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高校生になったら、軽音部に入ろうと思っていた。体験入部にも行った。そのときのことを覚えている。
「好きな曲とかある?」
先輩にそう訊かれた。周りの数人が次々と答えていくなか、私はまったく答えられなかった。
「そこの君は? なんかない?」
緑のテレキャスを持った金髪の先輩が私を指さした。
「曲っていうか、音楽が好きです」
それ以上の答えはなかった。そもそも曲名など覚えていない。どの曲もたいてい一、二回聴いてしまえばコードとメロディ、各楽器のフレーズまでだいたい頭に入る。頭に入ると、もう飽きてしまう。
「特にこれ、とかないの? よく聴くジャンルとかさ」
ジャンル? 音楽にジャンルがあるのは知っていた。しかしそれが極めて曖昧で、どの曲もさまざまなものの影響を受けて作られていることも知っていた。自分はどんな曲が好きなのだろう、とふと考えて、本当に好きな曲にはひとつも出会っていないという結論になった。あのときあの曲が刺さったのは、あのときだからであって、今聴いてももう覚えてしまったのもあって感動はしないだろう。
「まあ、音楽全般好き、みたいな感じかな」
あきらめて先輩がそう問いかけると、私はうなずいた。当たらずとも遠からずといったところだろう。
先輩はそのまま説明を続け、練習風景を見せながら新入生を楽器に触れさせた。説明をした先輩がギターをやるバンドが一曲披露して、解散となった。入部はしなかった。あの音を聴いていると耳も頭も傷つきそうだった。好きな曲はないけれど、今度から嫌いな演奏を訊かれたら答えられると思った。
あの体験が、おそらくライブにかたくなに行かない今の私にも繋がっている。スタジオで何テイクも録音して、ミックスを経て作り上げられた音源と、ライブで一発勝負の音とでは比較にならないだろうと予想していた。軽音部のあれは極端な例だが、プロでも同じことだ。ただでさえ、どれだけいいヘッドフォン越しに聴いてもずれてぶつかりまくる音なのだ。
そして、少し成長して他人との会話もできるこの年になって、気付いたことがあった。多くの音楽好きは、お気に入りの曲やアーティストというのを持っていて、それを繰り返し繰り返し、人によっては毎日聴くものなのだ。飽きないのか、と尋ねたら、飽きないのが好きな曲なのだと返された。同じ曲だと安心するし、何度も聴くと新しい発見があるし、何より心の支えになるのだという。ひとつの音楽を繰り返し聴くなんてお経やなにか、宗教みたいなものに思えた。一曲一曲が経典で、それを繰り返し聴いて心を保つ。神に縋るのと同じことなのかもしれない。
そこまで洗脳のように同じ曲を聴いて、果たして彼らは本当にその音楽が好きなのだろうか? 聴いているうちに、しっくりくるようになってしまっただけで、洗脳の前にもっと別の曲に出会っていればそれが好みになったんじゃないだろうか。
そこまで考えて、彼らの主目的は音楽ではなく洗脳そのものの方にあるのではないかと思った。繰り返し聴いて音楽に自分を同化させる。アイデンティティに悩んだら、その曲に縋る。背骨の成分をその曲で満たして安定させる。そういうものなのかもしれない。
いずれにせよ、私はいつまでたっても無宗教でノンジャンルなのだ。
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