第21話 地面の切り替え方法
僕の耳では聞き取れない幾つもの言葉が、綾見の背中を通じて振動となって僕の身体にも伝わってくる。
息が続かなくなり、僕が横を向いて新鮮な酸素を求めたとき、身体がふっと軽くなった。地に足が着いていない。そう思った瞬間、僕は
匠さんたちの目には僕と綾見は天井に向かって視えないエレベータで昇っていくように映ったことだろう。僕の視界はおかしなものだった。落ちている感覚なのに、地上からは離れていき目標の光源が大きくなってくる。また、落下のスピードが自由落下にも関わらずジョギング程度。「なぜ」とは思うまい。この方が僕らにとって好都合なのだから。
「一体どんな力が働いているんだろう?」
「分かんない。でも、やってみなくちゃ分からないって言葉をこれほど強く実感するのは人生でもなかなか無いと思う」
僕も痛感する。知ったような気になっているだけで、実際に体験しなくちゃ分からないことはいくらでもある。それにしてもここ数週間の密度はとてつもない。
落下を続けて一分ほど経過しただろうか。天井と化した床にいる匠さんたちはだいぶ小さくなった。
「マリアさんのいった綻びから漏れる光ってやつだけど、綾見にもそろそろ視えるんじゃないか?」
促されて綾見が天井を見上げて目を細める(この場合は見下ろしたというべきなのだろうか)。
「……視えた!」
小さく叫ぶと綾見は本をペラペラとめくり始めた。
「どうした?」
「もう一つ試したいことがあるの。二見くんは近い距離になった合図して」
「仰せのままに」
よく分からないのは毎度のことだ。全面的に従いますとも。光源はすぐそこ、どの本棚から漏れているのも認識できる。
「――もう少し……三……二……一……今!」
「 !」
綾見が聞えない言語で何か叫んだ。すると、どういう訳か身体に重みを感じた。地上でも天井でもない、本棚の方向に。
今度は打って変わって急激な落下だった。本棚まで一メートルもない、足からの着地は無理、とっさに背中を向ける。
「ぐっ」
格好付けたいところだが、本棚と綾見に挟まれた身体から勝手にくぐもった声が漏れる。
「平気っ?」
首を捻ってこちらを見る綾見の声は焦り気味だ。僕は彼女から腕を離し、片膝を付いた。
「大丈夫、心配な――」
い、が口から出る前に僕は驚いて尻餅をついてしまった。綾見の後方には地面が広がっていたからだ。そして尻の感触、凸凹、もう驚くもんかと何度心に決めても、新しい体験に襲われる度に僕は抗うことができない。今度は壁が床になっている。天地じゃない、第三の面だ。
「どうなってんの?」
我ながら間抜けな声だった。
「地面の切り替え方法って章があって、そこに書いてあったの」
「意味が解るようになったの?」
「なんとなくだけど」
自身の進歩に嬉しそうな綾見から差し出された手に掴まり立ち上がる。が、思わずよろけそうになる。僕たちは本棚を床にして立っており、本来の地面に対して垂直の状態なのだ。
「……ジャンプしたら匠さんたちのいる地面に真っ逆さま、なんてことはないよな?」
「たぶん大丈夫、でも、わざわざすることじゃないと思う。さっきだって本当ならもっとゆっくり着地できると思ってたから」
本当の意味までは汲めない、と綾見は頬をかく。常識が通じない世界の本なのだ、綾見を責めるなんてできっこない。
「さっさと本を戻しちゃおう」
僕はすぐ先にある光源に目をやる。そばに来れば眼鏡を掛けてもよく視える。
本と本の間、ちょうど一冊分の隙間から光が漏れ出している。早く蓋をしなくてはという衝動に駆られるのは本を戻すという目的のせいなのか。
すり足で進み、光の前で片膝を付く。隣でしゃがむ綾見が『天と地の逆転』をぱたんと閉じ、本と棚を交互に見つめる。
「初めてだし、一緒に戻そっか」
綾見の提案に僕は内心小躍りした。実は僕もやりたかった。
「分かった。せーの、で戻そう」
綾見から差し出された本を掴む。
せーの、声を揃えて僕らは光を押し潰すように本を棚に戻す。漏れる光量が少しずつ小さくなり、棚にぴったり収まると光は完全に消えた。
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