第5話 この世界には存在しないものだから
バスに揺られること数十分、そこからさらに左右に揺れる綾見の後ろ髪を眺めながら歩くこと数分、着いた先は古ぼけた三階建ての雑居ビルの前。失礼な話だけど、僕が受けた印象は『怪しいビル』だった。正面のやたら頑強そうで無骨な造りの扉からは強烈に怪しい雰囲気が立ちこめている……が、綾見の親縁と関係がある建物である以上は露骨な反応はできない。できるだけ平常心を心がけないと――。
「怪しいでしょ?」
えぇ……君が言う? せっかく気を利かせたというのに、当の本人が口に出してしまった。
「いいの、私もそう思うから」
綾見は扉に負けず劣らず強烈に怪しい中世ヨーロッパから受け継がれてきたと説明されても驚かないような形状をした鍵を鞄から取り出し、扉の鍵穴差し込んだ。軋んだ音とともに綾見が言った。
「どうでもいいけど、二見くんって結構顔に出やすいタイプ?」
「嘘!?」
一度も言われたことのない指摘に対して本当かどうか確かめたいが後回しだ。扉が開いた。 扉の後ろにまた扉が控えているのかと瞬間錯覚した。僕の身長は百七十センチちょっとある。にもかかわらず見上げてしまうのだから百九十は優に越えている。それ以上に横幅が凄い。野獣、熊、そういった形容がまさに相応しい四十代後半くらいの大男が扉の先で仁王立ちする姿を見て、僕の身体は勝手に数歩後退りしてしまっていた。
「少年、君に礼を言う」
大男の両腕は太く長く、後退した僕の身体を捕まえるのに十分なリーチを備えていた。両肩をがっしりと掴まれて全く身に覚えのない感謝までされると、堪えていた悲鳴が喉の奥から小さく漏れた。
硬直してしまった僕を見て、大男は腰を曲げて怪訝そうに顔を近づけてきた。
「どうした?」
似合い過ぎる図太い声が耳に響く。
「初対面でその顔を至近距離で見せつけられたら誰だって震え上がる」
助け船を出してくれたのは綾見だった。
「いきなりすぎだよ、伯父さん」
伯父さん、この人が? 似ているパーツは一体どこにあるっていうんだ? 綾見とその伯父を交互に見る。僕じゃなくても誰も信じやしないと確信できる。
「恭子ちゃんに同感」
綾見伯父で遮られていた部屋の奥から女性の声がした
「野獣にしか見えませんって」
今度は男性の声。少なくとも部屋にあと二人いるらしい。
綾見伯父は首をねじって部屋の奥に抗議の声を上げた。
「お前たち、客人の前だぞ。あまり虐めてくれるな」
そう言って渋い表情をした顔が再びこちらに向く。
「さて少年。俺の可愛い姪に連れてこられたということは、アレが視えたのだな?」
綾見伯父はきっとこれまでも多くの誤解に見舞われてきた人なのだろう。本人は凄んでいるつもりはないのだろうけど、有無を言わせぬ迫力に僕は今にも尻餅をつきそうだ。
なんとか堪えて僕が首肯すると、綾見伯父の顔に満面の笑みが咲いた(怖いことに変わりはないが)。
「よくやった!」
綾見伯父は僕の両肩を強く叩き、
「賭は俺の勝ちだ!」
部屋の奥の相手に対して勝ち誇った。
賭? いつの間にか自分は賭の対象にされていたようだ。何の賭けかは容易に想像がつく。
「歓迎しよう、少年少女」
上機嫌な綾見伯父に促され、僕は不安を覚えながらも玄関口から部屋の中へ入って行った。
恐る恐る踏み入れた室内は予想外にも典型的な事務室で、入り口のごつい扉とは打って変わって変哲ないものだった。
応接用と思われるローテーブルを挟んで向かい合う二人掛けのソファには、先ほどの声の主と思しき僕より年齢が一回り上だろう男女が二人、くつろいだ格好で座っていた。
「誰だって不安になるわよね?」女性が言う。「見るからに怪しい場所で、さらにこんな大男が出迎えてきたら怖い以外ないわよね? でも安心して。私みたいな美女もいるし、怖い思いはさせないから」
ね? と尋ねられ、僕は思わず首を縦に振ってしまった。瞬間、失礼な行為だったに気が付いて慌てて「すみません」と綾見伯父に頭を下げた。
「本当のことだから気にしないで」
女性は柔和なイメージそのまま優しく微笑んだ。
「お前が言うな。しかも姪の前で」
「否定できないのがつらいです」
綾見の追撃で伯父はがっくりと項垂れて見せた。
「社長に対してこの態度、ひどい職場だとは思わんか?」
愚痴に続いて座るよう促されたので、綾見の隣に浅く腰掛けると、綾見伯父はお茶を用意すると席を立った男女が座っていたローテーブルを挟んだもう一つのソファにどさりと沈んだ。二人掛けだというのに、綾見伯父では一人でちょうどよい塩梅だ。
「そう緊張するなよ少年。あいつらはとりあえず気にするな、まずは俺と話をしよう。恭子、俺について説明したか?」
「私の伯父さんってことだけ。名前すら言ってない」と綾見が添える。
「そうか、それじゃあ自己紹介からだ。俺は
「二見広大です。綾見さんとはクラスが一緒ですけど、今日初めて喋りました」
悪い虫ではないことを少しだけ強調。そしてすぐさま本題に入る。聞きたいことは山ほどあるが、とにかくまずは――。
「伯父さん……大文字さんに会えば光る紙について教えて貰えるって聞いて来たんです」
自分の視線にありったけの催促を乗せて大文字さんを見る。
「私もいい加減教えてほしい」
綾見は光る紙を鞄から取り出し、ローテーブルに静かに置いた。
「ふむ……」
大文字さんが顎をさする。
「お前たちにはこれが光って視えるんだな?」
僕と綾見は同時に頷いた。輝きは衰えることなく未だ健在だ。
「恭子、この紙に書いてある言葉の意味って何だと思う?」
――彼方からの隣人を歓迎する――
大文字さんに問いかけられ、綾見はチラリと僕に「分かる?」と視線を送ったが、僕は首を横に振るしかできなかった。
眉間に皺を寄せて少し悩んでから綾見は答えを出した。
「えっと……海外からの手紙、とか? でも、光っているのと関係ないよね?」
彼女の意見に僕も同感だ。今の答えでは肝心の部分が欠けている。早く教えて、僕と綾見の無言の訴えに大文字さんはニヤリと笑った。
「この紙はな、依頼品の切れ端だ。文面はこの切れ端を貰った際に併せて受け取った言葉で、記念に俺が書き込んだ――っと、これじゃ答えになっていないな。恭子の言う海外……海の向こう側という答えはあながち間違いではない。ただし、この紙は海の向こう側よりも遥かに遠い、彼方の世界から来たものだ。つまりだな……紙が光る理由は、本来この世界には存在しないものだから、だ」
それが答えだと大文字さんは静かに言った。
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