第28話 地下世界への梯子

「よく見つけたわね」

 マリアさんは感心した様子で傘をくるくる回転させながら匠さんを見守っている。その匠さんは見たこともない先端にフックが付いた専用の器具をマンホールの蓋に取り付けている。

「この器具はどこから?」

 手伝いながら質問すると、「人との繋がりは今のうちから大切にしておけ」とだけ返ってきた。匠さんの前職は聞いたことがないが、ごく一般的な会社員でないことは想像に難くない。

「やっと見つけた光がマンホールから漏れていたときはさすがに肩を落としたよ。知人から器具を借りて誰もいない夜中に確認したが、日はさすがにその日はくたびれた」

 匠さんのぼやきに僕は頭が下がる思いだった。僕が鳥の雛のように口を開けてまだかまだかと餌を待っているだけの間、匠さんたちはきっと毎日飛び回っているのだろう。

「何も知りませんでした……」

「気にするな、学生は学校に行って勉強していればいいんだ。後ろめたいことなんてない。諸々の下ごしらえは大人の仕事だよっと。――開いた」

 ガリガリとアスファルトを削りながらマンホールをズラすと、夜よりも暗い真ん丸の穴が口を開けた。その中に、

「あった」

 僕と綾見の声が重なる。雷の軌跡を描く境界線から光がゆらゆら揺れている。時間は午前零時五分、ちょうどいいタイミング。

「梯子があるのね……」

 マンホールの中を覗き込んだマリアさんが鼻を摘みながら確認する。誰も言わなかったが、雨と土の臭いに混じって悪臭が漂っている。服に臭いが付くのが間違いない程度に強く、だ。たとえ行き先は彼方の世界に繋がる世界の狭間だとしても、下水に向かってへ降りるのは抵抗がある。

「大丈夫だろ、……たぶん」 

 さすがの匠さんでも臭いまでには対応できないらしく肩をすくめた。

 …………三、二、一、零時を迎える。世界が、再び繋がる。

 夜よりも濃い闇を抱えた穴から光が溢れる。暗さに慣れてしまった目には穴の奥が眩しくて視えない。でも、行くしかない。女性陣の希望により、マリアさん、綾見、僕、匠さんの順番で梯子に足を掛けていく。不安と期待を測りにかけた天秤のバランスは図書館の時とは逆転している。そういえば、悪臭はもう気にならない。次の世界はどんな姿をしていのか、期待に胸を躍らせて、僕は梯子を降りていった。

 光の中で一歩二歩……梯子はいくら降りても床に付かない。通常のマンホールがどのくらいの深さなのか知らないが、僕たちの世界は既に頭の上、もう狭間の世界に足を踏み入れているはずだ。光も弱くなり、目も眩しさに慣れてきた。正面、左右はまだ壁に覆われている。見上げれば匠さんの身体の隙間から僕らの世界がまだ視えており雨粒が頬に当たった。どうやら雨粒も境界線を潜り抜けることができるらしい。さあ、いよいよ下方、狭間の世界に目を向ける時だ。僕はごくりと唾を飲み、ゆっくりと下を向いた。

 綾見の頭が最初に目に入った。彼女も僕と同じく下を向いている。その頭の先、広がっている世界は――。

「――凄い」 

 映画やゲームの世界で見てきた地下世界のそれと同じ光景が広がっていた。マンホールから覗き込むのと同じ視野しかないので全貌は分からないが、赤茶けた乾いた大地に巨大な岩が無数に点在し、その隙間を縫うようにして赤い川が流れている。

「止まるな、手ぇ踏んじまうぞ」

 上から匠さんに注意されて止まっていた手足を動かす。下の光景に圧倒されながら黙々と梯子を降りていくと、周囲の壁がなくなり視界が開けた。自分のいる位置はビルの十階くらいの高さだろうか。梯子以外に身体を預けるものがないのを知ると途端に足が竦む。

