第4話

 なにかと有名な出町柳の鴨川デルタ。そこに架かる出町橋を渡った西側、出町の地下駐車場の上に日が落ちてから現れる謎のラーメン屋台がある。巷じゃ『猫で出汁を取っている』なんて言われているそこに、日倉ハルキはすっかり昼夜逆転生活をしているいろはをつれてラーメンを食べに来ていた。


「ラーメン二つ」

「あいよ。にんにくと辛いの、いれますか?」

「俺は両方入れてください」

「……わ、わたしも。お、同じで」


 愛想のいい店主に聞かれて、ハルキの後ろに隠れながら控えめに注文するいろは。

 この屋台には折り畳み机とひっくり返したビールケースで出来た簡易テーブル席があるので、ハルキは迷わずそちらへ向かった。テーブルを挟んだ向かいにいろはも座る。今のところ、客はハルキといろはの二人だけだった。


「別に始めて来たわけでもなかろうに」

「うるさい。深夜の外食に慣れてないだけ」

「引きこもるようになってから前以上に人見知りになったんじゃないか」

「……説教するために連れ出したのかよ」


 むす、と唇を尖らせるいろは。その視線はラーメンを作っている店主の後姿を見たり、少し離れたコンビニの前で太い円柱状のバリカーの上に腰かけ談笑する大学生風の男たちを見たり、橋を渡って出町柳駅へ向かうくたびれたサラリーマンを見たりと落ち着きがない。

 社会恐怖症という言葉が服を着て歩いているような妹の姿を見て、ハルキは頬杖をついた。


「やっぱりさ、素直に謝って活動続けた方がよかったんじゃないの? 楽しかったんだろ」

「………………」


 日倉いろはは口をつぐんだ。ちらとハルキの目を見て、逃げるように視線を逸らす。

 そんなことをしているうちに、店主がラーメンを持ってきてくれた。


「いただきます」

「…………きます」


 手を合わせて二人で食べ始める。食べている間はお互い無言だった。

 深夜に食べるラーメン、その中でもこの店のラーメンは格別だ。深夜の屋台という非日常的なシチュエーションがそう感じさせるのか、そもそも味が絶品なのか。両方だろうな、とハルキは以前から思っている。日倉いろはも、猫舌のくせに必死に食らいついていた。

 二人そろって、ものの十分ほどでラーメンを食べ終えた。

 ごちそうさまでした、と店主に告げて金を払う。


 それから膨れた腹を抱えてアパートへ歩き出す。加茂川のせせらぎを聞きながら、前を歩くハルキとその後ろをついていくいろは。


「……楽しかったよ」

「ん?」


 ハルキは振り返らなかった。


「ダンジョン配信。楽しかった。ほんとはもっと続けてたかった」

「………………」


 何も言わずにいろはの言葉に耳を傾ける。


「みんなに見てもらえて〔かわいい〕って、〔おもしろい〕って褒めてもらえてうれしかった。あんなに褒めてもらったの生まれて初めてだよ」

「なんだよ初めてって。俺は昔から褒めてやってただろ」

「兄貴はツンデレだから。素直に褒めてくれない」

「ツンデレじゃないけど」

「そんなことない。シスコンのツンデレ」


 肩をすくめる。歩みは止めず、耳だけ傾けたまま。


「……謝っておけばよかったな。謝ってたら、みんなは許してくれたのかな」


 いろはの声は少し震えている。


「それとも……お母さんみたいに、何が何でも許してはくれなかったのかな。期待を裏切ったから。優秀じゃなかったから」

「……いろは」

「怖かったんだよね。もう一度リスナーと顔を合わせるのが。『浅葱ユメミ』としてみんなの前に立つのが。あーあ、こんなことなら嘘なんて吐くんじゃなかった。ま、そもそも嘘を吐かなきゃ面白味も何もない配信で、あんなに見てもらえなかったかもだけど」


