第2話

 浅葱ユメミの配信が終了した後、残されたチャット欄はいつもとは毛色の違う盛り上がりを見せていた。

 ちょうど三限目が空きコマだった大学生、日倉ハルキは大学の図書館の隅でイヤホンをつけその配信を見ていた。


 初見は嘘か、いや嘘と決めつけるには根拠が薄い。

 そんな二つの勢力が押し問答を繰り返しているが、次第に擁護する側がじりじり押されてくる。


 あーあ、こりゃ燃えるな。

 そんなことを思いながらコメント欄に〔前から既プレイっぽいと思ってたんだよな、リアクションのタイミング良すぎたし〕と打ち込む。

 ハルキは『初見は嘘』派閥に加勢した形になる。

 コメントした直後、妹からメッセージが飛んでくる。


『なんでそっち側でコメント打ってんだ!! クソ兄貴!!』

「反応はっや」


 思わず声に出してしまった。顔を上げると少し離れた席に座る女の子と目が合って気まずくなって席を立った。

 ちょうどいい、このまま四限の教室に移動しよう。そう思って学生証を取り出す。

 階段で一階に降りて自動改札みたいな図書館の入退場ゲートに学生証をかざして通り抜ける。


 その間にも追撃のように来る妹からメッセージを受信してスマホが震えまくっている。

 まったく、とハルキはため息を吐く。

 メッセージアプリを開き一考。

 なんと返そうか。


 ……買ったはいいが使いどころがなかった『焚火でセンチメンタルに浸っているカモノハシ』のスタンプを送信。

 火に油だったようだ。通知の速度が三倍くらいになって電話までかかってきたので電源を切った。


     ※


 四限の後に大学近くの中華料理屋のバイトをして、ハルキが下宿先のアパートに帰ったのは夜の九時半だった。

 部屋の電気がついていなかったのでつけると、妹の日倉いろはがハルキのベッドにうつぶせに倒れこんでいた。


「お土産にゴマ団子あるよ、いろはちゃん」

「……クソがぁ」


 顔を枕に埋めたまま蚊の鳴くような声で悪態をつく妹を見下ろす。

 歳は十六だが、まるで小学生のような低身長。対して髪の毛は全く手入れしていないので尻に付きそうなほど長い。

 いろははちょうど一年前、入学直後に高校を中退してからハルキの部屋に居候している。


 そして。


「めっちゃ燃えてるじゃん」

「……そうだよ! 燃えてるよ! “浅葱ユメミ初見詐欺”ってトレンドにも乗っちゃったよ! てか昼間のコメントといい、なんで兄貴は大事なシスターが燃えてんのに他人事なんだよぅ!?」


 絶賛炎上中の浅葱ユメミの“中の人”である。


「めっちゃおもしろいなって」

「身内が炎上してるときに心配せず草生やすとか本物のサイコパスか……?」

「だって、いつかは燃えると思ってたし」


 冷蔵庫からお茶のボトルを出してコップに注ぎながら、ハルキは思ったままのことを言う。


「いろはがダンジョン配信者になった理由ってなんだっけ?」

「労せずちやほやされたいから。承認欲求を満たしたい。生きてるだけで偉いって言われたい」

「叶えたい夢は?」

「有名になってコラボとかしてイケボ配信者と繋がりたい」

「配信中の楽しみは?」

「浅葱ユメミのアバターで乳揺らしたらコメントがちょっとゆっくりになるのが滑稽だなって。ぷくく……」

「炎上するべくして炎上してるって。才能の塊だよ。炎系の能力者かよ」


 逆になんでこの一年間、初見詐欺以外の理由で炎上しなかったんだよ、とツッコむ。

 行儀悪くベッドの上でお土産のゴマ団子をほおばるいろはは悪びれる様子がまったくない。


「てかさ? “初見攻略が初見じゃない”なんて暗黙の了解じゃん? なんでこんなに怒られないといけないかわからないっていうか? むしろちゃんとリハーサルしてリスナーが喜ぶようなかわちいリアクションを取ろうとしている姿勢をほめてほしいというかね?」

