第3話 初めてのお料理
「お嬢様、お嬢様!」
倒れ込んだミルフィに声を掛ける侍女。
急に倒れたものだから、場は騒然としてしまっていた。護衛の騎士役の魔族は剣に手を掛けているし、周りも動揺した表情でミルフィの様子を見守っていた。
何かあれば一発で大変になるのは目に見える状況である。そんな時だった。
「うーん……、騒がしいわねぇ……」
ミルフィが目を覚ましたのだった。
「お嬢様! よかった、目を覚まされたのですね」
泣きそうな顔をして侍女がミルフィに抱きついた。あまりに突然な事に、ミルフィは驚いて固まってしまう。
「ああ、ごめんなさい。私の口に合わなかったので、うっかり気を失ってしまったみたいですね」
ミルフィはすっくと立ち上がる。すっかりもういいようだ。
「その手を収めなさい。私はこの通り大丈夫ですから」
「……はっ!」
ミルフィの声で、護衛は姿勢を正す。これでようやくかなり緊張感が和らいだ。
「お騒がせして大変失礼致しました。おいしいと聞いてやって来たのですが、私の口には合わなかったようです。そのために思わず気を失ってしまったようでして、お騒がせ致しました」
自分の非であるがために、ミルフィは店の主人に対して頭を下げている。
この行動には、周囲の誰もが驚いていた。ミルフィに同行する三人はもちろんではあるが、店の中に居た店員や他の客たちもそれは同様だった。なにせ見た目が貴族の令嬢が自分の非を認めて頭を下げているのだから。
「そこでです。お騒がせさせてしまったお詫びと致しまして、私がお料理を振る舞いたいと思います。厨房を貸して頂いてよろしいでしょうか」
「な、なんだって?!」
やっと落ち着いた店内が再び騒がしくなる。当然と言えば当然だ。貴族の令嬢と思われているミルフィが、自ら厨房に立って料理をするというのだから。貴族が料理をするなど、誰もが想像しない事なのだ。
しかし、変装しているから気が付かないだろうが、ミルフィは現在の魔王の娘だ。貴族どころか人間にとって敵対する相手のお姫様である。知らないという事は実に幸せなものだった。
許可を無事にもらって厨房へと立つミルフィ。そして、ぼそりと呟く。
「ピレシー」
”お呼びかな?”
ミルフィの隣に本が浮かび上がる。周りに人が居るのだが、驚く様子がないあたり、どうやらミルフィ以外には見えていないようである。
「私がさっき食べたものをさらにおいしくできるかしら」
”このピレシーを甘く見てもらっては困るぞ。主が食べたものは確認済みだ。あれならば我の知識を使えば格段においしくできる”
さすがは食の魔導書ピレシーである。自信たっぷりに言い切ってくれた。
それを受けて、ミルフィは調理を始める。
先程ミルフィが食べたのは煮込み料理、シチューだった。見た目もにおいもいいのに、味だけが壊滅的だった。あれは具材の調理がまずかったのだろうというのは、実に想像に難くない話だった。
ミルフィは魔力を消耗しながら、ピレシーからシチューの作り方の情報を得る。
ミルフィが調理をする姿を、従者たちはハラハラとした様子で眺め、お店の人たちは鋭い目つきで見守っている。
正直料理を担当する料理人たちからすれば、貴族然とした少女が厨房に立つのは許せない事だ。だが、あれだけの啖呵を切られてしまった以上、口だけでない事を見せてもらおうと見守るしかなかったのだ。
厳しい視線を送られながらも、ミルフィはピレシーから受け取った知識を元に、シチューを作っていく。初めての料理である上に、分量も相当に多い。ミルフィ自体に不安がないわけではないが、ピレシーを信じてひとつひとつ下ごしらえから進めていっていた。
迷いなく調理が進んでいく事に、ミルフィが一番驚いていた。さっきも言った通り、ミルフィには料理の経験なんていうものはない。その手際に関しては、厨房を覗き込んでいる店の人間たちも驚いているくらいだった。
(すごい……。これがピレシーの力なのですね)
煮込みを終えていよいよ料理が完成する時が来た。その前に、ミルフィはおそるおそる小皿に少量取って味見をする。
緊張の一瞬。これで失敗すればただ恥をかくだけである。あそこまで大見得を切って料理を始めたのだ。これでおいしくないものができたのなら、ショックで一生立ち直れない自信がミルフィにはあった。
小皿に取った少量を口に含んだミルフィ。
「ん!」
その味に思わず目を見開く。
「おい、しい……」
思わず感動してしまうミルフィである。
材料はこの厨房にあったものを使ったので、まるっきり同じはずである。だというのにこの味の差である。しかも香りだって、さっき自分が食べて気を失ったものよりもいい。まさに衝撃だった。
だが、次の瞬間だった。
ミルフィは自分の方に視線が集まっているのを感じたのだ。くるりと振り返ってみれば、厨房を覗き込む面々がよだれを垂らして殺気立っていたのだ。
(なにごと?!)
これにはミルフィもさすがに驚いた。
「なんだ、このいい香りは!」
「おい、早く食わせてくれ」
そういえばそうだった。実はお店の営業を止めさせてまで厨房を独占的に使わせてもらっていたのである。
ミルフィはその様子を見て、にこりと笑いながら声を掛ける。
「はい、完成しました。すぐにお出ししますね」
ミルフィは自分の部下に手伝ってもらって、大量に作ったシチューを自分含めて全員に配膳したのだった。
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