどの反省を忘れまいと僕はその先の疑問を口にしなかった。確かに光は視える。でも……アレが生き物だと言うのか? だってアレは――岩山じゃないか。
「二見くんが見間違うのも無理ないわ。私にだってそう見える。外見は岩そのものだわ」
天辺を仰ぎ見ながらマリアさんも唸る。本当に生き物なのか? 見た目だけでは判別できず、僕は恐る恐る岩肌に触れてみる。触感は岩のそれでゴツゴツとして堅い。だけど――生き物だ。手のひらを通じて生物の鼓動が伝わってくる。何より確信できた原因は、僕に触れられたこと嫌ったのか、岩肌は僕の手からびくりと『逃げた』。
「たまげたな、どうやらその岩は生きているらしい」
声に振り返ると澄ました顔で岩山を見上げる匠さんと、疲労困憊でへたり込む綾見が並んでいた。
「どうやってここまで?」
訊かずにはいられない。マリアさんのおかげで僕らはたどり着けた、手掛かりなんてなかったはずだ。
「俺たちが向かった方角に行けば行くほど、
匠さんは自分の鼻頭を突っついた。マリアさんは自分は聴覚が良いといったが、なるほど、匠さんには嗅覚が備わっているらしい。教えてもらっていない秘密はまだまだ沢山あるらしい。
「詳しい話は俺たちの世界に戻ってからしてやる。今はそっちが先決だ」
匠さんは足下の小石を拾い上げて放った。小石は僕の頭上を越えて生きているらしい岩肌にこつんとぶつかった。
「怒らせちゃったらどうるのよ」
マリアさんの非難に「まずは気づいてもらわないと」と匠さんは平然としている。
もうっ、とマリアさんは眉をひそめる。
「私が先に見つけたんだから手を出さないで」
「こりゃ失礼」
両手を上げて匠さんが後退する。
「広大も依頼品をマリアに渡してこっちに来い」
指示に従い、僕は鞄から慎重に依頼品の蛇が入った瓶を取り出してマリアさんの足下に置いた。
「……何か手伝うことがあれば言ってください」
「ありがと」
笑みを返すマリアさんの横を通り過ぎ、匠さんと綾見のいる場所に小走りで向かう。
「大丈夫?」
未だに息が荒い綾見はひぃひぃ言いながら「女子に求めるペースじゃなかった」と嘆く。
「これでもかなり抑えたんだけどな」
匠の一言に綾見は愕然とする。マリアさんもそうだが、大人組の身体能力はどうなっているのか。この仕事を始めてから身に付いたのか。あるいは、そもそも身に付いていたからこの仕事をしているのか。
「ほら、俯いていないでマリアをよく見ていろ。岩の正体が拝めるぞ」
マリアさんに視線を移すと、彼女は両手でおもむろに瓶を持ち上げていた。どうやら事は今から始まるらしい。
「驚かせてしまい申し訳ありません、邪魔をするつもりは一切ないのです。この世界に参りました理由は一つだけ、貴方にお返ししたい子がいるためです。ですから、私たちにその御姿をお見せください」
岩山にそう語りかけると、マリアさんは瓶を頭上に掲げたままピタリと動きを止めた。数十秒の沈黙の後、最初に感じた変化は地響きだった。続いて連なる岩山がぐらぐらと揺れ動き、光を発していた箇所を皮切りに、岩肌が剥がれて地面にぱらぱらと落ちていく。
「これは……」
「マリアの呼びかけに相手が応えたんだ」
連なった岩山の震えが遥か先に見えていた赤い海にまで届くと、轟音と共に海から岩山が生えてきた。――いや違う。あれば――。
「でっけぇ……」
口があんぐり空いてしまうのは仕方のないことだったと思う。何しろ、匠さんでさえそうだったのだから。
海から現れたのは、巨大という言葉でも足りないほどの大蛇の頭だった。サイズは僕らの知る
大蛇の首がどんどん天井に伸び上がっていくと同時に、連なっていた岩山が次々に地面から離陸していく。
「もしかしなくても、全部あの蛇の身体ってこと……?」
見上げていると、明後日の方向を向いていた蛇の首がぐにゃりと曲がり、僕らを視界に納めた。蛇に睨まれた蛙というシチュエーションを身を持って体験することになるとは夢にも思わなかった。畏怖なのか、金縛りにあったように身体が硬直する。大蛇の首が姿を現した赤い海とはかなりの距離があるはずなのに、巨体にとってはものの距離ではなく、あっと言う間距離を縮めて僕たちの頭上で動きを止めた。シューという息遣いが煩いくらいよく聞こえる。マリアさんが聞いたという隙間風もこんな音だったのだろうか。だとしたら僕は聞こえなくていい。
「貴方の一族でしょうか?」
マリアさんが叫び大蛇に問いかける。
――そのとおりです。
頭に直接響いた声の主は、間違いなく僕らの頭上にいる大蛇だ。女性の声色から母親と勝手に連想してしまう。
「先ほど申し上げたとおり貴方に返すためにやって参りました。御身体に触れることを許してもらえないでしょうか」
――ご足労をかけたのはこちらのほうです。断る理由はどこにもありません。
大蛇が巨体を軽く揺すると、宙に浮いていた光が漏れる岩山がゆっくりと地上に戻り、地響きを立てながら元の位置に戻った。
「匠、二見くん、あとは任せた」
マリアさんは僕らの方に振り返り、依頼品の蛇が入った瓶をこちらに差し出した。
「最後までやるんじゃないのか?」
「岩をよじ登るのよ? 爪が割れたら嫌だもの」
「勝手なお嬢さんだよ、まったく」
ため息を吐きながらも、匠さんはマリアさんの元に向かい瓶を受け取った。
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