第13話 此方から彼方へ
声を重ねて僕と綾見の脚が同時に彼方の世界の地面に触れた。そこはもう此方の世界ではない。僕らは彼方の世界と重なりあって生まれたという世界の狭間。異世界に足を踏み入れた。
一瞬立ちくらみのような症状に襲われたが、すぐに治まり、以降、身体にこれといった違和感はなかった。
「これでお前たちも正式に彼方屋の一員だな」
匠さんが僕と綾見の肩にポンと手を置いた。
「ありがとうございます――って言っても、正直実感はあまりないです」
「実感が湧くかどうか分からないが、周りを見れば少しは感じるものがあるかもしれないぞ」
匠さんが身体をズラし、僕はこの図書館(?)を改めて眺めた。最初の感想は、広い。この一言に尽きる。
図書館の天上は遥か上にあるというのに、注がれる照明は薄暗いものの館内の隅々まで行き届いている。通路は二車線分くらいで遙か先まで伸びており、突き当たりが視認できない。左右の本棚は見上げると高層ビルもかくやという高さでそびえ立っている。一体何段分の棚が用意されている皆目見当もつかない。これが一通路分だとして、全部でいくつの通路があるのか。棚番に奇妙な数字のような印が描かれているが、仮にAからZまであったとして、その中の一か所に依頼品である本を納める……ダメだ、早くも目眩がする。
「平屋建てだといいですね……」
綾見がぞっとする発言をしたが、誰も考えたくはないのだろう、返事はなかった。
「この中から、依頼品を元の場所に戻すんですよね? どうしましょうか……こう広かったら探そうにもどこから手を付けたらいいのか、やっぱり虱潰しですか?」
僕の質問に匠さんは「阿呆」と吐き捨てた。
「そんなことをしていたら一生ここから出られん。いいか? 捜し物があるときはな、詳しい人に聞くのが一番てっとり早いんだ」
「聞くって、誰がいるんですか?」
「ここはどこだ? 図書館だろう? それなら司書の一人や二人がいるはずだ」
当然だろうといった顔で見られ、僕はマリアさんに助けを求めた。
「いるんですか? 僕ら以外にも? さっきここは世界の狭間って言いましたよね?」
「広大くんって以外と頭が堅いわね。世界の狭間に生物がいないなんて誰が決めたの? どんなところにだって『何か』あるわ。本だってその『何か』でしょう? あるかないかでいったら『ある』になる。現に私たちだってここに『いる』のだから」
そう言ってマリアさんは匠さんの後をついて歩いていく。
「そういうものなの?」
彼方の世界という理解できない場所にいる時点で既に全部を理解するのは無理があるのは分かってる。それでも、やっぱり信じる気にはなれなかった。
「二見くん、取り残されて迷子になったらそれこそ『ここ』の住人になっちゃうよ」
綾見の呼びかけに僕は慌てて彼女の後を追う。常識は通じない。疑問に思うことがあってもひとまず口をつぐみ、匠さんの言うことに従い司書を探そう。彼らが「いる」と言うのだ。いるに違いない。
黙々と本の壁――アーチといった方が適切かもしれない――に沿って歩き続けること三十分、これだけ巨大なら案内図くらい用意しておけと心の内で毒づき始めたとき、ようやく司書がいるだろう場所が見えてきた。僕が自分の世界の図書館で目にしてきたものと同じ、ごくごく一般的な受付が前方にぽつんと設置されていた。
異常と思うべきなのか、受付があるにもかかわらず周囲には出入口らしきものは見あたらなかった(あったとしてもどこに続くか想像もつかないが)。自分たちと同じように、別の世界との繋がった瞬間、その場所が出入口になるのだろう。
「誰もいませんね」
綾見がせわしなく首を回しても、人影らしきものは見えなかった。
「やっぱり誰もいないんじゃないですか?」
「広大の疑いを晴らすためにも、それ、押してみ?」
匠さんは受付にぽつんと置かれているベル状の呼び鈴を指さした。図書館では「お静かに」が基本なのに呼び鈴とは何事かと思う気持ちもあるが、どうせ僕ら以外に誰もいないのだ。マリアさんもいいよと頷いてくれている。僕は強めに呼び鈴を鳴らした。ベルのチーンではなくピー、思いがけない笛の音が図書館に響き渡った。
なぜ呼び鈴で笛の音が? 僕らが呼び鈴をいじっていると、
「珍しいですねぇ」
頭上からバリトンの声が降ってきた。
「ホントに『いた』!」
僕は頭上で旋回するそれを仰ぎ呟いた。
「こら、失礼なこと言っちゃダメ」
僕の叫びをマリアさんが注意したが、僕はそれどころじゃなかった。
「しかも鳥……」
鳥、さらに言えばペリカンが、僕たちの前に降り立った。
「私を呼んだのはあなた方ですな?」
「そうです」
ペリカンの問いに匠さんが代表して答えた。
「閉館時間でしたか?」
「いいえ、この図書館に休みはありません。まあ来客はめったにありませんから開店休業みたいなものですがね」
眼前のペリカンが流暢な日本語を話している。
「あれ、ペリカンが自分で話をしているよな? どこかで誰かが声を当てるのかな?」
隣の綾見に小声で確認せずにはいられない。
「ううん、私にもペリカンが話をしているようにしか見えない……」
綾見も小声で返してくれたが、どうやらペリカンにも聞こえてしまったらしく、じろりと匠さんの後ろ控えていた僕らに視線が向いた。
「彼らはこのような世界は初めてで?」
ペリカンが僕らを見据えたまま匠に訊いた。
「ええ。失礼があり申し訳ない」
匠が頭を下げ、僕と綾見も慌てて後に続いた。
「別に気にしませんよ。むしろお二人の初めての経験がこの図書館で光栄です。永年いてもそのような新鮮な反応に出会う機会は滅多にありませんから」
ペリカンの目が細くなったのは笑みなのだろうか。
「それでは少年少女、あなたたちの疑問にお答えしましょう。私はペニーと申します。姿はこのようにペリカンですが、本物のペリカンというわけではありません。いわゆるイメージ、この図書館が創り出した案内人の姿なのです。もちろん私には私の意思があり、今喋っている内容も私が喋っているのであり、他の誰かが声を当てているわけではありません」
ペリカン――もといペニーはそう言って長い首を器用に曲げて僕らに会釈した。
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