第27話 いくら探しても宙にはないよ
彼方に通じる境界線が開く土曜日はあっという間にやってきた。曇天模様だったが、幸い雨にはまだ降られていない。GWと同じく友人の家に泊まるという理由で僕は昼過ぎに自宅を出て事務所に向かう。バスに揺られながら今晩のことを想像してみたが、自分の想像力の無さに凹むだけだった。
事務所には大文字さんと綾見が既にいた。さすが親戚同士、綾見の家で昼食を済ませたとのことだ。学校でも一緒に弁当を食べたことのない僕にとっては羨ましい。
今日に至るまでで最大の変化は綾見の蛇に対する慣れだろう。爬虫類全般に慣れたかどうかは本人も分からないらしいが、依頼品である小さな蛇に対してだけは、今では五人の中で一番と言っていいほど愛でていた。
「匠とマリアは夜まで来ない。二人は深夜に備えて仮眠しておけ」
大文字さんの指示で僕はソファ、綾見は仮眠室に向かう。
「広大も仮眠室でいいんだぞ? 前みたいに――」
「ちょっと!?」
小声で叫ぶと同時に口に人差し指を当てて大文字さんに黙るよう求める。振り返ると綾見は幸いにも聞こえなかったらしく、ちょうど仮眠室の扉を閉めたところだった。にやりと笑う大文字に僕は抗議した。
「大文字さんの姪なんですよ? 何考えているんですか?」
「広大なら別にいいと思っているんだが? 俺の姪じゃあ君のお眼鏡には適わないかな?」
ダメだ、敵わない。僕は顔が熱くなるのを感じながらソファに逃げて布団を被った。昨晩は興奮してなかなか寝付けなかったのが幸いし、動揺の波が凪いだ頃には僕は微睡みの中にいた。
近くでシャッター音が聞こえた。……近い? はっと目覚めたときにはもう手遅れ。僕の間抜けな寝顔は綾見のスマホに納められてしまっていた。
「おはよ」
「消して」
綾見に迎えられた目覚めは悪くないが、いたずら好きな表情が張り付いていれば話は別だ。
「ダメ、何かあったときの交渉材料にさせていただきます」
「それって交渉じゃなくて強請……」
「そんなこと起きないから安心して」
綾見のはしゃぎように僕はそれ以上追及できず、渋々諦めた。……それに、本音を言ってしまえばどんなアホ面でも綾見のスマホに僕がいることが少し嬉しかった。こんなことなら僕も綾見の寝顔をスマホに納めておけばよかったと過去の自分を呪いつつ、目に焼き付けていた点は評価したいと思う。
「ところで、いま何時?」
「十九時を回ったところ、夕飯だって」
そういえば事務所の中に香ばしい匂いが漂っている。鼻をくすぐられると、寝ていただけなのに、腹の虫は即座に受け入れ態勢を整えてしまった。事務所に端に備え付けられた電子レンジから、いつ戻ったのか匠さんが大皿に盛られたチャーハンを取り出していた。
「俺のオリジナルチャーハンだ、心して食すといい」
自信たっぷりに匠さんは僕の寝ていたソファの前のローテーブルにどかりと皿を置いた。
「男の人って、チャーハンに拘る傾向ない? その力を少しでもバリエーションを増やすことに割けばいいのに」
マリアさんがソファに腰掛け、「寝癖付いてる」と不意打ちに僕の頭を撫でる。
「ちょっ!? 大丈夫ですっ、顔洗ってきます!」
弾かれたように飛びのいて僕は洗面所に逃げた。背中では匠さんが思春期の男をいじめるなと非難していた。顔を洗い、濡らした手櫛で寝癖を乱暴に直す。
匠さんお手製のチャーハンは温め直しだというのに想像以上に美味しかった。
「だろう? 俺はチャーハンを極めてるからな」
感想を伝えると匠さんは嬉しそうに口にかき込んだ。
「他は禄に作らないのよ。匠が当番も日はいつもコレ」
マリアさんが非難めいた眼差しを匠さんに向ける。
「他のメニューはお前に任せる」
! それって――。匠さんの意味深な発言に箸が止まったが、あまりに自然なやりとりのため尋ねづらい。綾見も同じ感想を抱いたようで僕と目が合う。
(気になるけど……別の機会に)
視線で意思疎通。僕らは二人の口論(痴話喧嘩?)の中、黙々と食事を続けた。
食事が終わり、僕は男三人で野球のナイター中継で時間を潰した。正直滅多に観ないので退屈ではあったが、大文字さんと匠さんが一球ごとに解説者顔負けのコメントを聞いているのは面白かった。綾見はマリアさんに学校の出来事を話しているが、女子特有の友人関係のしがらみなので僕の耳は内容を遮断した。親身になってうんうん頷くマリアさんの姿から、女子のややこしい友人関係問題は不変であることだけは理解した。
「そろそろ行くか」
ナイター中継もとっくに終わった二十三時少し前、一通りスポーツニュースをチェックした匠さんがテレビを消すと同時にソファから立ち上がった。僕と綾見が観察中の瓶の中で、声に反応した蛇が首を持ち上げた。
綾見が瓶を丁寧に包装し、丸めた新聞紙をたっぷり詰めたバックパックにそっと入れた。隙間がないことを確認してから僕がバックパックを背負う。
「成功を祈る」
大文字さんの言葉を背に、匠さんが運転する車が依頼品と僕らを乗せて出発した。
夜になってから降り出した雨のせいでた足下は悪く、試合中は賑やかなのだろう球場も照明が落ちてしまえばその姿は見る影もなく、暗闇にそびえ立つ要塞然な姿は何ともいえない圧迫感があった。
「下見したんでしょう? 今回通じる境界線はどこにあるの? のんびり歩いていたら職質に捕まっちゃうわ」
マリアさんが先頭を歩く匠さんを詰める。深夜帯は僕と綾見という高校生は悪い意味で目立つ。担任にもことあるごとに夜中に出歩くなと注意されている手前、実は僕自身少し後ろめたい。
「慌てるなって。すぐそこだ」
匠さんの言葉に目を凝らすも、境界線から漏れる光を見つけることができない。夜の帳が降りている今、光は日中より見つけやすいはずなのに。自分だけかと一瞬焦るが、綾見、マリアさんすらまだ見つけられていないらしい。
「俺だって苦労したんだ、そんな簡単に見つけられたら立場がない」
試合開始に間に合わなかったくらいだしなと付け加えた匠さんが立ち止まった。
「ここだ」
一人だったら早足で立ち去りたい球場と木々で大通りから死角になった場所。月明かりが厚い雲に覆われて届かない今夜は本当に真っ暗だ。
――どこだ?
僕の目に境界線は視えない。焦点を変えて四方八方に目を向けてもどこにもない。
「広大、いくら探しても宙にはないよ」
「え?」
「彼方の世界は、この中だ」
匠さんは濡れた地面――マンホールを踵で叩いた。
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