第12話 彼方の世界にある図書館

 GWも折り返しを過ぎた五月四日、時刻は二十三時五十七分。匠さん、マリアさん、綾見と僕の四人は閉館時間をとうに過ぎた市営図書館の前にいた。深夜の外出、初めての体験に少し浮ついている自覚がある。

 可能な限り時間を注ぎ、訓練を積み重ねたことで、今宵、、僕と綾見の眼は意識せずとも境界線を捉えることができるようになっていた。

 依頼品(誰からの依頼なのかは大文字さんは明かしてくれなかった)の光る図書は僕が背負うリュックの中に収まっている。暗闇の中で光が漏れないか心配になったが、僕ら以外に視えない光だったことをすぐに思いだし、一人赤面したのはここだけの秘密だ。

「ここでいいんですか?」

 何度目かの質問に匠さんは無言で頷いた。大文字さんはここにはおらず、彼方屋で待機中だ。「現場は引退した」とは僕らを送り出す際の本人の談。僕は大文字さんが絶大な信頼を置く二人の顔を見た。匠さんにマリアさん、暗くて見えづらいが随分と余裕そうだ。

「境界線、ちょっとしかない」

僕と同じく少し強ばった表情の綾見が不安そうに呟く。

「こんなに小さな綻びから彼方の世界に行けるのかな……?」

 僕が何度も匠さんの質問した理由はそれだ。僕と綾見が視ている境界線の長さはせいぜい腕一本分だ。大文字さんが見せてくれたように境界線を広げるのだろうか。しかし、匠さんは「あんな芸当をできるのは大文字さんだけ」と言っていたし……。

「心配しなくても大丈夫。もう少しで分かるわ」

 マリアさんは優しく答えてくれるが、肝心の理由は決して教えようとしない。「驚きが半減しちゃうから」と言われたが、僕としては光を初めて視てからずっと驚きの連続なので、いい加減余裕を持って対処したいのでさっさと教えてもらいたいのが本音だ。

「そろそろよ」

マリアさんが腕時計を覗く。

「十、九、八……」

 謎のカウントダウン。僕と綾見はキョロキョロ周囲を見渡す。特に変化なし。一体何が起きるんだ? どうしたらよいか分からないまま僕と綾見は身構える。

「――二、一、ゼロ」

 閃光が夜の帳を引き裂いた。少なくとも僕の目にはそう映った。ほんの数十センチ足らずだった境界線は縦に大きく裂けて隙間から光が溢れ出す。そして境界線は宙から地面にまで届き、裂け目は地割れのごとく地を這って伸び、図書館の壁に達すると壁に大きな亀裂が走った。亀裂は四方八方に広がり、最後は粉々に砕けて図書館の壁に大穴を空けた。

「これって……」

 ぽかんと開いた口から勝手に言葉が漏れる。

 あの日、大文字さんが僕らの前に見せてくれた世界――彼方の世界が、今、僕の前にぽっかりと口を開けている。大きな違いは、あのときは砂嵐のように景色にノイズがかかっていたが、今回はクリアだ。向こうの世界も図書館なのだろうか、大きな通路の両側にはもの凄い高さ本棚が並び、びっしりと本が詰まっている。

「これって……壁の内側、建物の中が見えているわけじゃないんですよね?」

 図書館の壁に穴が開いたのだ。単純に図書館の中が見えている可能性だってある。

「違うわ」

マリアさんが諭すように言った。

「此方と彼方は緊密に関係しているの。今回の依頼品は書籍でしょ? その場合、私たちが向かう彼方の世界も、本に関係する場所になるの」

「むぅ……」

 分かるような分からないような。要は、僕の前に広がる境界線の向こう側は、彼方の世界にある図書館という解釈でよいのか。

「あと、厳密に言えば彼方の世界そのものではないわ」

「え?」

 今までの説明を覆すマリアさんの発言だった。

「どういうことですか?」

「あれは、此方と彼方が重なることによって生じた世界の狭間。混じりあった世界といえばいいかしら」

「?」

「説明を聞いただけじゃ分からないと思うわ。別に彼方の世界であることに変わりはないしね。さ、行きましょう」

 マリアさんがリュック越しに僕の背中を軽く押した。

「入っても平気なんですか」

 彼方屋で見せた大文字さんのもの凄い剣幕が脳裏に蘇る。安全なのか?

「此方の世界と彼方の世界が繋がっている今なら大丈夫。大文字さんは力技で強引に境界線を広げたからズレが生じていたの。だから砂嵐のようなノイズがかかっていた。でも今は自然に重なっている。重なっている限り在り続ける。だから平気なの」

 マリアさん曰く、僕らが存在する此方の世界とあちら側の彼方の世界は離れたり繋がったりを繰り返しているらしく、重なっている限りこの狭間は在り続けるという。

「それじゃあ離れたらどうなるんですか?」

「大丈夫よ」

 訊きたいことはいくらでもあったが、先輩が大丈夫と言っているのだ。僕は考えるのをやめて黙って従うことにした。

 匠さんとマリアさんは躊躇うことなく大穴の空いた図書館の壁に歩を進める。夜の世界から光が溢れる場所に向かう姿は神々しすらある。そして境界線の向こう側――彼方の世界に足を踏み入れた。――異常はないみたいだ――何歩か歩いて二人が僕と綾見の方に振り返る。大丈夫と目が語っている。

 ふらふらと境界線の方へ歩き、あと一歩のところで僕と綾見は立ち止まった。互いに顔を見合わせる。

「せーの、で行こうか」と僕。

「うん」堅い表情で頷く綾見。


「…………せーの!」

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