第3話

 浅葱ユメミ炎上事件から二か月がたった。

 ダンジョン配信をしなくなった日倉いろははその後どうなったかというと……


「それじゃあ俺は大学行くからな」

「…………」


 今日も律儀に妹が引きこもる押し入れに声をかける日倉ハルキだが、当のいろはからの返事はない。

 少しの逡巡の後、ハルキは押し入れをあけた。


「あ~、もう良! やっぱ寝る前は獅童アサヒ様の耳かきASMRなんだよな~! ありがとうございますありがとうございます! あへへ……」


 抱き枕にしがみつきながらイケボ配信者の耳かきASMRを聞いてよだれを垂らす、完全に昼夜逆転した魔物がそこにはいた。

 ハルキは思い切り顔をしかめる。


「うわキツ……」

「でへへへへ、ああん、そこです、そこがきもちいいんですぅ~! かりかり、かりかり…………あえ?」


 ハルキと魔物の目が合った。魔物は緩慢なしぐさで体を起こし、イヤホンを外して深いため息を一つ。


「はぁぁぁ~……なに? 兄貴の顔見たら萎えちゃったじゃん」

「ため息つきたいのはこっちなんだよなぁ」


 面倒くさがってドライヤーをしないからぼさぼさごわごわの髪。着っぱなしでしわくちゃのパジャマ。

 本当なら華の女子高生のはずが、見るも無残な姿であった。

 日倉いろはは魔法体『浅葱ユメミ』の炎上以降、一切家の外に出ることがなくなった御覧のような生活に入り浸っていた。

 最初はほんのわずかに同情する気持ちもあった日倉ハルキだったが最近はさっぱりその気も失せていた。


「学校にも行かない、バイトもしない……それは前からだけど。唯一社会との接点だったダンジョン配信もしなくなって、無料漫画アプリとイケボ配信者のASMRで青春を食いつぶす日々。ホントにそれでいいのか?」

「うーん……まあ悪くないね? 75点」

「せめて悪く思っててくれ」


 けろっとした調子で言う妹に結局ため息を吐いた。


「前は配信の収益で食費払ってたから許してたけどな、いい加減にしないと実家に送り返すぞ」

「え~、兄貴はそんなことしないっしょ?」

「する。前から親父にはいろはを連れて帰るように言われてるし」

「いーや、しないね。兄貴って超シスコンだから」


 私がいるほうが楽しいに決まってるね、となぜかそこだけは自信たっぷりに言ういろは。

 普通ならブチギレてもおかしくない言い草だが、いろはのクズっぷりをよく知るハルキはもはや怒る気もなくなっていた。


「……あっそ。好きにしろ」


 今朝も結局、そう会話を締めて大学へ出発するのだった。


     ※


 大学で一限、二限の講義を終えて混雑する学食で昼食も終えた。

 次は空きコマの三限目。日倉ハルキの足はいつも暇つぶしに使う図書館ではなくサークル棟に向いていた。


 目指すはサークル棟の三階にある『ダンジョン攻略サークル』……ではない。その隣の隣。

 『魔術研究会』とかいう怪しい看板のかかった部屋だった。

 静かにドアを開けると長机の端で女性が一人、机に突っ伏して眠っていたのでその後ろに立つ。


「赤羽先輩」

「うっひゃあぁ!?」


 声をかけると素っ頓狂な声を上げて女性が椅子から転がり落ちた。外して横に置いていた眼鏡が長い腕に引っ掛かって床に転がる。女性はその眼鏡をすぐに拾い上げてかけた。


「ひ、日倉氏! 毎度、音もなく近づいて耳元でささやくのはやめてくれないかね!?」

「すみません、癖で」

「ゾ〇ディック家か君は!?」

「いえ、日倉家のハルキなんですけどね」

「弟がキ〇アってこと!?」

「うちの家系はしりとりで命名してないです」


 そんな軽口の応酬を一通り済ませた後、改めてお互い椅子に座りなおす。

 肩にかかるくらいのストレートの黒髪を真ん中で分けて、少し野暮ったい黒縁眼鏡をかける高身長の女性。

 彼女こそ『浅葱ユメミ』の魔法体制作者、赤羽夕日だった。


「まったく、先月は一度も研究会に顔を出さなかったくせに急に来るんだからな。ふん」

「ちょっと家でバタバタしてまして。家というか、妹というか……」


 ああ、と赤羽夕日は納得したようにうなずいた。


「見た見た。『浅葱ユメミ』ね。かわいい我が子をまあ、ものの見事に燃やしてくれちゃってさ」

「それについては、本当にすみません」

「ま、別に構わないさ。制作者である私の名前が出たわけでもなし。それに登録者三十万目前まで行ってたろう? 私も魔法体製作者として自信になった。私の作る魔法体はなかなかセンスがいいらしい。ふふん」