 自信なさげな乾いた笑いがハルキの背中に響く。

 そこでハルキは立ち止まり、振り返った。


「そうでもないんじゃない? お前はなんだかんだ人を集めてたよ」

「嘘だよ。無理だよ」

「無理じゃないよ。才能があったんだよ。だからさ」


 ハルキはそこでスマホの画面をいろはに見せる。

 そこには小学生くらい小柄な、猫耳の生えた少女が映っていた。


「これって……ダンジョンに入場するための魔法体アバター?」

「そう。お前の新しい魔法体」

「……は?」


 いろはが画面から顔を上げてハルキを見る。


「え? は? ど、どういうこと? 新しいって……」

「『浅葱ユメミ』作った先輩にお願いして作ってもらった」

「作ってもらったって……それ、私に転生しろってこと?」

「そう」


 ハルキはうなずいた。いろはは首を振った。


「いやいやいや。兄貴馬鹿でしょ。私炎上したんだよ? そりゃ今はそんなに騒がれてないけどさ。転生したとしても中身が私だってばれたら余計に……」

「それくらいのリスクは背負えよ。好きなこと続けたいんなら」

「それくらいって……」


 いろはが言葉を飲み込む。


「断言するけど今のお前のままだとまともに働けないよ。バイトすら無理。一日でバックレる」

「え」

「引きこもりで一生部屋から出られずに俺も親父も愛想つかして天涯孤独になる。間違いない」

「さ、さすがにそんな状況になったら働くし……」

「無理無理。今のまま自信喪失してるお前じゃあな。配信やめてからのお前、ほんとにひどいから。お前はさ……配信してる時が一番楽しそうで生き生きしてたよ。今のお前はあれだ、高校を中退した直後と一緒かそれよりひどい。自分に自信をつけるための一歩を踏み出す自信すらない状態。だから俺が背中押してやるって言ってんだよ」


 スマホをいろはに握らせて手を放す。いろははじっとスマホとハルキの顔を見比べる。


「一回間違えたくらいで一生不幸な顔してなくちゃいけないわけじゃないんだよ。人生ってやつはさ。……いや、俺も二十歳になったとこで人生語れるほどじゃないけど」


 いろははうなずく。


「もう一回配信者やれよ。それでリスナーに目いっぱいかわいがられて、お前も見てる側も楽しい配信にしろよ。浅葱ユメミは三十万人いかなかったんだっけ? 転生して百万人のファン作ってみんな笑顔にしたらチャラだろ、そんなの。知らんけど」

「……むちゃくちゃだよ」

「かもしれない。そういえば赤羽先輩にも言われた。俺はお前と似てクズらしい。実際そうかもしれない。ぶっちゃけ俺は、お前の嘘に腹を立ててる顔も知らない連中は割とどうでもいいし。それより目の前で自信喪失して心折れかかってる家族のほうが心配」

「シスコンじゃん」

「違う。家族想いと言いなさい」


 いろはは鼻をすすりながら笑った。そして、ぐっと猫耳の少女が映るスマホを握りしめたのだった。


     ※


 浅葱ユメミの炎上から半年が経過した頃。

 偶然にも彼女と同じ京都市内をメインの活動エリアとするダンジョン配信者がひっそりとデビューした。


「こ、こんにゃ~! 新人ダンジョン配信者の『猫原』です!」


 それは猫耳をつけた愛らしい見た目の少女だ。

 人気のでそうなビジュアルではあるものの、大手事務所に所属するわけでもない彼女の初配信に訪れる人は今はほとんどいない。

 同接はたったの三人。


 そのうちの一人、日倉ハルキはPCの前で作業をしながら片耳にイヤホンをつけて配信を聞いていた。


「ほ、本日はこちらの北大路ダンジョンを攻略していこうと思います! 目標は十五分クリアです!」


〔目標高すぎ。現実味がない〕


 読み上げソフトが読み上げた初コメは批判的なものだった。画面に視線を移すが、当の猫原は気にするそぶりがない。

 彼女の性格をよく知るハルキは、彼女が荒っぽくコメントに言い返すのではないかと思ったが、さすがに初配信ではそこまで素を出す余裕はないらしい。

 いや、単に緊張で聞こえていないだけか。


「がんばってるじゃん」


 ん、ん、とハルキはのどの調子を整える。

 ごそごそと、妹のいろはに見つからないよう机の奥底に隠していた高性能マイクを取り出してPCにつなげ収録ソフトも立ち上げる。


「さて、じゃあ俺も始めますか……」


 何度か軽い発声を繰り返す。調子が整ったのを見計らってから、満を持してマイクに向かって話し始める。


『お疲れ様、今日はいつも以上に頑張ったね……』


 そんな語りだしで、日倉ハルキはいつものようにイケボASMRの収録を始める。今日の音声のタイトルはこうだ。


『【ASMR】勇気をもって一歩踏み出した妹をべた褒めするお兄様ボイス CV.獅童アサヒ』

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ダンジョン配信者“転生” ~既プレイなのに初見と偽ってたら炎上したので転生します~ 未完 @0mikan3

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