Stage

雨乃よるる

Stage

 私はステージで踊っていた。客席では踊れない踊りを。


 信じられないかもしれないけれどここはアリーナで、もっと信じられないことに観客は全員私の半径5メートル以内にいる。


 熱気は歓声と入り交じってシンバルみたいに私の中心を叩く。そして背中は常にハイハットの音を刻んでいて、キックがべろれろと打ち、ベースが大型客船のようなぼうっとした汽笛を鳴らしている。そうやって最高の音が鳴っているから、私の声は延々と詩の世界を展開していて、別に音なんて外れまくっててリズムだけたまに帳尻を合わせればいい。


 死のうと思った


 一番出したくて出した音が会場を揺らすと、一体感のあるレスポンスはなく、ただ彼女は目をとじて小さく身体をゆすり、彼は噛みつくように瞳孔をかっぴらいてじっとステージに見入り、彼女は声を上げて調子のはずれた歌を歌い、彼は尋常ではない身体の振り回し方をして隣席に腕をぶつけた。

 その席と彼の腕のぶつかった音がまた静かに目をとじる彼女の耳には波と漣の干渉にきこえるんだろう。


 私はそこではカリスマだった。カリスマは思想家だった。思想家は等身大だった。そして、ステージ上でだけ等身大の身体でいる私の生活は、まったく背伸びだらけだということだった。背伸びして履いたのは靴下から革靴まで。社会人の年齢に幼児の奔放さがはみでてしまった。そしてはみでたまま会場を駆け巡った。全力で走ったら上半身をぶん回していた彼と衝突して、抱き合って、お互い奇声をあげてそれがマイクロフォンにのってきいんと響き渡った。


 笑い声は伝染して、くるくると狂い回り続けて私は次の曲を叫んだ。曲が進んでいくごとに喉がかれ、ゆったりと歌えばバンドはテンポを落とし始めて、彼女は眠るようにたゆたいはじめた。

 最後の言葉を語ると、彼の目が納得したようにうなずく。そして私はセトリのラストを歌い出す。また会えるように星空の向こうに思いを馳せながら。


 Stageは終わる。私は魔法のとけてしまったあとの客席と同じ高さに戻らなければならない。私の部屋には飲み干したペットボトルや紙類、空箱といったものから、本やCDまでが散乱していて、それが私のステージでの複雑なステップの要因だった。


 私はアンコールのつもりでもう一度テレキャスの激しいロックを再生する。ヘッドフォンから空気の圧が押し寄せる。今度彼らはアリーナでLIVEをするらしい。私は行かない。芸術に対しては、人と同じように、適切な距離感を保つべきだ。

 それに異常なほど共感し、憑依のような身体感覚を味わったとしても、そういうものにはたいてい発動条件がある。ヘッドフォンと鼓膜の間数センチで交わされる音圧だとか、絶望の夜に暗い部屋の隅で音に浸る陰湿な開放感だとか。

 摂取する方法やタイミングを間違えれば死に至る薬は、慎重に飲まなければならない。


 サビのリズムに手拍子足拍子を打つ。それが間違っているかどうかは気にしない。拍子がはずれていても私の中で流動的な整合性が保たれている。私の理想のステージは、そういうものだった。私の発する音に(まるでヘッドフォンでひとり音をきいているかのように)個々人が自由に反応し、その反応を音楽に取り入れて進行していくもの。離れているからこそ加速し、近づけば玉砕する遠距離恋愛のようなもの。その距離が「信仰」または「カリスマ」であり、それによって保たれるパーソナルスペースが「等身大」を保証する。


 私の肌に合わないものばかりで溢れた痒くなりそうな空間に、静寂が訪れた。

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