「ほんと、あんなに人気が出たのは赤羽先輩の魔法体のおかげですよ。きれいな浅葱色の髪とそれにマッチしたファッション、それに何より世の男どもを虜にしたあの抜群のスタイル! あれ? あのスタイルって赤羽先輩自身をモデルにしてるんでしたっけ? 赤羽先輩スタイルいいからなぁ。なるほど、人気が出るはずだ……うんうん」

「……日倉氏は長文を話すと途端に胡散臭くなるね。褒めてくれるのは悪い気はしないが……半分セクハラだからな?」


 ジトッと見られて顔をそらすハルキ。

 まったく、と言いながら机の上のペットボトルの紅茶を飲む赤羽夕日。


「それで、バタバタしてた原因の妹ちゃんは落ち着いたのかい?」

「落ち着いたというか、落ち着きすぎているというか……」

「?」


 隠しても話が進まないのでハルキは今のいろはの様子をすべて隠すことなく赤羽に話した。

 日ごろの愚痴も混ぜながら話し、終わるころには赤羽は声を押し殺しながら笑っていた。


「笑い事じゃないんですけどね。はぁ……」

「いやまぁ、くく……身内からしたらそうだろうけどね。他人事だと突き抜けたクズってのは面白いもんだよ。なるほどなるほど、そりゃバズるわけだ。くくく……」

「そういうもんですかね」

「そりゃあそうさ。クズがクズのまま許されてるのはそれを上回る愛嬌があるからだろう? 断言してもいい、君の妹は配信者向きだよ」

「それは、俺もそう思いますけど……赤羽先輩」


 ハルキはまじめな顔で向き直る。


「折り入ってお願いがありまして」

「妹ちゃんの新しい魔法体を作ってほしいです」


 赤羽夕日の視線がまっすぐハルキを見た。ハルキは思わず息をのむ。

 まさしく、口にしようとしていた言葉を先回りされたからだ。


「今までの流れを考えればだいたい予想はできる。最初は炎上を笑い話ですませていた君も、炎上後の妹の様子を見ていると『配信者をしていた時のほうが健全な生活をしていたな』と思ってしまった。だからなんとか妹をもう一度ダンジョン配信者に復帰させたいが『浅葱ユメミ』の魔法体は炎上して使えない。それならば、代わりの魔法体を用意しよう。まずはダメ元で『浅葱ユメミ』の制作者に頼んでみて……というわけだろう? それで久々に魔術研究会に顔を出したわけだ」

「……改めて言葉にするとなかなか失礼ですね、俺」

「失礼さ。超失礼。人を都合のいい女みたいに扱ってくれちゃって」


 そう言いながらも赤羽夕日は気を悪くした様子もなく笑顔を浮かべている。


「……ただまあ、君はいろいろ借りがある。人数不足だったこの魔術研究会がサークルとして活動できているのも君が加入してくれたおかげだからな。頼みを聞いてやらないでもない」

「え、ほんとですか」

「ただーし! 条件があるぞ!」


 赤羽夕日は立ち上がる。そして座るハルキにびし、と人差し指を突きつける。


「ひ、日倉氏。君にはこれから一年間、わ、わ、私とお昼を共にする義務を課す!」


 しばしの沈黙。


「……はい?」


 ハルキは首を傾げた。


「も、もちろん大学が休みの日は別だぞ? ほかの友人と約束があるときも無理強いはしない。交友関係は大切だからな。そっちを優先してもらって構わない。た、ただ大学に来ていて一人でランチをするときは必ず私に声をかけること! あっ! か、必ず君の方から誘ってくれたまえよ? 私から聞くのはなんというか、は、恥ずかしいというか緊張するというか……ど、どうだね!? この条件がのめるかね!?」

「そんなことでいいんですか? ランチ代も出しますけど」

「金までたかったら人としてダメだろう!? そ、それに金欠を言い訳にされても困るし……」


 わたわたと顔を赤らめる赤羽夕日。その様子にハルキは口元を緩める。


「別に。俺も友達が多いわけではないですし、むしろ……」


 言いながらハルキも椅子から立ち上がる。それから自分に突きつけられていた赤羽夕日の手を取った。


「先輩みたいな美人と毎日お昼をご一緒できるなんて光栄ですから、喜んでお受けしますよ」

「……な、あ、ぐぅ!?」


 ばっと手を振りほどく赤羽夕日。顔を赤らめながら唇をわななかせている。

 それから少しして、落ち着いたタイミングでジトッとハルキをにらむ。


「うぅ……妹が妹なら兄も兄だよ、まったく」

「え、何がです?」

「君にもクズの才能があるってことだよ!」


 赤羽夕日は顔を赤らめたままサークル棟に響き渡るような大声で叫んだ。

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