「開き直ってるし……ちなみにそのリハーサルは何回ほど?」

「羅城門ダンジョンは……七十一?」

「初見どころかもはやマスターだろ。おんなじダンジョンをそんなに周回してるなんてRTA勢以外で聞いたことないわ」

「でも日数は三日とかだから」

「三日で七十一回れるならRTA勢も真っ青だよ」


 リハーサルをしていた三日間のうち、いろはがダンジョンに潜っていた時間は合計十二時間ほど。

 つまりその十二時間で七十一周したのだ。

 配信ではわざとトラップに引っ掛かりまくりクリアまで三時間近くかけていたが、本気を出せば羅城門ダンジョンなど十数分で一周できるというわけだ。ちなみに、羅城門ダンジョンの平均クリアタイムは二時間。

 日倉いろは、正真正銘のバケモンである。

 ハルキのツッコみが届いているのかいないのか、いろははベッドの上にこぼれたゴマを床に払い落しながら唇を尖らせている。


「だって、みんな『浅葱ユメミ』の残念かわいいリアクションを期待してるし。期待にはさ? 応えなきゃだし……」

「…………」


 いろはの言うことに、初めてハルキは少しだけ同情した。

 日倉いろはがダンジョン配信者として活動を開始したのは九か月ほど前。ハルキの家に転がり込んできてからだった。

 いろは自身以前からダンジョン配信に興味があったこと。ハルキの知り合いにダンジョン探索者の魔法体アバターを趣味で作っている人がいたこと。事情を話したら無償で使ってもらって構わないと許可を得られたこと、などなど。

 いろいろな要因が偶然うまく噛み合ってダンジョン配信者『浅葱ユメミ』は生まれた。


 ただ『浅葱ユメミ』の魔法体はあくまでハルキの知り合いが自分の体格に合わせて作った趣味の作品だった。

 身長は、女性にしては高めの百七十二。

 外を歩けば小学生と間違われる日倉いろはとは似ても似つかない体格だったのだ。


 そんな現実とギャップがありすぎる魔法体でダンジョンに潜って配信を行った結果、浅葱ユメミは……


 ・何もないところで転ぶ。

 ・ドアをくぐるときに頭をぶつける。

 ・『あそこのトラップには気を付けないとね!』と事前に警戒していたトラップに長い手足をひっかけ作動させる。


 そんなポンコツお姉さんキャラになってしまったのだ。

 そして運よく、あるいは運悪く。そんな愛嬌のあるキャラクターがネットで盛大にウケた。バズってしまった。


 すべては単なる偶然の産物。

 本当のいろははそんな天然ドジっ子キャラでも何でもないのに。

 偶然と偶然が重なって、分不相応に、アルバイトすらしたことのない十六の小娘がチャンネル登録者三十万人目前の人気ダンジョン配信者となってしまったのだった。


「もし続ける気があるなら早いうちに謝った方がいいと思うぞ」

「…………ふん」

「別に誰かを傷つけたとか迷惑かけたとか、そういうタイプの炎上じゃないんだから」


 いろはは再びベッドに顔をうずめた。


「……でも、応援してくれてたリスナーに嘘ついてた」

「変な方向でまじめな奴」


 ハルキはそれだけ言うとシャワーを浴びに浴室へ向かった。

 この日、日倉兄妹が交わした会話はこれが最後だった。

 ハルキがシャワーを浴びて出てくるころには、いろははどこかの猫型ロボットみたいに押し入れの中に作った自室へと戻っていた。


 ……『浅葱ユメミ』は問題の配信以降、ダンジョン配信を行うことはなかった。リスナーに事情説明も謝罪も、日倉いろははしなかった。できなかったのかもしれない。

 『浅葱ユメミ初見詐欺事件』はその後、一定期間過激な盛り上がりを見せた後、ダンジョン配信界隈で時折語られるくらいの過去のものとなっていくのであった。

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