「二見くんっ、ちょっと待って!」

 綾見のか細い悲鳴は僕の気持ちを代弁してくれたのかと思ったくらいだ。

「匠さん、ストップお願いします」

 見上げると天井も大地と同じく赤茶けた岩盤で、マンホールの穴だけが場違いにぽっかりと開いており、そこから梯子が地下の大地に垂れ下がっていた。

 一時の休憩に乗じて僕も深呼吸。足の竦みが止まるのを待ってから滲んでいた掌の汗をジーンズで拭う。ようやく開けた周囲を見渡す余裕ができてきた。

 ぐるりと一周して岩肌を露わにした山が連なり、遥か前方にあるマグマの海としか表現できない場所からいくつもの支流に分かれながら赤い川が流れている。すべてが赤みを帯びている。彼方の世界は繋がる彼方の世界と影響し合っているらしいが、ここから通じる彼方の世界はいったいどんな環境なのだろう。想像を巡らせながら、依頼品の蛇を戻す場所を探そうと僕は眼鏡をはずして襟に引っかけた。僕が最大に役立てる場面はきっと今だ。

 綾見の震えが止まり、待ちこがれた地面に足を着けたときには早くもくたくたになってしまっていた。今回の行軍は以前より遥かに辛い予感がする。

「ちょっと休憩しましょう」

 マリアさんに提案に反対する者は誰もいない、みんな一斉に腰を下ろした。

「周りの環境に対して、そんなに暑くないのが不思議ですね」と僕。

 暑いことには変わりないが、真夏の暑さといったところで耐えられない暑さではではない。

「私も思った。あれってマグマでしょ? なんでだろう?」

 綾見の疑問は大人二人に向けたものだったが、向けられた二人も首を捻るだけだった。

「正しい答えを持ち合わせている人類はいないじゃないかしら。ひとつだけ言えることは、私と匠が経験した狭間の世界で、息ができないとか即死するような環境はなかったってことだけ」

「何度も言っているが、自分たちの世界基準で考えても混乱するだけだぞ」

 常識では計れない事象に慣れるための経験値が僕と綾見には圧倒的に足りないとのことだ。

「さて」

みんなが回復したことを確認した匠さんが立ち上がる。

「思いのほかこの世界は広い。どこから探そうか……」

「僕、視ました」

 待っていましたと僕も勢いよく立ち上がる。

「例の光、梯子を降りるときに視たんです」

 見つけた方角を指さす。ゴツゴツした岩石を越えた先に、キラリと輝く何かを梯子の上で確かに視た。

 どうですか! と得意げな顔でみんなに振り返ろうとする前に後頭部をガシガシと乱暴な手つき掻き乱された。

「やるなぁ!」

 大きな手はもちろん匠さんだ。大文字さんと行動が似ているのは、匠さんも大文字さんにやられてきたからだろうか。

「二見くんの眼、一体どうなってるの?」

 食いつくように綾見が問い詰めてくる。いくら目を細めても彼女には視えないらしい。

「俺も今は視えない。俯瞰できる場所で探せたのが大きいんだって」

 そう答えるも綾見の恨めしそうな目は納得していないことを十分に物語っている。

「私の文字を読める力って、この世界じゃ完全に役に立たない……」

「だからこその仲間でしょ」

 口を尖らせる綾見にマリアさんが優しく諭す。

「確かにそうなんですけど……、二見くんの力の方が汎用性が高くないですか?」

「それは否定できないわね」

「そんなこと言われても。僕からしたら綾見とマリアさんの異世界の言葉を読めるって方が羨ましいんですけど……」

「お互い無いものねだりってことなのかな」

「隣の芝生は青いってやつ?」

 綾見の折衷案に僕も乗った。

「今のところ広大が視た光を目指す他なさそうだな。休憩はもういいか? 出発だ」

 匠さんの号令で僕らは地下世界と思しき狭間の世界で行動を開始した。

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