「捲る境遇のシヴニ」

馬酔木 喃喃

零章

  「捲る境遇のシヴニ」


 零章


「お前なんて産まなければ良かった」

 僕は、母親の声をこの言葉でしか思い出すことが出来ない。母親はこの言葉を最後に僕達の前から消えた。


 当時小学五年生だった僕は、消えた母親が帰ってくると思っていたが、二度と僕の前に姿を現すことは無かった。

 母親が消え、父親と弟を含めた三人で生活が始まった。だが三人での生活は、時間の流れを感じさせない程早く終わりを迎える。

 父親が女を連れ来たのだ。

「今日からこの女と一緒に住むことになった。仲良くしなさい」 

 小学五年生の僕には理解することが出来なかったが、素性も知れない女を含めた四人での生活が突然にして始まった。


 僕は女と相性が悪く、あまり話すことは無かった。突然現れた女は、鼻を刺すような甘いベリー系の香水を身に纏い、馴れ馴れしく僕に接してくる。そんな女を避けていた僕とは反対に弟は女に気に入られたらしく、定期的に二人でどこかに出掛けていた。

僕は家に帰るのが嫌だった。学校が終わると仲の良い友達の家で、毎日のように遊んだ。門限の時間には家に帰らないといけないので、友達との別れを惜しみ家に帰る。


 家に帰ると弟と女が楽しそうに話していた。会話に混ざる気も無ければ、隙など無い。僕は弟と一緒に寝ている自分の部屋に入った。


スライド式のドアを開け電気を付けると、弟の勉強机には何やら見慣れないバケツが置いてあった。映画館の売店にあるアニメのキャラクターが描いてあるポップコーンの入れ物だ。弟と女は二人で、最近上映されたアニメの映画を観に行っていた。その光景が僕に疎外感を与えた。同時に女と映画に行く位なら、仲の良い友達と遊んだ方が楽しいと考え、疎外感を心の奥底に隠した。


 それからは時間の流れが速かった。


 次第に父親と弟、そして女の三人で遊園地に行き、動物園に行き、僕を置いて色々な所に出掛け思い出を作っていた。僕は仲間外れにされ、ごみと同等に扱われ始めたのだ。

父親には殴られた。女からは罵詈雑言を浴びせられる日々。弟からは父親と女と出掛けた場所や楽しかった思い出を、僕に自慢する為に話しかけてくる。


 僕が小学六年生になる頃には、家から僕の存在は殆んど消えていた。

 家に居ると楽しい事は何も無く、ゴミに生まれ変わってしまった僕は、小学六年生にして生きる事を苦痛に感じていた。


 今でも忘れない。小学六年生の夏休み。太陽が放つ光が、半袖から出る僕の腕を刺す。その年で一番熱い日に、母方の祖父母の家に逃げたのだ。

 弟と僕は、幼いころから毎週土日に母方の祖父母が住む家に泊まりに行っていた。祖母が美味しいご飯をご馳走してくれ、祖父が色々な所に連れて行ってくれる。


 両親の仲が悪くなり、喧嘩が増えるに比例して、祖父母の家へ泊りに行くことが減った。母親が消えてからは泊まりに行く事も無くなり、父親からは連絡を取るなと言われた。 

 しかし、日々の生活が辛く限界を感じていた僕は、最終手段として祖父母に助けを求めることにしたのだ。


 祖父母の家までの道のりは覚えている。毎週末行く祖父母の家は楽しみで、子供の僕には夢の国に思えた。

僕は、夢の国へ向かう車に意気揚々と乗り込む。後部座席に座るや否や、少し雨シミで汚れた車窓から外を眺めるのが習慣だった。この習慣のお陰で、祖父母の家までの道のりはしっかりと覚えている。

 小学六年生の僕は、車で三十分走れば付く祖父母の家に、徒歩で一時間ちょっともあれば付くと思っていた。実際は一時間どころか六時間もかかってしまったのだ。


お昼前に出たはずなのに、着いたころには真上にあった太陽が山に沈み始め空一面を綺麗なオレンジ色で染め上げていた。

 途中で喉が渇き、熱中症になりかけた僕は、道中に見えたコンビニにより「水を貰えませんか」と頼んだ。コンビニの店員さんは少し困った顔で水道水を紙コップに注いで僕にくれた。外で貰った水を飲んでいると、水をくれと言っている僕を見た女性のお客さんが水を買って僕にくれた。


この水が無ければ僕は道中で熱中症になり、間違いなく倒れていただろう。

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「捲る境遇のシヴニ」 馬酔木 喃喃 @AsbNnNn

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